小説・漫画好きの感想ブログ

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村上春樹「1Q84」についてあれこれ 『シンフォニエッタ』ヤナーチェク など

 発売から一週間が過ぎたのでそろそろ多少は(まだあくまで多少はとしたいが)いいかなと思うのであらすじとか感想というほどではないけれど気になったこととか思った事を幾つか。ただ、「1Q84」そのものは今手元にないので読み返せないので印象に残っているというかちょっと気になったところだけ。
 ・「オウム真理教」はともかく「証人会」として描かれる「エホバの証人」などのこと。
 春樹さんって無意味にというか無神経に宗教的なことをいじることはまずない人ですから、ここで春樹さんが出してきたのには必然というか意味があるのだろうけれど、まったく架空のものではなく誰が読んでもエホバの証人のことなのだなとわかる記述にしたのはどうしてだろう。オウム真理教についてなんらかの解体を小説的にしようとして物語に登場させるためによりリアルにイメージをつけるために出てきた話なのか、それとももっと深い意味があったのか。
 ・「オウム真理教」的なものへの解体
 村上春樹氏は「アンダーグラウンド」「アンダーグラウンド2」で地下鉄サリン事件の被害者やオウム真理教に入信していた人たちへのインタビューなど積極的にしていました。そしてこの事件がある意味で彼が現実世界にコミットして行くという大きな方向転換になったのは周知の事実。そこに対しての一つの小説家としてのアプローチがこの作品だったのか。
 ・「二つの解体された世界」
 1984と1Q84という二つの世界と主人公。 
 二つの別の可能性をもった世界というと「スプートニクの恋人」がイメージされるけれど、あの世界の主人公も教職関係者で、子供のいる母親と不倫関係になっていた。「こちら側」と「あちら側」を行き来するのに深い井戸も必要となくなった今、ここに繋がりはどうあるのだろうか。
 ・青豆の選択
 ラストの青豆の選択は果たしてどういう気持ちの帰結としてああなったのか。というよりもどうしてそこでその選択をしたのかというところが深く謎として残る。ひょっとしたら「ねじまき鳥クロニクル」のように、上下ではなくて第三部が「BOOK3」として出てくる可能性があるのか? 或いはあったのか?
・ハングリーマーケットは誰が意図したのか。どこまで意識的か。
 今回の村上春樹さんの「1Q84」は極度に情報を制限して発売された。出版社の言葉を額面通りに受け入れれば「春樹さんの意向もあって、読者のために、素の状態で読んでもらいたいから」になり、自分もそれがあって即座に感想やレビュー、あらすじをこの「1Q84」にしてはしていないわけですが、、、これは典型的なというよりは狙いすぎたくらいのハングリーマーケットというビジネス手法でしたが、これはどこまで意識的だったんだろう。
 
 ・・・・ちょっとメモっぽくなりましたが、そんなこんながちょっと気になったしまた深く考えようと思った事でした。あと、ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』どんな曲か気になったので入手しようと思ったのですけれど、いきなり入院したので手にいれられずあれこれ調べてみたらYou Tube でチェックできたので一応はっておきます。あと、CDの購買もできるようにリンクも。自分も買ってみようと思っています。不思議な味わいの曲ですね。
 

ヤナーチェク:シンフォニエッタ狂詩曲「タラス・ブーリバ」

ヤナーチェク:シンフォニエッタ狂詩曲「タラス・ブーリバ」