小説・漫画好きの感想ブログ

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「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」 米原万里著

「貞淑な醜女か? 不実な美女か?」で有名なロシア語翻訳者の米原万里さんの自伝的エッセイ。
 他の作品には満ちあふれていた笑いの数々を押さえ気味に、著者の小中学校時代のクラスメートたちとその後の話が語られる本書は、とにかく読み応えがあるし、けっこう驚かされます。
米原さんの過去があまりにも凄すぎるのと、自分たちの世界とつながっている時間の流れの中でそんな時代がすぐ最近まであったんだということに今更ながらに驚いてしまいました。
 というのも、彼女は、1960年から64年、当時のチェコスロバキアの首都にあったソビエト学校に通っていました。そして、そこは当時の共産主義社会の兄弟国家の子弟が通う学校だったのです。彼女の父親は、当時「平和と社会主義の諸問題」という雑誌の編集職についていて、そこは各国の社会主義運動を一手に指導していたコミンテルや共産主義インターナショナルが運営しており、或る意味共産党運動家の集まる最先端の場所で、彼女の父親は日本共産党から派遣されていた日本代表だったのです。共産党というと、今と違って(今でも右も左も一部は大変危険ですが)非常に危険な事もたくさんしていた頃の話でしたし、まさに非合法なこともあった時代です。
 そんな中で代表であった彼やその同僚たちは、時代の変化ともに大きな歴史の流れの中に巻き込まれていきます。そしてまた、その娘である世米原万里も、本作で登場する三人の女友達のリッツァもアーニャもヤスミンカの三人も、それぞれにかなり波瀾万丈な人生をその後に歩むことになります。大きくなって、離ればなれになった三人を順番に訪ねた万里は、その人生の足跡を訪ねることになりますが、その彼女達の人生のワールドワイドな波瀾万丈さには驚かされます。
 例えば、ギリシャ出身のリッツァは、父親がその後のプラハの春の後のチェコへのワルシャワ条約機構の侵攻に対して反対論陣をはったばかりに裏切り者・非国民扱いされて国外追放されてしまいます。その後も彼女はチェコに残って勉強をして医者になるのですが、彼女が母国ドイツに思いを馳せる深さはとてつもなく強く、でも、国際的に生きた女性だから各国の人間たちの民族性や国民気質に対して加える論評は面白かったです。 
 また二人目のアーニャは、実は父親がチャウシェスクと親しく、ものすごい特権階級の暮らしをしていました。そして、チャウシェスクがクーデターで倒された後も、側近達はいまだに特権階級で生き残り、格差社会の中で王侯貴族のような暮らしをしています。著者はそれを知り、アーニャ本人が(そしてその家族は)共産主義者でありながらも人民の暮らしと自分たちの暮らしとのあまりの格差に対して無自覚で自己欺瞞だと思うのですが、それを口にする事ができません。そして、ふと彼女のその無自覚なくらいの変わり身の早さや、その時々の生活に完全に順応する様にあれこれ想いをはせたりもします。
 というようなわけで、三人目のヤスミンカにも、ものすごい秘密というか運命が実は待っているのですが、その前出の二人をも越える歴史的な物語は是非本編を読んでみて下さい。これ以上ばらすとネタバレしすぎだし、楽しみを削いでしまうのでストップしますが、かなりびっくりします。 
 さて。
 そのような訳でもの凄く読み応えがあった一冊だったのでしたが、自分が心動かされて衝撃的だったことが二点あります。
 一つには、こういう世界、共産主義の革命が本当に信じられていて、それに人生をかけた人たちがたくさんいて、それが一部の特殊な危険思想の持ち主達ではなく普通のインテリたちの中にいて、そういう人たちが世界中から集まって暮らしていた時代が、ほんのすぐ側の地続きの近い歴史的位置にあったことが、他のどんな本よりもリアルに感じられたことが一つ。もう一つは、やはりというか、それとも意外にもというべきか世界の国家の代表的地位にある人物の子弟達が小さい頃からの友達同士というまるで漫画みたいな世界が現実に、たとえごく僅かな地域の中のこととはいえ、本当にあったということ。グインの世界や、中世ヨーロッパでもあるまいに、と思うようなそういう付き合いが、共産圏国家同士の中とはいえ一部で存在していたというのが驚きでした。
 ともあれ、かなり読み応えのある一冊でした。
 5の5で、お勧めします。

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)