小説・漫画好きの感想ブログ

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「こんな日本でよかったね 構造主義的日本論」 内田樹著 感想   

 本年8冊目の紹介本です。
 内田さんのエッセイ的な本で、構造主義をキーに話を始めていますが、あれこれと話は拡散していっているのでまとまりとしてはさきに紹介した「下流志向」や「街場のアメリカ論」と比べると、まとまりとしてのインパクトは今ひとつといったところでしょうか。 
 ただ、生物界において人類だけに特有の「穢れ」についての次の考察は、最大の「ハレ」のお正月を過ごしたばかりなので、なかなかハッとさせられました。
 
 [何か」が存在し、それがある社会の決定的な価値基準に照らして「劣位」であったり「ネガティブ」であったりするから「触れないところに遠ざける」と普通の人は考えれる。
 死体は汚らわしい。だから埋める。
 そんな風に考えてる人はここでも原因と結果を取り違えている。
 死体を埋葬する習慣をねつ生物は人間だけである。
 なぜ、死体を埋葬するのか?
 汚いから?
そんなことはありえない。
 生物の死骸なんか、それこそ「枯葉」から「バクテリアの死体」まで、地上にごろごろしているのに、どうして人間の死体だけが「汚い」とされるのか?
それはあえて逆説を弄ぶならば「人間の死体は生きている」からである。人類は葬礼という習慣をもつことによって他の霊長類と分かれた。
 なぜ葬礼を行うのか?
理由は一つしかない。
 それは葬礼をしないと死者が「死なない」からだ。
 
 この一文は「穢れ」イコール「毛枯れ」であり、決して女性やら何かを差別するところにもともとがあったわけではなく、不毛、つまり豊穣の停止がそもそもにあり、それを社会から隔離するところに本義があるのだという論考でです。
 この論考と、この本の最初の最初のほうにあった、何か言いたいことがあるから文章が生まれるのではなく、文章を書くことによって、あるいは発語があってはじめて自分の言いたいことが生まれてくるのだというのを構造的に説明した部分が刺激的な一冊でした。

こんな日本でよかったね―構造主義的日本論 (文春文庫)

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