小説・漫画好きの感想ブログ

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地球温暖化阻止に向けての取り組みについての雑感・スタンス

 こんにちは。
 連休も半ばですねぇ。
 さて。前にアップしようと思いながら時間的な都合でスルーしていた話をちょっとします。
 ここんとこ連日のように地球温暖化についてマスコミにニュースがでますが、大前提として、これはやっぱり世界的なレベルでこの問題が人類にとって非常に重要な問題であるという風な認識が、ようようここにきて一般に定着してきたということだと思うんです。昨年の新聞媒体による世論アンケートでも、環境問題・地球温暖化問題について関心があるという国民は90%にものぼりましたし、「何らかの取り組みをしなければならない」と思う人も過半数を越えました。そして、意外なことにその為になら、コンビニや深夜放送を我慢できるという人がかなりの割合に上ることがわかりました。
 たいへん結構なことであるし、個人的な利害や感情論をさしはさまない問題の日本人のモラルというか倫理観もまんざら捨てたものじゃないなと安堵する数値が出ました。
 ただ、ここにきて揺り返し的に(或いは反・地球温暖化論陣にも影響されてか)、地球温暖化について懐疑的な意見の方も多く出て来ましたし、そういう主張を掲げる本もたくさん出て来ました。こういう中で、自分なりのスタンスを明らかにしたいと思うのが、このアップです。
 
 まず、これは大前提ですが地球温暖化は数ある地球の環境問題の中の一つであり、絶対唯一の問題ではないという認識は当然ながらあります。たとえばゴミ問題であったり、環境汚染や生態系の破壊なども、地球全体として人類全体で取り組んでいかないといけない問題です。温暖化問題もその中の一つですし重要な問題ですけれど、これさえやればとは何もしなくていいとは思っておりません。なんでそんなことを最初に書くのかというと、アンチ温暖化問題の人の論調によく、そんなことよりも目の前の環境汚染や食料問題、生物保護の事をしようというのがあるからです。しかし、それもこれもどちらも大事な問題であり、同時進行で解決していくべきだし、それはシナジー効果によって解決が図れる、逆にいえばそれぞれが単体では解決しない問題であるからです。
 例えば、日本の海ではいま地球温暖化によって水域温度が上がり、サンゴが白化して死滅していっています。当然、サンゴをベースにした生態系は大きく狂っています。その為に稚魚が育ちにくくなり水産資源の根底の部分の危機がきていますし、それらによって今迄は沖縄くらいでしか被害の出ていなかった毒をもつ魚による被害が四国や近畿でも出始めています。また北極では、地球温暖化によってホッキョクグマの危機がよく報じられていますが、それよりも実はイッカクジュウという鯨に角が生えたような生物のほうがピンチであることが最近の調査で分かりました。彼らの天敵のシャチが氷の減少によってイッカクジュウの生活圏に入り込んでくるからです。このように生態系の問題とも温暖化問題は結びついています。これは山のような例の一つですが、そのように密接に関連しているからこそ、同時に進行しなくてはならないと思うのです。
 次に、京都議定書やポスト議定書のそれぞれの二酸化炭素を筆頭とする温暖化ガス削減について、アメリカや中国が参加しなければ意味がないという議論についてのスタンスですが、実効性・効果という点においてはそれこそ効果は半減します。しかし、だからといって、やらなくていい、やらない方がましかといえば当然そんなことはありえず、「できる者からやる。やりながら全員が出来るようにもっていく」というのが正しいあり方だと思います。ここのところが、人によっては納得がいかないのでしょう。アメリカもやらない、中国もやらない。日本がどんなに減らしたところで、ヨーロッパがやったところで意味がない、それなら規制をかけるのは意味がないししんどいだけではないか。もっと突っ込んで言えば、削減のための諸々の行為がビジネスと直結しているからよくないという方もいます。一番最後のところの話は、あとで別枠で取り上げるので割愛しますが、「人がやらないのに自分だけやるのは嫌だ」というのはある意味、一番みていて悲しい論調であるし倫理的には残念だと僕は思います。
 これは例を挙げれば「駐車禁止なんてみんなやっているのに自分だけなんで取り締まられないといけない」とか「ゴミの分別なんてやっていない地区があるのにどうしてやらないといけないの」とかそういうのと変わらない理論だからです。誰がやっているかいないかの前に、変えれるところから変える、手をつけられるところから手をつけて、そのうえで大いに問題があるところへもアプローチを強める。それがあるべき姿だと自分は思います。だから、正直、アメリカや中国ぬきとなると世界全体での温暖化防止については効果は確かに半減なのはわかりすぎるくらいわかったますし、来日する胡錦濤さんにも、2025年には二酸化炭素排出量を拡大停止するなんていうあまりに場違いな発言をするクリントン氏にももっともっと理解と実行を促したいですが、彼らがやらないからといってしないのはそれこそ別問題だと思います。逆に、それに乗せられて自分達もやらなくて、「一番たくさん出すのはあなたのところなんだから、あなたのところからやらなければうちはやりません」なんて話で誰がやるというのでしょうかと思います。
 さて、最後にビジネスと絡んでいるのではという批判ですが、これはまったく的外れだと思います。というのは、ちょっと考えればわかる話なんですが、例えば胃カメラであったりレーザーメスであったりMRIであったりとかいうああいう器具を発明したり作成したり購入したりすること、それらで治療を受けることは、それらが無かったときと比べて遥かに費用がかかるようになりました。しかし、だからといってそれらを作ることが営利であったとして非難に値するでしょうか。公共施設や一般家庭で高齢者や身障者に対してバリアフリーにしたりスロープをつけることが果たしてビジネスと批判されるべきものでしょうか。当然違います。もし非難されるとすれば、それはそれが法外な値段であったり不必要なのになされる場合です。通常の蛍光灯をLEDに変えていく、これはビジネスであるかも知れないけれど同時に温暖化抑止に大きく貢献しているならば何の問題もないでしょう。繰り返しになりますが、もしそれで非難されるとするならば、不必要なものであったり、法外な利益を取るものの場合でしょうし、エコビジネスで儲けよう、みたいな煽り方で揶揄する人たちのほうではないかと自分は思います。
 特に、さきほどの地球全体の話とからめて考えるときに、日本がいかに頑張って全員が温暖化防止のために全力を尽くしても世界全体の排出量からすると僅かしか減らすことができません。そういう意味では効果していの実行力は弱いです。が、そこで全力を挙げるからこそ、世界に向かっても発信をすることができるし、地球に住むものとして僅かでも協力できることがあるならやる、やらなければ被害が増えることを座視して黙殺するのはやはり倫理的に納得がいかないと思います。そしてまた、日本はそもそもこの運動が始まる前から省エネルギーであったり、エコに関してのハードとしての技術、ソフトとしての暮らしの智慧はたくさん持っている国です。であるならば、ここに全力を尽くすこと、それを諸外国に技術的にビジネスにせよそうでないにせよ転化していくこと技術輸出していくことはむしろ日本にとっても嬉しい責任であると思われます。
 だからこそ、自分もそこにいま全力を注いでいるわけです。
 エコキュートにしろIHにしろ、もともとでいえば五右衛門風呂であったり灯油であったり都市ガスでもプロパンガスでも七輪でも「料理」や「風呂」に関しては同じ結果が出せる器具は多々あります。しかし、それらが地球温暖化に関しては、やはりエコキュートには(IHは安全面での意味のほうが高いのでともあれ)大きく水をあけられている品物であり、エコキュートへの切り替えが進めば進むほど二酸化炭素は減らせます。特に一般家庭における二酸化炭素排出の削減では、他のエアコンにしろTVにしろそこまでの削減幅が期待できるものはあまりありません。ひらたくいえば一般家庭の削減の切り札がこれなのです。
 蛇足的にいえば、エコキュートの場合にはガス代と電気代がたくさんかかる家にとっては実質費用負担0で出来るのもこの器具のいいところです。なにせ環境問題だったり温暖化問題は皆が意識して、何かしようと思っても、他のものでは費用がかかってしまいます。こまめにリモコンの温度調整をしたり、無駄な電気を切ったりすることもすごく大事だけれど、それよりも確実により多くの削減をコストなくできることが全員が参加できるメリットであると思います。逆に、だからこそ自分は関西では太陽光発電はすすめられないのです。どうしても投資コストとメリットのバランスが悪く、費用がやっぱりつ月に数千円はマイナスになってしまうので限られた人しか参加できない点でまだ切り札にできないかと。
 最後の部分は蛇足ですからあれですけれど、大枠の話でいえば、地球温暖化問題は他の環境問題と同様に重要案件であり、どれかを選ぶどれかを先にやるというような問題ではないということが一つ。それに対して、参加しない国があったらやらない、意味がないからやらないというのは論理のすり替えであり、あまりに倫理的にダメな理論であるということ。そして、それらがビジネスと絡むか絡まないかは、それが法外な利益を得るものでなければまたビジネスのみが主体でないなら問題でないこと。といったところが現時点での自分の考えとスタンスで、最後のところは庶民の立場からの意見の一つです。

 追記:地球温暖化というの自体が信じられないとか、温暖化が温暖化ガスのせいとは思えない、或いは温暖化そのものがマイナスと捉えられないというのはまた違う議論ですが、そういうのは諸現実が示すものを見ないでいるようなものだと思います。チベットの抑圧であったり弾圧を見たりしながら、或いはオリンピックの聖火リレーのありさまを見ながら「多少の問題はあるかもしれないが、ほとんどは歓迎している」という中国高官の発表が正しいんだという人はいますか? それと同レベルの話だと思います。
 もちろんのこと、すべての事が嘘で自分達が騙されているかも知れないという可能性はどこまでいってもゼロではありませんが、もし温暖化そのものがなかったして、じゃあなくす為に二酸化炭素排出量を減らして行く事、確実に数十年で枯渇する石油依存社会からの脱却のための技術革新や社会システムの変化をおしすすめていく事がマイナスかといえば、百歩譲って、そんなことが可能だったとして、温暖化の話そのものが嘘であったとしても人類や地球環境にとってはこの動きは有意義だし、意味のあることだと思います。 
 ということで、、、がらになく真面目な語りになっちゃいましたが。