小説・漫画好きの感想ブログ

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天皇誕生日に思う ひめゆりの塔事件 川野純治の今 

 ひめゆりの塔事件とは何かご存知ですか? 
 自分は知りませんでした。たまたま今日は天皇誕生日だったので、現天皇陛下のことでもちょっと調べてみようとネットを漂うと(ご想像のとおりで「さかなクン」との兼ね合いでちょっと興味をひかれました)この事件に行き着きました。
 かいつまんでいうと、ひめゆりの塔事件とは、1975年7月17日に沖縄県糸満市で発生した、過激派による皇太子明仁親王(当時)および同妃に対する2つのテロ事件の総称とのことで、35年前にはノルウェイの森ではありませんが、学生運動のあとにまだまだこういうテロ的なことはあったわけです。
 どうしてそういうテロが起こったのかというと、当時は今よりもなお沖縄人の本州人に対する怒りやら独立意識が強く、天皇に対しての否定的な見解も今よりも遥かに高かったことがあるだろうことが下記のソースからも明らかなのですが、、今の時代の感覚すると大変に不思議なことですが、現実に今の普天間基地問題でゆれる沖縄を見てみると、本土では感覚がなかなか理解しにくいことも、ここらへんとリンクするとすとんと考えられるのかなと思います。

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沖縄復帰後に開催された沖縄国際海洋博覧会に際して、皇太子および同妃が沖縄県を訪問し、献花のために糸満市にあるひめゆりの塔を訪れることが伝えられた。これは皇族による第二次世界大戦後初めての沖縄訪問だった。戦後まもなく全国各地を回った「戦後巡幸」の際、昭和天皇は「戦争を防止出来ず、国民をこの災禍に陥らしめたのはまことに申し訳ない。この際、位を退くことも1つの責任の果たし方だろうが、私は親しい者を失った人、困っている人の所へ行って慰めてやり、働く人を励ましてやって、1日も早く日本を再興したい。そうすることが新憲法の精神に従った国民と皇室との関係を確立できるのではあるまいか」と、その志を側近に述べている。
「沖縄人自身による沖縄解放」を掲げていた沖縄解放同盟準備会は、1975年初頭には「流血も辞さないたたかいで皇太子上陸を阻止する」と宣言し、「十五年戦争における大日本帝国による侵略・植民地主義弾劾」「沖縄戦における日本軍による住民虐殺弾劾」及び「(その最高責任者である)戦争犯罪人・ヒロヒトおよび、その代理人である皇太子を糾弾する」として、1か月間の「皇太子上陸阻止闘争」を展開することを決定した。沖解同(準)は「前段闘争」として、6月18日に摩文仁の丘の日本軍慰霊塔に「日本軍の残虐行為を許さないぞ」、「皇太子沖縄上陸決死阻止」、「大和人は沖縄から出て行け」、「皇太子帰れ」などとペンキで落書きをした。
沖解同(準)は、最終的に7月10日に「『ひめゆりの壕』に潜伏し皇太子を待ち受け火炎瓶と爆竹を投擲する」という方針を決定し、同派メンバーの知念功と西田戦旗派のメンバーの2人が、県民からは「聖地」とも称される「ひめゆりの壕」に11日に潜入した。知念は、沖縄史ととりわけ沖縄戦の記録を読み漁ったあとに、壕に潜入したという。知念は、「この『闘争』は、皇太子および同妃の暗殺や殺傷が目的ではなく、皇太子及び皇族を『裁判闘争』に引き摺り出して『天皇制の戦争責任』を追及することを最終目的だったと主張」している。
また、屋良朝苗沖縄県知事の意向を受けた沖縄県労働組合協議会(県労協)は、幹部三役のみの会議によって「海洋博反対」、「皇太子訪沖反対」については取り組まないことを決定するが、アメリカ軍基地労働者で構成する全軍労(のちの全駐労)や自治労沖縄などの労組によって、海洋博会場付近および那覇市内、糸満市など沖縄南部などでの沖縄各地でのデモや、様々な業種での時限ストライキや抗議職場集会が実行され、延べ数万人が「皇太子訪沖反対」の意思表示を行なった。
 またテロの具体的行為としては、7月17日正午頃、糸満市にある白銀病院に病気を偽装して「入院」していた「患者」と「見舞い客」に偽装した沖縄解放同盟準備会の活動家2人(川野純治、他)が、病院の下を通過する皇太子および同妃の車両に3階のベランダから「皇太子帰れ、天皇制反対」等と叫びながらガラス瓶やスパナ、石などを投擲し、警備車両を破損させた。2人は公務執行妨害の現行犯で逮捕された
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 個人的には今の象徴天皇制というのは変に右翼っぽい皇室至上戦争主義でもなく、さりとて共産主義的なブルジョワジーや皇室打倒でもなくて、いかにも日本的なバランスのものであるので、変に動かさないほうがいいシステムだと思うのですが、このあたりの時代感覚からすると天皇を排除すべきというのは、当時の沖縄ではわりとポピュラーな(少なくとも決して奇異の目で見られるようなものではないという程度には)意見だったのだろうと思います。
 さて。
 どうして僕が今日のこの日に、「そんなことがあったんだな」だけですまさずにあえてここに記事をあげたのかというと、さきの記事に出てきた、今上天皇および皇太子妃にスパナなどを投げてテロ行為を行ったとして逮捕され1年6ヶ月の刑罰を受けた川野順治が本年2010年に名護市議選で当選しているという事実を知ったからです。
 この川野さんという人。沖縄の人かと思いきや、データを見る限りでは下のような経歴。いわゆる活動家と呼ばれる人のようで、この人が通るということは、今の沖縄はたぶん我々本土の人間が想像するのとかなり別種の感情があるのではないかと思われます。
 今年に紹介した「琉球処分」のときにも触れましたが、沖縄では本気で日本からの独立や琉球の復活、台湾との交流復活というのを意識している層も案外いるのかなと思われます。
 この2010年という年はあとから振り返ってみると日本の歴史の大きなターニングポイントになる年なのかも知れませんね。

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 熊本県生まれ、鹿児島県出身の新左翼党派の沖縄解放同盟準備会の極左活動家(現在の所属は不明)で、沖縄県の白銀病院でテロ事件を起こした。現在は沖縄県名護市市議。
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