小説・漫画好きの感想ブログ

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悲喜こもごも それでも日常は続いていく

 こんばんは。ただいま戻りました。

 「それでも、日常は続いていく」、昨夜からつい先ほどまでに起こったあれこれの事件のせいで、僕の心の中にはそういう想いが強くなっております。

 昨日、節電モードに入ったあとで入ってきた、一本の電話。それは、今回の東日本大震災では初めての、僕自身の直接の知人の死を知らせる電話でした。昔やっていた会社で使っていたアルバイトくんが、亡くなっていました。あれだけの地震だから、いずれ誰かはと思っていましたが、まだ若い女性の死というのは痛ましくてなりませんでした。たかだか数ヶ月一緒に仕事をしていただけだったけれど、真剣に一緒に仕事をしたことや、事務所であったいろんなことや、将来の夢を語っていた姿が思い出されてたまりませんでした。
 嘆いたところで仕方がないし、これだけの人が亡くなっているのだからと思っても、気持ちの整理がつかずに、どうにもこうにもやるせなくて、お酒が好きだったその子のために一杯何か追悼のお酒を飲もうと近所のいきつけのバーに行きました。
 すると、マスターが一人でラジオの震災ニュースを聞いていました。バーでこれはないですよね、なんて事を言ってすぐに音楽に切り替えてくれましたが、マスターが一人だった事もあってちょっと色々話しこみました。すると、マスターが近々、自分の家の近くで二号店でバールを一軒回転するという話になりました。もともとが腕がよくて、色々な店の立て直しや、研修師匠としてあちこちに行っている一流のバーテンダーで、そのうえ彼は自分と同じ美味しいもの好きということもあったので、そんな彼がやるバールということに期待は高まり、なんだか自分の店ができるかのように嬉しくなりました。
 そのおかげで、追悼の意味で最後に彼女が好きだったブランデー系統で何かお勧めをと言われてでてきた、ポール・ジローの15年もののコニャックを飲み終える頃には、しっかりと明日からまた気合い入れて頑張っていこうという気持ちになりました。
 しかし、本日の業務終了付近に部下の実家からかかってきた、彼の父親が脳溢血で倒れたというニュースで再び気持ちは混沌に。さきほど彼を車で送り出したところで、現時点では緊急手術が終わったICUに移動したものの未だに予断を許さない状況のようで今も彼からのメール連絡待ちの状況です。それは東北地震とは関係のない京都のお話になりますが、やはり気もそぞろ落ち着きません。
 家族というものが存在しない自分にとっては、自分の部下やら、かつて席を同じくしていた社員やバイトというのがある種家族のようなものだから、昨日から、気持ちがぶんまわされています。「それでも、日常は続いていく」。地震があって、津波があって、人がたくさん死んで、そういう大規模な災害とは別のところで、個別の色々な人の日常の中でも、よいことや、未来の希望に満ちた嬉しい出来事と同時に、悲しいことや、心悩むことが同じくらいの量で起こっていく。僕はそれを見て悩んだり一緒に喜んだり共感して悲しんだりする。けれど、そういう心の動きとは別に世の中は、日常はただただそれらをすべて含んで、それでも日常は続いていくんだなとなんだか不思議な気持ちになっております。
 
 なんだかうまく自分の気持ちの整理が出来ていませんが、どう思い煩っても苦しんでも楽しんでも日常は続いていくんだったら、自分にできること、少しでも良いこと、人が喜べることをたくさんしたいなと少しだけ前向きな気持ちになっている/なろうとしているところです。

 皆さんも今回の震災で、直接の被災か、親類の被災か程度の差こそすれ、あれこれ思うところがあって、今それをそれぞれのやり方で整理しているところだと思いますが、これが、まったくの見当違いの想いかも知れないんだけれど、この気持ちが今の正直な想いです。