小説・漫画好きの感想ブログ

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韓国人カン・ヨンミン、靖国神社に放火テロ事件について

韓国人が、一昨日、靖国神社に放火テロしようとした事件知ってますか?

これ、嫌韓な話とかではなくて、純粋に好奇心から聞くのですが、皆さんご存知ですか?
韓国から入国した韓国人カン・ヨンミン容疑者(23)が、靖国神社に侵入して潜伏。夜間になり、2ℓのペットボトルにいれたトルエンを使って放火未遂を起こしたという事件です。
寡聞にして僕はテレビやマスコミでこれが大々的に大ニュースになっているような印象はまったく受けません。フジテレビがニュースとして流したくらいで(産経ニュースでも取り上げてましたし公安発表なのでデマではありません)、あとは特番もなければ、コメンテーターがおおまじめに意見を交わしたりもしているのも見ませんし、中韓の擁護派の人が擁護するのも見かけません。
まるでなかった事のようにしたいようです。

しかし、これは明らかにテロです。
というのも、21日に入国、翌日に靖国神社に潜入、夜9時に衛士に見つかるまで誰もこれに気がつかなかったといいますが、あれだけ監視カメラのある神社で死角になるところを知っていたのも不思議なら、日本国内では入手できないトルエンを2リットルも一日でどこからともなく調達したのも不思議を通り越える話で、もし衛士に見つからないままだったら、深夜に放火、靖国神社が全焼になった可能性も高く、また宮司さんや関係者など多数の死者も出たであろうことは想像に難しくありません。最悪の場合は周辺にも多大な被害が出たことでしょう。
たまたま偶然発見できたから良かったようなものの、これは明らかにテロです。政治的問題やイデオロギーの問題ではなく、治安のために対処すべき事案のはずです。
しかし、何故これについてマスコミや政治がスルーしているのか。
不思議でなりません。

靖国神社の国家としての位置づけというのはおくとして、こういうことに対して対処をしないなら、伊勢神宮とか、熱田大社とか、奈良の興福寺とか、大仏殿とか、広島の厳島神社でも同様のことが起きかねないし、靖国よりはそちらのほうが警備とかは手薄だろうから(実際、日本の文化財クラスの盗み出される事件が近年異常に多発している)、取り返しのつかない事が起こるかも知れないわけです。
日本は、全国各地に素晴らしい神社仏閣や宗教にかかわらないものでも古い建築物があります。それらは文化的にも、現存していることにとても強い意味があるものばかりです。それらに対して今現実にある脅威がここに明らかになったのに、大々的にニュースにもならない。政治的にも対処されない。
これは大問題ではないかと思うのです。
別に僕は外国人排斥運動がしたいわでもなければ、韓国人すべてが嫌いといっている訳ではありません。国家としての韓国は最近はとみに異常事態に陥っているとは思いますが、韓国国内にもまともな人もいれば、日本国内にもいい韓国人もいるだろうし、個人的に知り合いの在日の方やお店をやっている方もいます。それらを全部十把一絡げにして悪くいったりしたくもないし、いい人には今後もおつきあいさせていただくことに変わりありませんし、心ない人に何か言われていたら擁護もすると思います。
しかし、それとこれとは別です。
明らかに、目の前に、二度と取り返しのつかないことになる危機があります。日本が戦争に巻き込まれる、軍国主義になる、憲法改正をして軍事国家になる、なんていうことよりも具体的で簡単に達成されてしまうテロ危機があり、今回は未遂に終わりましたが、そのテロは韓国人とその協力勢力によって実行されてしまいました。

で、改めて思うのですが、事の是非やイデオロギー的な議論はさておき、この事件そのものは皆様はご存知でしたか?
また、この事件に危機感などは持ちますか?
そとれも、そんなにおおごとではないと思われますか?

「中国雑話 中国的思想」 酒見賢一著

忠義神武霊佑仁勇威顕護国保民誠綏靖翊賛宣徳閑聖大帝

と聞いて誰のことだか分かりますか?
実はこれ、関羽さんのことです。「三国志」で、劉備張飛と義兄弟の契りを結んだ大英雄だから、ある程度の知名度があるのは当然なのですが、この人の中国の歴史上での扱いの変化、信仰心の集め方の変化はなかなか目を見張るものがあります。日本だって、菅原道真が祟り神から神様になったりしていますし、ブッダやイエスのようなそもそもの宗教者でなくても、別に歴史上の人物が神様になっても構わないのですが、その変遷ぶりは笑ってしまうほどです。
特に、中国においては、各宗教派閥をこえ、歴代の王朝の歴史を越えてついには天上界・人間界・地獄界の帝王になってしまうのですから。だいたいの流れでいえば、こんな感じですが笑ってしまうくらいの大出世です。

死後しばらくは、自分の首を求めて赤兎馬にのって首を探す悪霊扱い、、、それが、、しばらくすると、、、
<仏教>「伽藍関帝菩薩」
<道教>「関元帥」「協天大帝関聖帝君」
<儒教>「文衡聖帝」
<民間>「関恩恵」となり、
王朝ごとにさらに追号諡号が出世して
宋王朝「祟寧真君」
元王朝「顕霊義勇武安英済王」
明王朝「三界伏魔大帝神威雲震天尊関聖帝君」となり、ついには
清王朝「忠義神武霊佑仁勇威顕護国保民誠綏靖翊賛宣徳閑聖大帝」と。
もともとが祟り神からここまでの大出世。しかも清時代には、太祖ヌルハチの代から彼の霊験はあらたかであるとして全国津々浦々にまで彼の廟は作られたようで、「文」の孔子を遥かに抜く高みにまで上られたご様子です。
三国志ファンからすると、確かに関羽はめちゃくちゃ強かったけれど、けっこうメンタル的には粘着質だし気位が高すぎるし、後継問題ではトラブっちゃったし、、、部下にするなら趙雲のほうがいいやと思ってしまったりするのですが、、、あちらの世界では押しも押されぬ神様で、中国の人々に「一番えらい神様は?」「一番有名な神様は?」「一番ご利益がある神様は?」ときいてもいずれもダントツで関羽さんの名前が帰ってくるんだとか。
宗教を完全に潰した共産党革命を乗り越えてなおこの人気の関羽さん。
この関羽が何故にここまで人気があるのか、圧倒的な信仰を集めるかは中国本家でもしかとはわからないらしいのですが、実直な人柄、圧倒的な武威、もともとが商売人というところが気にいられているのですかねぇ。
この本は、こういう中国的なもろもろについてのエッセイを集めた本です。
関羽」だけでなく「劉備」や「孫子」といった人物も勿論、「易」「中国憲法」などという混沌とした理論と与太と幻想が入り交じるあれこれについて、著者お得意の古典と実地フィールドワークと現代人の感覚を行きつ戻りつしながら、融通無碍に書かれています。
この方の本は、「後宮小説」「墨攻」「陋巷に在り」「泣き虫諸葛亮孔明」「周公旦」とどれをとってもハズレがなくて面白いです。

中国雑話 中国的思想 (文春新書)

中国雑話 中国的思想 (文春新書)

生活保護の謎

生活保護の謎」 武田知弘著  (めっちゃ長いので覚悟して^^)

 生活保護ときいて、皆さんは何を思いますか?
 また生活保護について、どういう印象を持ちますか?
 ここ最近、テレビに限らずネットでは、生活保護に関しては「ナマポ」などと揶揄され(石原Jrなどもテレビで「ナマポ」と言ってしまい顰蹙を買っておりましたが)、生活保護者は死ねばいいのに的なことまで言われていたりするのをよく見かけます。また真面目に論じる人の中にも、生活保護に莫大なコストがかかっているのが日本の財政を圧迫しているという論調をよく見かけるようになってきました。
 しかし果たしてそれは本当なのでしょうか?
 また、「生活保護」って実際のところ、どういう制度で、どういう条件で貰えて、どのくらい問題があるのでしょうか?
そういうことが気になったので今回はこの本を読んでみました。

 著者は武田知弘。わりあいと色々なことを書いてるライターですが、元大蔵官僚で、国税庁の徴税実務をしていたということで(「半沢直樹」の黒崎さん的な仕事の末端もしくは「トッカン」だったわけですかね)すから、国税庁資料や各種公的データに基づいての説明が多用されているので、思想的な部分は抜きにして読んでいけば、概観をつかむのにはちょうどよいでしょうか。

 さて。
 結論からいえば、生活保護ならびに社会保障費が大きく日本国の財政を圧迫しているというのは嘘でした。今現在の日本の場合は生活保護費の額が少なく、給付を受けようとする人が実は条件を満たしている人の二割程度でしかないということから問題になる額ではありません。そもそも論の話で、日本の生活保護費は、諸外国に比べると圧倒的に少ないのです。他の国、例えば日本に比べて貧富の差が激しく自由競争の国だといわれる国である低福祉の国であるとされるアメリカにくらべても、わずか10%の額でしかなく、GDP比を考えても異常に少ない支出でしかありませんでした。また国内に絞って考えても、日本の場合は国全体の支出の中で社会保障費にまわっているのはわずか4%たらずで、その中で生活保護にまわっているのはそのまた10%で、結果、日本経済の支出の中で0.4%程度しか生活保護には使われていません。
 いってみれば、極端に少ない額しか生活保護という制度には使われていませんので、生活保護が国の財政を圧迫しているというのは全くのでたらめだという事がわかります。

 しかし、、実際の声として、生活保護に関しては冷たい目が向けられています。これは体感感覚として、「生活保護が働かないのに楽をしている」「不正受給して儲けているやつがいる」「働いて苦しい人間がいるのに、働いてなくて楽している」という感情論に近いところが多分に影響しているものと思われます。
 しかし、この本を読むまでもなく、それは不正受給をしている人間が悪いのであって、生活保護者が悪いわけではないわけです。むしろあとで触れますが、生活保護のシステムそのものの制度設計が駄目なのと、それを運用する国と自治体が責任逃れをしているのと、生活保護貧困ビジネスに使う業者とあとは医療関係者の多くがかかわる闇の部分が多いのです(もちろん、これとは別問題として日本人以外に特例的に支払われる生活保護と)。
 僕はかねてより、本当に保護が必要な人にはもっともっと生活保護は出していいと思っていてそれを公言してきましたし、不正受給についてはもっと取り締まるし法制度を変えるべきだと思っていましたが、この本を読んでさらにその気持ちは強くなりました。問題は貧困に陥っている人たちが原因なのではなく、そこに問題が発生してしまう構造だということです。

 では、具体的には何が問題なのか。問題は三点です。
 まず一つには、日本の生活保護のシステムです。日本の生活保護は、憲法の定めるところの「文化的な生活」を最低限に保障するというところから、現在だと地区によって若干の差はありますが、家賃限度額4万、生活費8万の合計12万程度を国が現金で給付・保障する形になっています。これ、多いですか、少ないですか? となると諸外国などと比べてもこれは圧倒的に少なすぎます。諸外国でこれほど少ない国はありません。繰り返しでてきますが、北欧やヨーロッパ諸国、アメリカと比べても少ないのです。
 (それでもワーキングプアと比べて変わらないという話はまた別項でやります)
 何故ならば、普通の国での生活保護というのは国民の権利としてあって、最低限の文化的な生活、贅沢は駄目だけれど無茶苦茶切り詰めて食べるものも我慢するような生活を生活保護とは言わないわけです。日本の場合は、生活費に8万円もらったとして、この中から現代人として普通に就職活動にも必須の携帯電話はもたざるを得ないと考えると、それは月に1万円程度は絶対にかかるし、電気・ガス・水道の光熱費でさらに1万。残り6万円の中で日々生活の中で使う消耗品、生活用品、衣料品、食費すべてを賄わなければなりません。食べて寝て、でギリギリの暮らしとなるでしょう。ここから将来の投資として何らかの資格を取る為の費用を捻出したり、就職活動のためのスキルアップの何かをすることはほぼ出来ません。また他の人と食事にいったり友だち関係を続ける費用を出せるかというとなかなか難しく、結局、友人関係も取りづらくなる額なのです。
 そして、生活保護を受けると勤労意欲・モチベーションが下がってしまうという問題があります。
 日本の生活保護の場合には、基本的には収入を増やすことができません。どういうことかといえば、生活保護を受けている人間の場合は、働いたら働いた分、もらえる生活費からその分は受け取れなくなります。単純にいえば、5万働いて稼いだら、そのぶん生活保護の支給額からは5万円減らされるという仕組みです。つまり働いても働かなくても生活はかわりません。ここから抜け出そうとすると、生活保護を受けている以上の収入がないと意味がありません。ですが、生活保護世帯が今の生活から抜け出たいと思えば、たとえば一人暮らしだとした場合、仕事をしていない状態からいきなり月給18万円以上のところに勤めない限りは、現状より生活がマイナスになります。18万円というのは、ここから所得税、市民税、年金、国民保険もしくは社会保険、失業保険などを払った額からの算出です。
 しかし、いきなりそういうことは可能でしょうか? なかなか難しいことです。データによれば昨年度のフルタイム勤労者のうち年収が200万円に達しなかったものは1100万人です。サラリーマン全4500万人のうちの25%です。4人に1人は、毎日仕事をしっかりとしてもそこまで稼げないのです。世界において、毎日仕事をしっかりとしても、40代で家が個人の資金で買えないのは日本と韓国くらいしかありません。正社員であってもそうなのです。こういう状況では、いったん生活保護の受給を受けるような環境になってしまったら、そこからなかなか抜け出しづらく、仮に抜け出したとしても中途半端な額だと今以上に生活が苦しくなるという構造的な問題がどうしても出て来ます。

 では諸外国ではどうでしょうか?
海外ではアメリカのEITCという制度にみられるように低所得者であれば、所得税などを納税するかわりに逆に国から毎年補助金が出るという仕組みがあります。1万ドル未満の年収であれば、毎年税金を払うかわりに逆に40万程度の補助金が国から支払われます。
 そして、子供がいる場合には、これ以外の現金給付、食費の補助、住宅の給付、健康保険の給付、給食の給付も受けることが出来ます。もちろん、フードスタンプも受けられます。つまりは、仕事で稼げない場合には、きちんと子供を作って育てて、一般的な家をあてがってもらえるところまでは補助が普通にあるわけです。
 我々はついつい、日本の福祉はきちんとしていて、アメリカなりヨーロッパは貧富の差が激しく、こういう補助なんてないものと思いがちですが、アメリカのような自由主義の国でさえ実はこうなのです。安全なセーフティネットをはった上での、自由競争というのが世界の流れなのです。確かにじっくりと考えれば、世界中でギリシアやイタリアのように失業率が数十パーセントあって、若者の仕事がまったくなく、それでいて餓死者がほとんど出ないというような話はあり得ないわけです。
 逆に、こういうものに関しては、国民の正当な権利ということで他の国ではどんな政府でもそれを侵すと政権や国体が崩壊しかねないので手をつけられないし、国民は堂々とそれを要求します。アメリカでは実に4000万人の人がフードスタンプと呼ばれる食料配給を受けています。
(よくネットではフードスタンプを配れといいますが、実に普通に彼等はそれを受けていますが、それとは別にさまざまな日本の生活保護では考えられないくらいたくさんの給付が受けられます。ただし国民であれば、ですが)
 そして、それらの複合的な補助や保障の中で、自分に出来る仕事、適合する仕事を見つけて働きながら徐々にそれらを外していくわけです。日本の場合と違って、仕事をして貯金をして、定職をみつけてそこで生活を安定させてから、順番に保護を外していくというのが通常の流れです。しかし、日本の場合は原則的に貯金ができませんし、職が見つかったら生活保護を外されます。そして、もともとからして他の国では国民の二割は国の補助のある住宅に住んでいたりもします。
 しかし、日本のシステムはそうやって被保護者がステップアップを待つということはシステム的にありません。就職してみてそこがブラックであった場合には、最悪な事態になってしまいます。一度外れると、生活保護の再支給を受けるためには厳しい条件審査があります。例えば、車や貴金属などの財産をもっていてはいけませんし、銀行の預金も4万円を越えてはいけません、また資産があってもいけません。それらの条件を満たしてはじめて受付審査となります。こうなると、なかなかそれは難しいということがわかると思います。
 
 第三の問題は、そうした額面も少なく、かつまた再起の難しくなる生活保護制度を悪用するものが後を絶たないという問題です。
 例えば、生活保護に関してはヤクザのしのぎになっているケースがかなりあります。北九州市生活保護を申請しているのに窓口で「水際作戦」と称して追い返されてしまう、申請をさせないことで、何人かの餓死者が出たことは記憶に新しいことと思いますが、あれは福岡県や北九州市が自治体絡みで生活保護の受給総数をコントロールしようとした最悪なその結果ですが、もともとは北九州市生活保護のモデル地区とされるくらい手厚い保護があったが為に、かえってヤクザの集中的な生活保護申請が増え、それを防ぐという名目のもとに受給を減らしたのが原因です。
 このヤクザのケースなどのように、個人で精神疾患を患ったふりをする、働いていないふりをする、などで生活保護を不正受給しようとする人たちに対して、自治体はなんら有効な手が打てません。ケースワーカーといっても普通の市職員ですから、ややこしい相手、こわもてな相手、ヤクザのようなはなから危険そうな相手のほうが来ると抗しきれません。もちろん本来は抗してもらわねば困るのですが、生活保護は簡単に認めてしまうという悪弊があります。
 また、そういう基本受給者自体が悪党なケースはそれとして、生活保護が必要な人たちを利用して、彼等に「福祉アパート」という名前で住居を与えて、お金をまきあげるという悪徳業者、悪徳NPO法人もいます。彼等に食い物にされている生活保護受給者というのも大変な数になっています。大阪市で抜き打ち検査をしたらNPO法人20事業者で3億円の脱税がありました。
 そして、これが一番のガンなのですが、生活保護費というのは前記のような直接の生活保護費とほぼ同額の金額が医療費として支払われています。生活保護の場合、治療に関しては(最先端医療とか高額医療は除いて)自己負担はありません。つまり、医者は生活保護対象者をみると、絶対に全額治療費を国から受けられます。そういう理由があって、不必要なまでに過剰に医者が治療・投薬を行うという弊害がここに如実に現れています。
 一般家庭での医療費は多くて10%です。しかし、生活保護世帯においては、生活保護費と同額の医療費がかかっています。つまり、収入とほぼ同額を医療費に使っています。これは明らかに異常ですよね。もともと生活保護を受けている人は病気を患っていることが多いですが、それでも異常です。明らかに、意図的に医療側の不法行為が存在しています。日本では、生活保護世帯がかかってよい医者というのが決められているのですが、これは病院側が立候補すれば原則全て認められます。つまりズルをしたい病院や医者は自由にそれが行えるのです。実際問題としてネットなどで、そういうことをしている病院だとして顧客を増やしたり、精神疾患だという風に診断して生活保護のあっせんをする医者までいます。
 貧困層や病人を食い物にする医療関係者が多い、またその裏にヤクザがいるケースが問題となっています。ただ、これは健常者というか一般家庭などについても過剰医療になっている日本の医療全般の闇の一部ではありますが、特に生活保護には強く出ている問題です。

 さて。
 上記のようにみていくと、生活保護そのものが悪いわけでもなく、その額自体は少なく決して楽な生活が出来るわけではないが、システムに大いに問題があるし、それを悪用したり、利用して私腹を肥やしているものが問題だとわかるかと思います。日本の場合は額そのものの問題もさることながら、システムをもう少しいじらないと、本人のためにもならないだけでなく、社会復帰も難しく、また制度を使って悪事を働く人間が大量に出ます。システムを変えなければなりません。そのあたりで今唯一の動きがでているのは、橋下市長が独自基準で過剰医療を排除しようとしたりしているものだけという現状が一番問題だし、他の案にしても、家族・親族の扶助義務(これももちろん条件が妥当なものでなければいけませんが)という憲法論議に絡んでいる案だけというのはいかにもお寒いものだといえます。
 
 また、現状では生活保護は国政を圧迫するようなもではありませんが、では将来にわたってはどうかといえば、実は生活保護を現在でも受けようと思えば受けられる層が受給を求め、なおかつまた、今後このままで経済が推移したとして退職者が年齢的にどっとふえる時代になった場合は、状況が激変します。これらの生活保護のしくみは根本から変えなければならなくなります。財政的に圧迫度が一気に増えます。年金システムが完全に崩壊して生活保護に切り替わらざるを得なくなります。
 だからこそ、今のうちに生活保護については正しい仕組みに変えるとともに、こうした異常なシステムの暮らしですらがワーキングプアの暮らしとおっつかっつと言われているそのワーキングプアな社会の仕組みをどうにかしなければならないというのが最終結論として本書ではあがっています。

生活保護の謎(祥伝社新書286)

生活保護の謎(祥伝社新書286)

生活保護の謎 

生活保護の謎」 武田知弘著  (めっちゃ長いので覚悟して^^)

 生活保護ときいて、皆さんは何を思いますか?
 また生活保護について、どういう印象を持ちますか?
 ここ最近、テレビに限らずネットでは、生活保護に関しては「ナマポ」などと揶揄され(石原Jrなどもテレビで「ナマポ」と言ってしまい顰蹙を買っておりましたが)、生活保護者は死ねばいいのに的なことまで言われていたりするのをよく見かけます。また真面目に論じる人の中にも、生活保護に莫大なコストがかかっているのが日本の財政を圧迫しているという論調をよく見かけるようになってきました。
 しかし果たしてそれは本当なのでしょうか?
 また、「生活保護」って実際のところ、どういう制度で、どういう条件で貰えて、どのくらい問題があるのでしょうか?
そういうことが気になったので今回はこの本を読んでみました。

 著者は武田知弘。わりあいと色々なことを書いてるライターですが、元大蔵官僚で、国税庁の徴税実務をしていたということで(「半沢直樹」の黒崎さん的な仕事の末端もしくは「トッカン」だったわけですかね)すから、国税庁資料や各種公的データに基づいての説明が多用されているので、思想的な部分は抜きにして読んでいけば、概観をつかむのにはちょうどよいでしょうか。

 さて。
 結論からいえば、生活保護ならびに社会保障費が大きく日本国の財政を圧迫しているというのは嘘でした。今現在の日本の場合は生活保護費の額が少なく、給付を受けようとする人が実は条件を満たしている人の二割程度でしかないということから問題になる額ではありません。そもそも論の話で、日本の生活保護費は、諸外国に比べると圧倒的に少ないのです。他の国、例えば日本に比べて貧富の差が激しく自由競争の国だといわれる国である低福祉の国であるとされるアメリカにくらべても、わずか10%の額でしかなく、GDP比を考えても異常に少ない支出でしかありませんでした。また国内に絞って考えても、日本の場合は国全体の支出の中で社会保障費にまわっているのはわずか4%たらずで、その中で生活保護にまわっているのはそのまた10%で、結果、日本経済の支出の中で0.4%程度しか生活保護には使われていません。
 いってみれば、極端に少ない額しか生活保護という制度には使われていませんので、生活保護が国の財政を圧迫しているというのは全くのでたらめだという事がわかります。

 しかし、、実際の声として、生活保護に関しては冷たい目が向けられています。これは体感感覚として、「生活保護が働かないのに楽をしている」「不正受給して儲けているやつがいる」「働いて苦しい人間がいるのに、働いてなくて楽している」という感情論に近いところが多分に影響しているものと思われます。
 しかし、この本を読むまでもなく、それは不正受給をしている人間が悪いのであって、生活保護者が悪いわけではないわけです。むしろあとで触れますが、生活保護のシステムそのものの制度設計が駄目なのと、それを運用する国と自治体が責任逃れをしているのと、生活保護貧困ビジネスに使う業者とあとは医療関係者の多くがかかわる闇の部分が多いのです(もちろん、これとは別問題として日本人以外に特例的に支払われる生活保護と)。
 僕はかねてより、本当に保護が必要な人にはもっともっと生活保護は出していいと思っていてそれを公言してきましたし、不正受給についてはもっと取り締まるし法制度を変えるべきだと思っていましたが、この本を読んでさらにその気持ちは強くなりました。問題は貧困に陥っている人たちが原因なのではなく、そこに問題が発生してしまう構造だということです。

 では、具体的には何が問題なのか。問題は三点です。
 まず一つには、日本の生活保護のシステムです。日本の生活保護は、憲法の定めるところの「文化的な生活」を最低限に保障するというところから、現在だと地区によって若干の差はありますが、家賃限度額4万、生活費8万の合計12万程度を国が現金で給付・保障する形になっています。これ、多いですか、少ないですか? となると諸外国などと比べてもこれは圧倒的に少なすぎます。諸外国でこれほど少ない国はありません。繰り返しでてきますが、北欧やヨーロッパ諸国、アメリカと比べても少ないのです。
 (それでもワーキングプアと比べて変わらないという話はまた別項でやります)
 何故ならば、普通の国での生活保護というのは国民の権利としてあって、最低限の文化的な生活、贅沢は駄目だけれど無茶苦茶切り詰めて食べるものも我慢するような生活を生活保護とは言わないわけです。日本の場合は、生活費に8万円もらったとして、この中から現代人として普通に就職活動にも必須の携帯電話はもたざるを得ないと考えると、それは月に1万円程度は絶対にかかるし、電気・ガス・水道の光熱費でさらに1万。残り6万円の中で日々生活の中で使う消耗品、生活用品、衣料品、食費すべてを賄わなければなりません。食べて寝て、でギリギリの暮らしとなるでしょう。ここから将来の投資として何らかの資格を取る為の費用を捻出したり、就職活動のためのスキルアップの何かをすることはほぼ出来ません。また他の人と食事にいったり友だち関係を続ける費用を出せるかというとなかなか難しく、結局、友人関係も取りづらくなる額なのです。
 そして、生活保護を受けると勤労意欲・モチベーションが下がってしまうという問題があります。
 日本の生活保護の場合には、基本的には収入を増やすことができません。どういうことかといえば、生活保護を受けている人間の場合は、働いたら働いた分、もらえる生活費からその分は受け取れなくなります。単純にいえば、5万働いて稼いだら、そのぶん生活保護の支給額からは5万円減らされるという仕組みです。つまり働いても働かなくても生活はかわりません。ここから抜け出そうとすると、生活保護を受けている以上の収入がないと意味がありません。ですが、生活保護世帯が今の生活から抜け出たいと思えば、たとえば一人暮らしだとした場合、仕事をしていない状態からいきなり月給18万円以上のところに勤めない限りは、現状より生活がマイナスになります。18万円というのは、ここから所得税、市民税、年金、国民保険もしくは社会保険、失業保険などを払った額からの算出です。
 しかし、いきなりそういうことは可能でしょうか? なかなか難しいことです。データによれば昨年度のフルタイム勤労者のうち年収が200万円に達しなかったものは1100万人です。サラリーマン全4500万人のうちの25%です。4人に1人は、毎日仕事をしっかりとしてもそこまで稼げないのです。世界において、毎日仕事をしっかりとしても、40代で家が個人の資金で買えないのは日本と韓国くらいしかありません。正社員であってもそうなのです。こういう状況では、いったん生活保護の受給を受けるような環境になってしまったら、そこからなかなか抜け出しづらく、仮に抜け出したとしても中途半端な額だと今以上に生活が苦しくなるという構造的な問題がどうしても出て来ます。

 では諸外国ではどうでしょうか?
海外ではアメリカのEITCという制度にみられるように低所得者であれば、所得税などを納税するかわりに逆に国から毎年補助金が出るという仕組みがあります。1万ドル未満の年収であれば、毎年税金を払うかわりに逆に40万程度の補助金が国から支払われます。
 そして、子供がいる場合には、これ以外の現金給付、食費の補助、住宅の給付、健康保険の給付、給食の給付も受けることが出来ます。もちろん、フードスタンプも受けられます。つまりは、仕事で稼げない場合には、きちんと子供を作って育てて、一般的な家をあてがってもらえるところまでは補助が普通にあるわけです。
 我々はついつい、日本の福祉はきちんとしていて、アメリカなりヨーロッパは貧富の差が激しく、こういう補助なんてないものと思いがちですが、アメリカのような自由主義の国でさえ実はこうなのです。安全なセーフティネットをはった上での、自由競争というのが世界の流れなのです。確かにじっくりと考えれば、世界中でギリシアやイタリアのように失業率が数十パーセントあって、若者の仕事がまったくなく、それでいて餓死者がほとんど出ないというような話はあり得ないわけです。
 逆に、こういうものに関しては、国民の正当な権利ということで他の国ではどんな政府でもそれを侵すと政権や国体が崩壊しかねないので手をつけられないし、国民は堂々とそれを要求します。アメリカでは実に4000万人の人がフードスタンプと呼ばれる食料配給を受けています。
(よくネットではフードスタンプを配れといいますが、実に普通に彼等はそれを受けていますが、それとは別にさまざまな日本の生活保護では考えられないくらいたくさんの給付が受けられます。ただし国民であれば、ですが)
 そして、それらの複合的な補助や保障の中で、自分に出来る仕事、適合する仕事を見つけて働きながら徐々にそれらを外していくわけです。日本の場合と違って、仕事をして貯金をして、定職をみつけてそこで生活を安定させてから、順番に保護を外していくというのが通常の流れです。しかし、日本の場合は原則的に貯金ができませんし、職が見つかったら生活保護を外されます。そして、もともとからして他の国では国民の二割は国の補助のある住宅に住んでいたりもします。
 しかし、日本のシステムはそうやって被保護者がステップアップを待つということはシステム的にありません。就職してみてそこがブラックであった場合には、最悪な事態になってしまいます。一度外れると、生活保護の再支給を受けるためには厳しい条件審査があります。例えば、車や貴金属などの財産をもっていてはいけませんし、銀行の預金も4万円を越えてはいけません、また資産があってもいけません。それらの条件を満たしてはじめて受付審査となります。こうなると、なかなかそれは難しいということがわかると思います。
 
 第三の問題は、そうした額面も少なく、かつまた再起の難しくなる生活保護制度を悪用するものが後を絶たないという問題です。
 例えば、生活保護に関してはヤクザのしのぎになっているケースがかなりあります。北九州市生活保護を申請しているのに窓口で「水際作戦」と称して追い返されてしまう、申請をさせないことで、何人かの餓死者が出たことは記憶に新しいことと思いますが、あれは福岡県や北九州市が自治体絡みで生活保護の受給総数をコントロールしようとした最悪なその結果ですが、もともとは北九州市生活保護のモデル地区とされるくらい手厚い保護があったが為に、かえってヤクザの集中的な生活保護申請が増え、それを防ぐという名目のもとに受給を減らしたのが原因です。
 このヤクザのケースなどのように、個人で精神疾患を患ったふりをする、働いていないふりをする、などで生活保護を不正受給しようとする人たちに対して、自治体はなんら有効な手が打てません。ケースワーカーといっても普通の市職員ですから、ややこしい相手、こわもてな相手、ヤクザのようなはなから危険そうな相手のほうが来ると抗しきれません。もちろん本来は抗してもらわねば困るのですが、生活保護は簡単に認めてしまうという悪弊があります。
 また、そういう基本受給者自体が悪党なケースはそれとして、生活保護が必要な人たちを利用して、彼等に「福祉アパート」という名前で住居を与えて、お金をまきあげるという悪徳業者、悪徳NPO法人もいます。彼等に食い物にされている生活保護受給者というのも大変な数になっています。大阪市で抜き打ち検査をしたらNPO法人20事業者で3億円の脱税がありました。
 そして、これが一番のガンなのですが、生活保護費というのは前記のような直接の生活保護費とほぼ同額の金額が医療費として支払われています。生活保護の場合、治療に関しては(最先端医療とか高額医療は除いて)自己負担はありません。つまり、医者は生活保護対象者をみると、絶対に全額治療費を国から受けられます。そういう理由があって、不必要なまでに過剰に医者が治療・投薬を行うという弊害がここに如実に現れています。
 一般家庭での医療費は多くて10%です。しかし、生活保護世帯においては、生活保護費と同額の医療費がかかっています。つまり、収入とほぼ同額を医療費に使っています。これは明らかに異常ですよね。もともと生活保護を受けている人は病気を患っていることが多いですが、それでも異常です。明らかに、意図的に医療側の不法行為が存在しています。日本では、生活保護世帯がかかってよい医者というのが決められているのですが、これは病院側が立候補すれば原則全て認められます。つまりズルをしたい病院や医者は自由にそれが行えるのです。実際問題としてネットなどで、そういうことをしている病院だとして顧客を増やしたり、精神疾患だという風に診断して生活保護のあっせんをする医者までいます。
 貧困層や病人を食い物にする医療関係者が多い、またその裏にヤクザがいるケースが問題となっています。ただ、これは健常者というか一般家庭などについても過剰医療になっている日本の医療全般の闇の一部ではありますが、特に生活保護には強く出ている問題です。

 さて。
 上記のようにみていくと、生活保護そのものが悪いわけでもなく、その額自体は少なく決して楽な生活が出来るわけではないが、システムに大いに問題があるし、それを悪用したり、利用して私腹を肥やしているものが問題だとわかるかと思います。日本の場合は額そのものの問題もさることながら、システムをもう少しいじらないと、本人のためにもならないだけでなく、社会復帰も難しく、また制度を使って悪事を働く人間が大量に出ます。システムを変えなければなりません。そのあたりで今唯一の動きがでているのは、橋下市長が独自基準で過剰医療を排除しようとしたりしているものだけという現状が一番問題だし、他の案にしても、家族・親族の扶助義務(これももちろん条件が妥当なものでなければいけませんが)という憲法論議に絡んでいる案だけというのはいかにもお寒いものだといえます。
 
 また、現状では生活保護は国政を圧迫するようなもではありませんが、では将来にわたってはどうかといえば、実は生活保護を現在でも受けようと思えば受けられる層が受給を求め、なおかつまた、今後このままで経済が推移したとして退職者が年齢的にどっとふえる時代になった場合は、状況が激変します。これらの生活保護のしくみは根本から変えなければならなくなります。財政的に圧迫度が一気に増えます。年金システムが完全に崩壊して生活保護に切り替わらざるを得なくなります。
 だからこそ、今のうちに生活保護については正しい仕組みに変えるとともに、こうした異常なシステムの暮らしですらがワーキングプアの暮らしとおっつかっつと言われているそのワーキングプアな社会の仕組みをどうにかしなければならないというのが最終結論として本書ではあがっています。

生活保護の謎(祥伝社新書286)

生活保護の謎(祥伝社新書286)

スティーブ・ジョブズ ヤマザキマリ

今日は、iphone5の新型発売ですね。
ソフトバンクに、au、そして新顔ドコモ、、と各キャリア横並びでiPhone。ドコモはサムスンをツートップから外してiPhoneを前面に。
昔、タワーマックを使っていた頃、ウィンドウズユーザーから「アップル? 馬鹿じゃないの? 」と言われていた時代からすれば、隔世の感です。
iOS7すら様子見でいれてない僕は、、あと2年は機種変更しないけれど、誰か変えた人いるかなぁ^^?

下は、スティーブ・ジョブズの唯一の公式漫画。描いているのは「テルマエロマエ」のヤマザキマリさんです。

スティーブ・ジョブズ(1)

スティーブ・ジョブズ(1)

「異体字の世界」 小池和夫著 マニアック

異体字の世界」 小池和夫著 マニアック

 異体字とはなんぞや?
ということに、トコトンつっこんでつっこんで語られる蘊蓄本です。
 ものすごく大雑把にいうと、異体字というのは同じ意味をもつ「同じ文字」を指すのだけれど、書き方が違ったり形が違ったりする別の文字をいいます。だいたいは同じような振る舞いをするし、一定数は存在するという意味では元素の同位体とも似ていますが、いろいろな理由や変遷を経て、パソコンや文字コードの発展等もあって、日々増え続けているというのが一番の違いでしょうか。
 例えば、「沢」と「澤」。これはどちらも音読みでは「たく」、訓読みでは「さわ」、意味も同じでどちらで置き換えても問題は起こりません。或いは、近藤さんの「近」、これが「近」あっても、しんにょうの上にさらにもう一つ点がついた「近」であっても戸籍だのはんこだのが絡まない限り大丈夫でしょう(ちなみに樽井の樽は機種によっては上が八の字だったり、尊のようにちょんちょんだったりするので、銀行で自動発行や通帳の自動更新がしてもらえなくて面倒きわまりないです)。
 しかし、これが同じ異体字でも、「花」と「華」ではどうでしょう、どちらも音読みは「か」訓読みは「はな」ですが、華道はあっても花道(ただし桜木は除く)はなく、中華料理はあっても中花料理はないといったように、感じの成り立ちから象形文字か形声文字かで違うと互換性がなくなってしまったりととかくこの異体字問題はややこしいのです。
 「咲」と「笑」という字がもともとは異体字で同じものだったと言われても、もうわけがわからないという人が殆どでしょう。

 なので、この本、一般にはあまりお勧めしません^^
マニアックな活字中毒者だけが、そういわれてみれば、、、と興味をもつくらいかと思いますし、これを読んで興味をもった人がいれば、その人は小説愛好家ではなく活字中毒者だと思いますので、そういう意味では活字中毒患者のあぶり出しの一冊というようなものかも知れません。


異体字の世界―旧字・俗字・略字の漢字百科 (河出文庫 こ 10-1)

異体字の世界―旧字・俗字・略字の漢字百科 (河出文庫 こ 10-1)

村上春樹の短編恋愛小説「恋しくて」は、著者の台詞に全て集約されている。

「恋しくて」村上春樹翻訳短編恋愛小説集 
http://astore.amazon.co.jp/tarui-22/detail/4120045358
 村上春樹の短編恋愛小説は、著者の台詞に全て集約されている。

 いくぶんひねりのきいたもの、少しダークなもの、そこそこ屈折したものも加え、広義のラブ・ストーリーということで、かぎ括弧つきの「恋愛小説」を集めてみることにした。でも結果的には、それでもまぁ良かったのではないかという気がする。だって我々が経験する実際の恋愛だってほとんどの場合、あちこち曲げられたり、部分的にはダークになったり、そこそこ屈折したりしながら、それでもうまく育ったり、停滞したり、へこんだり、なんとか実を結んだり、駄目になったり、復活したりしていくものなのだ。もし素直で苦戦な恋愛ばかりで世の中が成り立っていたら、それはそれで当事者も、まわりで見ている方も、けっこうしんどいものかもしれない。シェリル・クロウも歌っているように「毎日が曲がり道なの」だけれど、そのほうが遠い前方が見えすぎなくて、かえって楽なのかもしれない。
 というわけで、世の中には初心者向けの素直で素朴な純愛もあれば、上級者向けの屈折した愛もある。だとしたら初心者向け恋愛小説があり、上級者向けの恋愛小説があって当然ではないか。

 なるほど、まさにその通り。
 誰がみても似合いの、若くはつらつとした恋人たちや、世間から祝福を受けるだけ受けるような恋愛もあれば、色々な苦境を乗り越えたり障害にへこたれそうになりながらも強い意志をもって進まなければ進めない山登りのような愛もある。また、はかなげで慎重に取り扱わなければ、すぐに壊れてしまうが、それでもそこには美しい何かが存在する繊細な恋もあるだろう。
 そして、そういう甘さ苦さや不条理、恋する二人にとって世界の中心は二人のものかも知れないけれど、まわりにとってはそれはよくある代替可能でありふれた忖度すべきものですからないという不条理も教えてくれるのがよい恋愛小説というるだろう。
 そういう意味では、この短編恋愛小説集はとてもよく出来たアンソロジーだし、恋愛小説ときいて思い浮かべる概念をいい意味で裏切ってくれる一冊として、ハルキストである前に一本読みとしておススメしたい。

 村上春樹の新作「恋するザムザ」も収録されています。