小説・漫画好きの感想ブログ

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大江健三郎氏勝訴の沖縄集団自決裁判に思う 

さきの第二次世界大戦での日本の戦争突入は完全なる侵略戦争であり、中国や韓国に大しても日本が全面的に悪いのだという主張は、左翼活動家や日教組による自虐史観に他ならない、として最近はそうではない歴史的主張も増え、客観的な歴史を再構築しようという動きも出ている。
 個人的には、それが正しい戦争であれ、間違った戦争であれ、戦争それ自体は罪悪であるという主義を取っているのでどちらに与しようとも思わない。ただ、どちらの勢力も自分の主義主張を通す為に、無理矢理な理屈を通そうとするかのようなきらいがあり、その辺がこのあたりの問題をまともに国民的コンセンサスを得ようということを妨げ、かえって戦争問題や軍事問題については思考を停止させ、歴史に学ぶ姿勢そのものを根本的に阻害しているように思われる。
 戦争がないというのは理想型であり、それを達成するためにはリアリストとしての政治をしなければならないと思う。しかし、その一方で、今の世界中での戦争状態を見るにつけ、持ってしまった武器は使わずにはいられないというのも一つの真実だと思わずにはいられない。そして、そのことと歴史をきちんと検証して、是々非々で過ちは認め、正しいところは主張する、しかして戦うのではなく文化や経済で友好を築くという一番穏当で皆が望む方向に行くことがどうしてそう難しいのかとも思う。 
 そんなことに想いを馳せさせるのが、以下記事の沖縄戦の集団自決に関わる裁判の結果である。軍部が積極的に集団自決を強要した、という事実が一部にあったであろうことはあくまで蓋然性の問題であるが十二分にあったことと思う。しかし、同様に、それが「鬼畜米英」というスローガンのもとで刷り込まれた情報が前提にあるにせよ、「死して辱めを受けず」という一般認識のもとでの「あくまで自決」であった可能性も同様にあると思う。
 であれば、これをここまで政治問題として、寝た子を起こすような問題にまで拡大するのはいかがなものだろうかと思う。
 訴えを起こした方の軍人遺族の目線すれば、自らの先祖が沖縄の一般人を武力をかさに強制的に殺したと言われることは苦痛以外の何ものでもないという気分はよくわかる。けれど、これを裁判に持ち込んだことで、マスコミに大々的にこの問題がとりあげられたことで、結局は大江健三郎にとってのみプラスな結果になってしまったのは間違いがない。
その事実があるかなかったかは別にして、あるかないかで意見が対立するとに関しては、反戦の方向で記述がされるという事になってしまったように思う。教科書とかでは、その事実を確認・決定されるまでは「触れない」ではなく、あったかなかったかの論争があるものは、すべて「あった」とされているという玉虫色な、しかしあったという風に認定される記述が増えて行くことになると思う。事実、これを契機にして、教科書問題の中の記述でも、南京大虐殺が既成事実として書かれるようである。。。

 太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決」を命じたとするノーベル賞作家、大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、旧日本軍の元戦隊長らが名誉を傷つけられたとして、岩波書店と大江さんに出版差し止めなどを求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は元戦隊長らの上告を退ける決定をした。集団自決についての軍の関与を認め、名誉毀損を否定した大江さん側勝訴の1、2審判決が確定した。決定は21日付。
 原告は元座間味島戦隊長で元少佐の梅沢裕さんと、元渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次元大尉の弟の秀一さん。「沖縄ノート」と、歴史学者の故家永三郎さんの「太平洋戦争」の集団自決に関する記述をめぐり、「誤った記述で非道な人物と認識される」として提訴していた。