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ドバイ旅行記3  人工的な街と人ごみの町 人工的な街篇 

 旅行記の土産話をスケッチ風の旅行記として書くという試みに早くも挫折気味^^ですが、まぁもう少し続けましょう。今回は、謫仙さんがちらっとコメントで書いてもらっていたような街のイメージについての話です。
 ドバイは確かにとんでもなく人工的で、作り物めいた街ではあるのですが、それだけでもないんですよね、これが。ここにも二律背反の両極端な世界がありました。


 ホテル到着のあと、荷物だけを置いて市内観光に出発。
 バスによる市内観光が始まってしばらく、自分は、町の景観に奇妙な非現実な感覚を感じ始めていた。
 というのも、市内の中央通であるシェイク・ザイード通りを通り抜けながら見る海岸沿いの住宅地の光景があまりにも単調でシンプルすぎたからだ。
 普通どこの国であれ、家というのはそこに生活感があり、いくら建て売りの住宅であってもそこにはそれなりに個性があり違いがあり見ていて面白い物だ。それが、その住宅地にある家は、何の特徴もない四角い箱と呼ぶしかないようなもので、あまりにもデザイン的に面白みがないものだった。陶芸の素人が粘度をこねて四角い箱をつくりました、というような形を想像してもらったらいい。そういう家なのだ。それが一軒だけならまだしも、そんな四角い家が何十軒、何百軒とえんえんと続いていくのだ。まるで同じ所をぐるぐるとループしているような、そんな錯覚に陥るくらいに同じ家が並ぶ道をバスはひた走っていた。 
 その住宅地のある海岸線は、ガイドの情報によれば本来は割合に高級住宅地のはず。
 はずなのだが、それでもそこで目にできるものは、素朴なといっては失礼ながら、まさに四角い箱とよぶしかないようなそっけない家がえんえんとずっと続いていく光景ぱかりだった。たぶん、じっと近寄ってみれば、それらは日本の一般家屋よりは大きな家で豪邸と呼んでもいいようなサイズなのだろうが、あまりにもシンプルすぎた。だから、同じようなそういう建物がずーっと数キロに渡って続いている光景はなんだか非現実的だった。
 聞けば、ドバイの国民には、一定年齢になれば、無料で土地や家が国から自動的に支給されるのだという。ひょっとしたら、これらの家はそういうものなのかも知れなかった。
 ただ、そういう光景をしばらく眺めていると、突然にバスは海岸のほうへと折れていき、いきなりバスは海底トンネルへと入っていった。失礼な話ながらこの国にそんなものがあるとは自分は全く考えていなかったが、バスは確かにトンネルに入り、そのトンネルを抜けたところで自分が目にしたものはそれまでとは一変、まるで夢のように豪華な建築物の山だった。
 日本でもしばしばテレビでリポートされていた、パーム、と呼ばれる人工島の中に自分達は乗り入れていた。パームとは、海の上に浮かぶナツメヤシの木の形につくられた人工の島である。数年前に作られたこのパームと呼ばれる島には、二千室ほどもあるマンションと、それと同じくらいの数の一軒家がやしの葉の形にあわせた土地に沿って建てられていた。一軒一軒がアラビアチックなデザインで作られたその島にあるものはどれもが贅沢で意匠に凝っていた。さっきまでの無味乾燥な家と比べると、こちらはファンタジーに出てくるような世界だった。
 無機質でそっけなさすぎる幾何学的な家に、装飾の多いアラビア的な家、どちらもその国らしいといえばそうなのだが、その二つが完全に分類され、全く1ミリたりとも混じり合う事なく、別々の地区に独立して存在する。お互いが、自分達以外の建築様式の街など想像もできないといったような感じで完璧に独立し、それでいて隣り合わせに区画を作り上げている。それは自分からすると、落差があまりに激しすぎるし、まるでシムシティーで街をつくったかのような、とってつけたような非現実な感じ、悪くいえば嘘っぽさが圧倒的に感じられた。
 例えば、一例を挙げると、そのパームの奥にあったアトランティス・ホテル。
 ここもまた去年にできたばかりの新しいものらしいのだが、このホテルの中には巨大な水族館があり、その水族館の上には急滑降のできるウォータースライダーがついており、さらにそのスライダーの先には鮫が泳ぐ水槽やイルカと戯れることができる水槽などが繋がっているという。ホテルの最上部は西と東に塔があり、それを繋ぐブリッジスイートというのもある。日本の感覚でいうとマンションの埋め立て地にあるにしては豪華過ぎて考えられないホテルである。何のためにそこにそういうものがあり、それを誰が利用しているのかまるでイメージが湧かないような物が、回りとは完全に遊離して、なのにいきなりごく普通にそこにある。なんだか本当に作り物すぎるくらい作り物的で、非現実的である。
 ちょっと舞台裏にまわってみたら、はりぼてだった。
 そういわれたほうがまだしっくりとくるような深みのない、とってつけたような、それでいて豪華極まりないもの。そういうものを僕はこの旅の間中、ずっとあちこちで見た。例えば、その日の次の観光地であったドバイショッピングモールもそうだった。そこは世界一巨大なショッビング・モールというもので、何百メートルという建物面積を誇っていた。歩けど歩けど終わりないショッピング・モール。しかも、入っているテナントは、正面玄関から順にロレックス、タグ・ホイヤー、ロクシタン、エルメス、シャネル、フィリップ・パテックス、アルマーニ、などブランド音痴の自分が見てもわかるような店が延々と並んでいて、それらがこれまたずーっと続いていく。そして、そのモールの真ん中近くには砂漠の中のショッピングモールだというのに、アイススケートリンクが解放状態で置いてあり子供達が何人か滑っていたりする。またモールの他の場所では再び巨大水族館がある。無料で見れるスペースの規模は海遊館クラス。一体、ここはどこなんだろう? とそこで本当に僕は一瞬そう思った。 
 で、そこではたと、またもう一つしっくりこない違和感の別の原因にも気がついた。
 あまりにも人がいなさすぎるのである。自分はバスの車窓から一体どれくらいの人を見ただろうか? この異常に大きなショッピングモール、日本であれば一時間も散策すれば何千人という人間を見たに違いないところで何人の人を見たのだろうか?  少な過ぎないか? と。無論、周囲が無人だったというわけではない。ホテルでも何人かは見たし、モールでも数十人は見ただろう。しかし、それはあまりに少な過ぎないか? と感じた。
 ある意味、ここまでで観光した地区は建築物や建造物に対して人が少なすぎて、まだまだできたばかりの新しさとは裏腹に、人の少なさを一度意識してしまうとまるで廃墟のようにさえ感じられた。店舗がゴージャスで、贅をつくしていればいるほど、照明に力をいれていればいるほど、人の少なさが目につきすぎて虚ろだった。(同日に、パリス・ヒルトンも同じモールに来ていたらしい。、そういう人でないとほいほいと買い物できないくらいに高いものが惜しげもなく置いてあるのも確かで、セレブな作りではあるのだが、それだけに余計にアンバランスな人のいなさだった)
 
 ただ、、、ここまでのことは、あくまでこの国の一つの側面でしかなかった。
 その数時間後、クリーク地区というところで、今までに書いたことの全く逆の側面を自分は見ることとなった。