小説・漫画好きの感想ブログ

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映画「ノルウェイの森」感想 

 村上春樹の大傑作ベストセラー小説「ノルウェイの森」。
 1960年代を舞台にした、主人公のワタナベ、直子、緑の三人の恋模様を描いた小説で、「世界の中心で愛を叫ぶ」が出るまでは、日本の印刷物(辞書なども含めた)での、出版部数第一位をずっと保っていた名作で、、発売当時には社会現象にまでなったという作品です。
 ということで、映画「ノルウェイの森」を見てきました。
 昨日の仕事のあとに、レイトショーで見てきました。
 本当は15日に行こうと思っていたんだけれど、どうしても我慢できなくて仕事が早く終わったのもあって見てきましたので感想書きますね。

ここから下は映画「ノルウェイの森」のネタバレ感想です。
気をつけて下さいね。一応たたみます。


 
 何の感想から書こうか、どこを取り上げようか、色々と迷いますが、、、どうせ避けては通れないのだし覚悟を決めて全体を通しての評価からいきますと、、、、100点満点中30点くらい、です。
 いや、これはあくまで個人的な感想です。
 中には、この「ノルウェイの森」は悪くなかった、大絶賛だったという人もいるかも知れません。でも、でもですね、個人的には、少なくとも僕にとっては、この映画はひどく期待はずれでした。
 それは、一にも二にも、キャストの女優陣がハツミさんを除いて全く魅力的でなかったという一語につきます。直子も緑もレイコさんも、言い方を変えればワタナベと交わることになる三人の女性が誰一人として魅力的に見えませんでした。確かに、直子は、精神に問題を抱えていてサナトリウムで療養することになる女性ですからかなり神経質でバランスを欠いたところのある、少し狂気を感じさせる女性ではあります。でも、本質的なところでは、日本の古典的な女性としての属性と、狂気をはらんでいるが故にそれこそ日本人形的な美しさも垣間見える20才のまだうらわかき女性であったはずです。しかるに、この映画での直子役の菊地凛子はおばさんにしか見えませんでした。
 失礼、おばさんといっても綺麗な人や魅力的な人もいるはずですが、生活に疲れた感じやみずみずしさが全く抜け落ちた女性にしか見えませんでした。ワタナベ役の松山ケンイチがカメレオン俳優のスキルを見事発動して、高校生時代の回想はともかくとして大学生らしく見える演技をしていたのに対して、直子はどう見ても20才の女性には見えず、また映画という短い時間の中では直子というキャラの繊細さや自分自身でも分からないうちに傷つき恋人の自殺に対して自責の念を持ち続けて精神を病んでしまったという、ある意味ではすごく誠実に人生に向き合おうとして迷子になってしまった可哀想な子供という、保護欲を駆り立てる女性像を結べないままに終わってしまったように思えてなりません。
 実年齢がほぼ30才というのに20才役というのはかなり無理があったのではないでしょうか。監督のユアン監督は、自分からこの役を志願してきた凛子を見てどう感じたのでしょうか。ひょっとしたら外国人から見ると、日本人は幼く見えるということで化粧っ気のあまり感じられない彼女を見て、十分いけると判断したのかも知れませんが、同じ日本人からするとちょっと苦しいなというのが偽らざるところです。透き通った、冷たい、でも芯には狂気をはらんだ炎が見える直子は決定的にイメージと違いました。
 続いて緑。
 こちらも(何度も繰り返しますがあくまで個人的イメージでは)かなり違った感じでした。緑は、エキセントリックで、自己表現が強くて、コケティッシュで、でも両親のことで本当に疲れていて、元気なふりをしていないと倒れてしまう中身は一番弱い女の子です。でも、外面的にはキュートで魅力的で自由奔放に見える少女のようなキャラクターの筈です。
 けれど、、、水原希子さんは、最初の登場シーンの大振りなサングラスをかけて初登場するシーンこそ、まるで昔のフランス映画の女優さんみたいで時代背景を考えると、ありかと思ったんですけれど、、見ているうちにやっぱりハーフっぽい外見、それもラテン系のハーフっぽい外見がかなり違うんじゃないかなぁと違和感しきりでした。また、これは彼女の演技力が薄いのか、映画の中での描写シーンが直子にかなり割かれていたためか、印象的なシーンが少なかったです。個人的には、あの「ノルウェイの森」の女性達の中では、言動ととっぴな行動でわかりづらいですが、一番の常識人で芯のところでは一番彼女にするのにはいい女性は、ワタナベが幸せになれるのは緑だと思うので、その緑が印象が薄く魅力的に映らなかったのは残念でなりません。
 原作でも、直子の狂気にひかれ、責任感で縛られるワタナベを現実世界に引き留める(引き留めきるには力がたりませんでしたが)役割は彼女が担っており、そこの強さと安定感が出ていなかったのも残念なところです。
 最後に、レイコさん。この方も、年はとっているけれど、美しく、過去のことで心に深い傷を負ってはいるものの、直子をなんとか立ち直らせようとして、ある意味、ワタナベと戦友のような立ち位置になったレイコ。彼女とワタナベの物語ラスト付近のセックスはそのあたりの事がしっかりあって、双方が現実に立ち向かうという意味があって再生のための通過儀礼としてのセックスなわけですが、あの描写では、物語をきっちり読み込んでいた人間にはそれがわかるかもしれませんが、物語を知らない人からすると、どうしてこのワタナベはそんなに誰とでも寝るのか? という風に受け取られかねません。あそこは、直子のお葬式の一部として存在しているシーンなのに。。。しかも、「ノルウェイの森」を彼女がギターでひくというシーンがカットされてしまうと、作品タイトルの主要なところがカッとされているのと同義で、、、一番このシーンの構成が僕は納得いきません。
 しかも、、、、このシーン、あんまり生々しいことは言いたくないのですが、、、なんか描写がおかしいのです。旅から帰ってきたワタナベを、彼のマンションで待つレイコさん。部屋に通されて腰掛けるレイコさんを横目に、身体を洗ってきますと風呂場へといくワタナベ。彼がシャワーを浴びている音が聞こえる部屋で、生唾を飲み込むレイコ。このシーン、これだと彼の肉体に惹かれたようにしか見えないんですよね。そして、彼の部屋で夕食後、寝ることを提案したレイコがシャワーを浴びたあとに自分の身体をしげしげと、しかし直視したくないものを見るように眺めるシーン。原作を読み込んでいればこれは十何年ぶりにセックスすることに対する恐怖であり、恐れである部分を感じ取れるかも知れませんが、、それを抜きにみると自分の老いに恐怖するような感じに見えてしまいました。原作での二人のそれは、冗談を言い合いながら、でも、そこに確かに再生の何かが感じられるシーンなんですが、残念ながら映画ではそれは感じにくかったです。
 、、、なんだか酷く書いてしまっていますが、じゃあキャスト全員がダメダメだったのかといえば、そんなことはなくて、ワタナベ役の松山ケンイチは流石です。ちょっと能動的すぎるところもあるし、原作通りとはいいながら台詞にあまり抑揚が感じられなくてささやくようなしゃべり方が強すぎるきらいはありますが、それでも、十分にピュアで受け身な「僕」を演じきった、と思います。大絶賛とまではいかなくても、他の誰がやるよりも納得できるワタナベを演じたのは本当にいい意味でカメレオンだなぁと改めて感服いたしました。
 また、女性キャストの中においては、ハツミ役の初音映莉子さんは、まさに完璧にハツミさんそのもので、お嬢様でシックで上流階級の女性をあの短いシーンできっちりと演じられていたと思います。小説の中では、いくら上流階級の存在として彼女が描かれても、他の人たちとどう違うのかが分かりづらかったのですが、この映画では、彼女の存在だけで「あぁ、なるほど」とわかりましたし、長沢先輩と彼女とワタナベがレストランで食事しながら「女の子の交換事件」を告白させられるシーンは、鳥肌がたつくらい、たんたんとした台詞の中にハツミさんという人がしっかりと表現されていたと感じます。
 (こういう短いシーンでも表現できる監督だし演技指導ができるからこそ、余計に直子と緑に腹がたったりもするのです。。。。。)
 
 ちょっと視点を変えて、キャストと演技はさておき、映像に関しては、まず時代感、時代の空気の演出はすごくよく出来ていたと思います。自分なんかはこの作品世界の時代には生きていないんですが、服のデザインや化粧の仕方、家具、学生寮の中の様子、台所がシステムキッチンではなくて流しで、水道蛇口の先についている半透明の何かであったりとした小道具の色々に、ものすごく時代を感じました。たぶん今のすごく若い人からすると異世界的に違う世界なんでしょうけれど、僕はこの時代に生きていたものがまだ残っている時代に子供だったせいか、いろいろな小道具の一つ一つに、すっかりと忘れていた記憶や情景、空気を思い出させられました。このことについては、なぜだか他の映画作品よりもその感覚は強烈でした。
 学校のシーンも、たぶんロケは早稲田大学かどこかだろうとは思うのだけれど、なぜだかシーンシーンの一部、例えば講堂から出たところや、デモが動くところや、回廊のシーンなどでは自分が通っていた神戸大学の学内がフラッシュバックのように鮮烈に、強烈に生々しく思い出されたりして、一瞬見ている自分がその過去の世界にいるような不思議な感覚になったりもしました。
 大学生の頃の空気ってたしかにこんなだった。自堕落なところもあったし、いたるところで出会いがあって、今だと捕まるけれど、普通に飲酒して深酒してそれでも全然酔わなくて女の子とかと遊んだり車でドライブいったり、ボーリングいったり、玉突きにいったり確かにしていました。そういう忘れていたあれこれがめまぐるしく思い出されました。あの、あざといくらいにオレンジを多用した、ノスタルジーを誘う色彩のゆらぎと、緑一色、白一色の山々のシーンなど、そういう部分では心の襞に妙に響いてくるあの原作のもつ雰囲気、我々は何かを確かになくしてしまったけれど、確かにあのとき何かを我々はもとめてもがいていたし、人からみればどうでもいいことかもしれないけれど自分自身にとっては輝かしい何かがあったんだ、けれどそれはもう失われてしまったという喪失感を、きっちりとこの映画は再生していました。
 キャストの部分と演技や演出には不平不満をさんざん書きましたが、そういう部分では、高い評価ができると思います。
 
 でも、総合でみると、やはり直子と緑が魅力的でない、魅力的でないからこの二人の間で悩み苦しみ、はたからはそうは見えなくても苦悩するワタナベというのがピンとこなかったというのは、作品のストーリー部分をキモとして考えるならば、映画としては辛い評価にせざるを得ません。
 直子が可哀想でほうっておけなくてどうしようもないから、その壊れかけた魂に惹かれているから、素直に緑に意識を向けることができなくて、悩み苦しみ結果両方を傷つけてしまうワタナベというのを、小説を読んでいない人に感じされるのはかなり難しいかと思います。
 だから、最後の方で直子が死んでしまったことに慟哭して、まるで昔のシアター系映画のように海辺で無音で絶叫する松山ケンイチのシーンが、どこかうすっぺらく感情移入できなかったです。あのシーンは、緑が、直子が魅力的でどちらにも決めきることができなくて、結局そうこうしているうちに直子を永遠に失ってしまったことで魂が破壊されるほどの衝撃を受けたそのことに同調できていないと、ちょっと冷めてしまうシーンだったのではないかと思います。
 
 あとは尺の関係でカットされたんだろうけれど、緑の父とのギリシア悲劇についてのくだりもカットされたし、キュウリと上野の会話もなしだし、火事を見ながらキスするシーンもなしだし、ヘルマンヘッセの「車輪の下」をとってくるシーンもなしだし、なんだかカットだらけで残念。細野晴臣さんとか、高橋幸宏さんとかYMOメンバーがちょい役で出てきたのとかは逆に嬉しかったんだけれどね。まぁ、でもそのへんは些末なことかな。

 ということで、全体的には評価はかなり低めでした。
 ここからは余談ですが、本当にこの映画は見終わったあとになんだかとても寂しくなってしまいました。
 たまたまですが、レイトショーだったからか、映画が終わって、自分が車をとめている階に車を取りにいくと、そのフロアーには自分の車しかいませんでした。何百台と車が入るはずの広い空間に自分しかいないのに、薄ら寒いほどに照明は明るくて、それが余計にものさびしさを同調しました。
 何フロアも車で降りて外に出たら、完全に外は人通りもなくなっており、信号にもひっかからず対向車もこないままに車を自宅近くまで戻ってきたのですが、その普段ならなんてことのない情景もこの映画のあとだったからか、とてつもなくもの悲しい感じになってしまいました。
 現時点で、まだ映画を見終わって24時間もたっていないので、うまくまとまっていないですが、あえて生の状態での感想を書いてみました。是非是非他にこの映画を見たよという人がいたらいろいろな感想を聞いてみたいです。
 以上、まとまりなくて申し訳ない!




下は、映画「ノルウェイの森」公式サイトです
http://www.norway-mori.com/index.html