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グランドマスター 感想 ネタバレ含みます

映画「グランドマスター 一代宗師」 感想

今、わたくし、珍しいことに非常に悩んでおります。
えぇ、とても珍しいことでございます。いつもであれば、何事に関しても、筆の向くまま気のむくままにペラペラペラと立て板に水のごとく書き散らかして、あとでああこれは書き過ぎちゃいましたねと苦笑しながら頭を掻くようなわたくしでございすまが、今回は非常に悩んでおります。
何をって、今日見た映画のことでございます。
グランドマスター 一代宗師」。あの王家衛(ウォン・カーウァイ)監督が取ったカンフー映画でございます。
ウォン・カーウァイ監督のもと、トニー・レオン、チャン・ツィー、チャン・チェンの三人が主役とくれば「レッド・クリフ」でお馴染みのカーウァイ組作品ですし、主役のトニー・レオンが演じるのが、葉問。つまりは、ブルースリーの師匠にして詠春拳の伝承者とくれば、それはもう血湧き肉踊るようなカンフー映画となってるだろうし、それを紹介するのに何の問題があろうかというようなものでございますが、これが悩みます。
えぇ、悩むのです。

(全文書き上げたあとで以下の文章追加します。
以下の感想は、具体的なストーリーや細かいシチュエーションには触れませんが、広い意味で興味を殺ぎそうな表現もありますので、自己責任で読んでくださいませ。今のところ見に行く予定はない人は安心して読んでください。見に行く予定の人には、読んでおいて欲しいようなそうでないような、、、あぁ煮え切らない)

というのも、、、ネタバレがない範囲で書くとして、この映画、たぶん多くの方がこの映画を見るまでに思っているであろう予想と内容が全然違うのです。もちろんカンフー映画ですし、アクションはもう専属の武術指導スタッフが3年もかけてそれぞれに仕込んだだけあって見事なものです。ジャッキーチェンのカンフー映画以上にカンフー映画になっております。
しかし、しかしですね。事前の予備知識をもたずに、映画館の予告編やポスター(特に「どれだけ愛を失えば頂点にたてるのか」というキャッチコピーつきのポイター)を見た人が思い描く映画とは全然違うのです。
僕が思い描いていたのは、トニー・レオン演じる葉問を筆頭に中国全土から幾人かのカンフーの達人たちが集まり、天下一武道会的に、あるいはそれぞれがどこかで立ち合い続けて誰が一番強いか、どの流派が最強を決める、そういう物語だと思っていたのです。少なくとも、そこを軸に恋愛ものが絡むようなものだと思っていたのであります。
しかし、しかし、しかし!
そうはならないのです。映画の筋としては、そういう方向ではなく、要問を中心に、当時の武術の達人たちの伝記のような形で進んで行くのです。葉問と、チャン・ツィー演じる若梅は一度だけ拳を交え、ラブロマンスの萌芽のようなものが芽生えるなどの関係性を持ちますが、あとは、、、。
もちろん、これはこちらの勝手な思い込みであって、ウォン・カーウァイ監督はそもそもそういう映画としてとっていなくて、ブルースリーの師匠だったという葉問の興味深い人生を描きたかったのだろうし、それとあわせる形で同時代の拳法家たちの人生を描きたかったんだと思います。そして、彼等が香港にすべて集まったような時代背景(日本軍や中国内部の国共内戦など)を描くこともしたかったのだと思いますが、カンフー映画、天下一武道会的なものを期待して見にいくと、思いっきり肩すかしを喰らいます。
特に、三人のうちの一人の「カミソリ」の渾名をもつ八極拳の使い手を演じる彼は、果たして登場する意味があったのだろうか、いつ彼が動くのか、いつ彼が物語に絡んでくるのか、と思っているうちに映画が終わってしまって、あれあれあれ? という状態です。ぽかーんとなってしまうことと思います。僕はなりました。もう「やるやる詐欺」的な扱いじゃないか、いっそこれはギャグなの? とさえ思ってしまいました。

とはいえ、アクションは前述の通り、凄いです。
三人ともとても鍛錬を積んだのがわかります(文字通り「功夫を積む」=「修練を重ねる」ことをしたのだろうと思います)。それぞれが、詠春拳八卦掌八極拳をふるって戦うシーンは素晴らしいです。自分がむかし中国憲法をかじっていたこともあって、その動きには見惚れてしまいます。それぞれの流派の特性がしっかりと動きの一つ一つ、足運びの一つ一つ、指先の気の流れの一つ一つにまで神経が使われているのがわかって、そこを見るだけでも映画としての価値はあります。
それをまた、ウォン・カーウァイ監督が雨の中での戦闘や、時間を引き延ばしてスーパースローで見せる手法などを使って、よりダイナミックに、より繊細に、より流麗に見せてくれるので、「カンフー」映画としては大変素晴らしいものなのです。同様に東洋の美ということに関してもきれいに映像化してくれています。
だからこそ、とても感想が難しいのでございます。
予想していたのとは全然違うのだけれど、カンフー映画としては、「カンフー」を主題と考えたらこれ以上ないくらいよく出来ているのです。けれど、もしいわゆるジャッキーチェンの映画やブルースリーの映画のような、或いはもっとベタに「北斗の拳」や「少林寺」的な映画を想像している人におすすめかというと、「う〜ん」と悩んでしまうのです。しかし、明らかに宣伝はそっちのベクトルを強く推しているから、間違いなく誤解する人は多いんだろうなぁと思うだけに、悩むところなのです。

あと、個人的な感想をいえば、この作品で描かれる「葉問」の姿が、ある意味、理想の達人であることの方がとても気になってしまっています。僕ら、もしくは厳密に僕という人間が理想と考える憲法家、拳士のありようが、まさに彼なのです。
強さには自信がある。そして本当に掛け値なしに強い。
そして、それを公言して憚らないし、無礼な人間にはしっかりと徴発をする。
しかし、筋を通して、無用な戦いはせず、常に微笑を讃え、外見の雰囲気は文人といったほうがいいくらいに端正なたたずまいで、微塵も暴力の気配を見せない。微笑を絶やさない。
(誰かが小声でいってた、ちょっと男前になった99の岡村みたいという言葉さえ何処かにいきます)
もう、本当に理想の憲法家であり、師匠であり、師範なのであります。
そういう意味でも、「カンフー」の達人の理想像を描いてくれているこの映画はよく出来ていると絶賛しても間違いはないのです。

しかし、トータルで見てみると、最初の「ボタンの掛け違い」からくる違和感が拭えず、なんとも評価しづらい状況に陥ってしまい、どう書いたらこのもやもやとした感じが伝わるだろうと思い悩むのであります。気がつけばもうすぐ日付が変わろうという時間でも悩んでおります。
ここまで歯切れの悪い感想というのも初めてでございますが、、まま、正直に書こうとすればするほど泥沼に入りそうなので、このあたりで切り上げさせていただきます。「エイリアン0」であることを隠して「人類の起源」とか「巨人達の星へ」みたいな煽りでミスマッチした「プロメテウス」を思い出せてしまうのもよくないのかも知れません。
誰か見にいった人の感想を聴きたいところです。