小説・漫画好きの感想ブログ

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「ローマ人の物語35 最後の努力(上)」 塩野七生著 感想

 自民党政治が終焉を迎え、民主党が政権をとった日本は、今からさっそく安全保障や外交、国内の政治システムや税金の使途などについて大きく矢継ぎ早に政策を立案・実行していかなくてはならない。正直、実力が未知数の部分もあるが、それがどんな大きなことを成し遂げるのか、はたまた空中分解してしまうのか、同時代人としては注目せざるを得ない。
 ただただ政権交代したところで満足していてはなにも始まらないし、ある意味密約なども含めて自民党政権の闇だった部分をどう処理していくのか、という話もあり、ここからが正念場ともいえる。いつの時代であれ、国を統治するというのは大変なことだし、夢と理念だけでは押し切れない部分もあり、そこをいかに国民に納得させられるか、魅力があるものに見せられるかも大事な要素であるが、それができなかった自民党が敗れたというところは民主党には多いに勉強してもらいたい。
 さて。
 そんな日本の政治状況を考えるときに、ちょうどこちらが読んでいたのが「ローマ人の物語」である。紀元前から始まったローマ人たちの物語も、今巻では四世紀へと時代は移りローマ帝国がかなり没落していく中で頑張った皇帝たちのお話で、日本の今の政治状況とあわせて読むとなお味わい深かった。
 この時代、ローマ時代でも初といっていい、皇帝(厳密には皇帝ではないのだがが4人に増えてそれぞれのエリアを分割して責任防衛するというシステムが生まれる。三世紀末に皇帝となったディオクレティアヌス帝は、それまでの皇帝と違って、白ではなく華美なトーガや王冠をまとい統治者としての差異を見せるかたわら、自分と同じほどの権力を友人にあたえローマ西部の守備を任せ、そのあとでは東西ローマそれぞれの皇帝下にさらに副帝ともいえる人物を配置、ローマを四分割して防衛統治させるというシステムを編み出す。それまでは、ローマには皇帝が君臨し、国の防衛は皇帝と各地方の軍団が行なうということであったが、この時代、北の果てではリメス防衛壁の向こうから蛮族がたびたび襲来し街を襲い、東方ではササン朝ペルシアが二代前のローマ皇帝を拿捕するなどという非常事態が起こり、そのうえ南部の北アフリカでも砂漠の民の叛乱が起きており、皇帝が一人で防衛できるような状況ではなくなっていたのだ。しかし、通常であれば、こういう統治の仕方は国内での権力闘争を容易に誘発して下手すれば内乱になるのだが、こと国を守るという事においてはそういう事態にもいたらず領民にとってはひさかたぶりの安全が保障された。
 ただ、こうした統治においてはそれぞれのエリアで軍団兵を補充することに人員も税金もが高騰し、またそのための官僚機構が肥大化するという悪弊が生まれた。防衛はなったけれど、財政的なピンチが拡大するという状況にローマ帝国は追い込まれたのだ。官僚というものは自律組織であるがために、どうしても肥大化、権益確保型になり、横とのつながりをたち、無駄な経費を生んでしまう。その罠にローマもはまってしまったのだ。
 こうした事態はローマ帝国、パックスロマーナに対して、ローマ人ならびにローマ帝国以外の人々に「ローマ」への憧れ・夢をもてなくさせてしまい、それがまた悪循環を生んでいくことになるのだった。二十年ほどの間、皇帝就任から一度も本国ローマへと戻らず、防衛のために滞陣と移動を続け、国防のために権力を大幅に周囲に渡しても国をまず第一にと考えたディオクレティヌス帝だったが、そのことがまた逆に国としての魅力を減じてもいた。
 国政とはやはりなかかな難しいものである。
 よかれと思っても、それがその目的を達成するが為に、かえって別の面で反発やトラブル・問題の種として生まれてしまう。政治とは技術である、といったのはフランス人だったか、まさに理念や理想だけではなし得ない世界である。バリバリのリアリストで、法治主義者でなおかつ神に祈っても神頼みはしない人間主義のローマ人にしても、難しいものである。
 こうした世界の歴史・政治の歴史から今の政治家は今何を学んでいるのであろうか。

ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫)

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