小説・漫画好きの感想ブログ

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「ダンス・ダンス・ダンス」村上春樹著 感想

 大傑作「ダンス・ダンス・ダンスの感想」は主にこちらに書いています。 
 上巻の紹介ではざっくりと村上春樹作品における「ダンス・ダンス・ダンス」の位置とあらすじを書きましたが、こちらではこの作品がいかに素晴らしいか、またいかに特殊なのかということを書きます。
 
 まず、この作品の素晴らしいところは、この作品が、多面的でありつつもそれが見事に融合している稀有な作品であるというところを挙げたいと思います。この作品は、喪失の物語というある意味純文学的な物語でありつつも、ミステリー小説であり、社会批評であり、恋愛小説であり、ビルディング小説であり、それでい哲学的な要素もたぶんに含んでいます。そしてそれぞれが高いレベルで融合しています。読み手によっては、これは優れた恋愛小説であり、優れたミステリー小説であり、優れた社会批評である、とそういうことです。普通の小説では、そういうことはあまりありません。恋愛とミステリーの融合であたり、純文学と社会批評的なものの融合などはありますが、ここまで色々なジャンルの小説が高いレベルで融合しているケースというのは他に見当たりません。
しかも、それが村上春樹独特の文体と比喩の多様により、まずもって「物語」としての娯楽性・愉悦をたっぷりと持ちながらというのですからたまりません。

 次に特殊な点は、この「ダンス・ダンス・ダンス」という作品は、読み手によってクライマックスシーンが全然違うということが挙げられます。どういうことかといえば、これは随分昔に村上春樹のこの作品を読んだことがあるという人に色々聞いた中でわかったことなんですが、この作品に限ってはどこが作品のクライマックスというか主題の終了ポイントか、という印象が人によって全然違うのです。
 例えば、ある人にとってはこの作品のクライマックスというかラストは、主題であった「キキの失踪」の謎が解けた時点であり、またある人によっては友人の五反田くんとの会話であり、ある人によっては13歳の美少女ユキと『僕』の別れのシーンであり、かつまたある人にとっては「羊男」とのラストであり、僕みたいに恋愛のほうに寄っている人間にとっては文字通りユミヨシさんとのシーンが本当の本当のクライマックスであったりします。
 何故こんなことが起こるのかというのは、前段の多面的な物語性によるものではあるんですが、それ以上に、読み手がどの部分の「僕」と共感したかによるようで、このあたりも読み終わったあとに色々話をして盛り上がったりするのに凄く具合が良かったりします。
 そんなわけで、ずいぶんとベタぼめしてしまいますが、この「ダンス・ダンス・ダンス」は舞台が今からするともう30年近くも前で、もちろんのことながら携帯電話もなく、ポケベルもなく、カルチャークラブやマイケルジャクソンが活躍していた時代です。ですが、そんな時代の風を感じながらも、物語の中身的には今読んでも十分に面白い作品に仕上がっていますので、是非読んで欲しい本です。
 100%お勧めいたします。