小説・漫画好きの感想ブログ

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ドバイ旅行記4 クリーク地区

 前回までのところではドバイの建築中の人工的な街並は、計画都市的に美しくゴージャスで清潔であるけれど、それに反比例して人の気配がないということを書きました。今回は、そうした「ドバイには人がいないのでは? 」という部分に対してのお話。


 市内観光を一段落した我々は、ゴージャスな地区をあとにして、昼食をとる予定のハイエットリージェンシー・ホテルへと向かっていた。そのホテルは、外国からの労働者がたくさん住むという旧市内中心部に近く、我々はそこへ向かう道すがらクリーク地区というところを通った。
 クリーク地区というのは、ドバイがまだまだ貧しかった頃、イギリスが実行支配していた時代も含めてずっと昔からこの国(当時は集落的な位置づけで国自体はなかったのだけれど)の中心にあり、他の国との交易をしていたところで、アラビア湾から入り込んできた海水が内陸へと入り込んでいる場所である。普通、我々日本人は海辺の川というと、山から湧いた水が各地の川に流れ、寄り集まって海の方へ流れているものだと無意識的に信じ込んでいるが、世界にはこのドバイにある巨大クリークのように、海から水が流れ込み、そして内陸のある地点で沼のようになって終わっているという所も結構あり、ここもそんなところの一つである。当然そういう海からの流れが入ってくるところというのは、港になりやすく、昔からそこはある程度貿易でにぎわっていたというわけである。
 ただ、そうした貿易も、一昔前には真珠漁なども含めて盛り上がっていたものの、二十世紀になって日本の企業が真珠の完全養殖に成功したために下火になったというから、変なところで日本とこのドバイは繋がっているものである。
 さて、そんなクリーク地区であるが、そこへ行くと、今までの町並みでほとんど人を見かけなかったのがまるで嘘のように人がたくさん溢れていた。町並みもいきなり猥雑で密集した感じになってきて、そこかしこに日本の地方都市のように派手な電飾をつけたお店が軒を連ね始めた。ようやくと人がそこで住んで暮らしているというのが実感できるようになってきた。民族衣装を着た人や、普通のポロシャツやズボンを履いた人たちがあちらこちらからどんどんと出て来ていた。 
 ガイドさんが言うには、彼らのほとんどはインド人と近隣のアラブ人たちで、いまやこの国の人口の80%は外国人であるが、その中でも安い給料でよく働くインド人は彼らの生活のあらゆるところに入り込んでいるという事だった。見ていると、ちょうどあちらも昼休みだったか、彼らはあちこちにあるヤシの木の木陰に寝転び、何かパンのようなものを食べ、やかましいくらいの大声で騒いでいた。しかも、時間が経つに連れ、あちこちのビルや建物から彼らが溢れ出し、すべてのヤシの木の木陰は彼らでいっぱいになってしまった。さすがに歩き回るのには暑すぎる気温(このときは確か40℃を越えていた)だからだろうけれど、街中の木という木の足下にインド人たちが必ず一塊になって寛いでいるというのはなかなか不思議でどこかユーモラスな雰囲気だったが、こういう風景があって、ようやくなるほどこの国はどんどん前進中で、エネルギーに満ちているのだという実感が湧いてきた。
 彼らは、出稼ぎの外国人労働者の例に漏れず、大変安い賃金で肉体労働をしている。
 月に日本円にして2万円から3万円というのがその給料である。 
 彼らはその中から日々の食事代を出し、家族に仕送りをする。女性は住み込みのメイドなどになり、月に1万5000円から2万円で働くという。
 直後に食べにいったホテルの食事が一食それぐらいであった事を考えると、なんだかむずむずと落ち着かない気分にさせられたが、それくらい貧富の差が激しくても働きにくる人が多いくらい国全体に仕事が溢れていて外国人を受け入れる余地があるのが今のドバイであるとも言える。
 もう一つ、このクリークのあるあたりには、この国で一番古い建物が残っている一画があるのだが、その地区にある建物がどれくらい古いものであるか予測はつくだろうか? これがなんとせいぜいが百年前のものであるという。
 この国では、30年ほど前に建国するまでは、どこかに定住する人がほとんどいなかった事と、あったとしても建物のほとんどすべてはヤシの木を切って作った小さな小屋のようなものでしかなかったこと、大きな館のようなものでもその作りは珊瑚礁をつみあげて漆喰で固めただけのものであったことから、気付いてみれば歴史的建築物として残っているのは一番古いものでも百年たつかたたずかのそれらがその一画にあるだけとなっていたらしい。ある意味、アメリカよりも建築物としては過去の何かがない国である。
 唯一例外的なものとして砦のようなものが一つだけあったが(それは現代では博物館となっていたが、15分もあれば展示物も含めて全て見学できるようなもので、50円くらいで入館できた)、それもとても小さくて二百年たらず昔のものでしかなかった。
 全ての意味で、国として、人がそこに定住し、新しい街を創り出したのが本当にまだ僅かな昔のことでしかないのだなぁと実感できるのがこのクリーク地区である。