「戦争と平和」 吉本隆明著 感想
本年89冊目の紹介本になります。
吉本ばななの父、吉本隆明の「戦争と平和」という講演を中心にまとめた本です。とはいえ、タイトルの「戦争と平和」についての講演はわずかに数十ページほどで、あとは横光利一の研究や、吉本隆明近くにいる編集者からの文章ということで、ちょっと内容的には薄い内容の本でした。自分にとっては、オウム事件のとき以来、吉本隆明の本を真っ正面から読むというのはほぼ初めてだったので、内容に共感できるかどうかは別にして、どういう理論構造を持つ人なのか、どんな理論が展開されるのかと期待して読んだのですが、これだけでは評価ができない薄さでした。
ただ、これを読んで思うのは、こんなことを書くと彼の信奉者・崇拝者の方からはずいぶんとお叱りを受けそうですが、吉本隆明という人はずいぶんと非現実的というか理論をもてあそぶタイプ、理論の前には現実社会というものに意味を見いださない人なんだなという印象を持ちました。
そう感じた部分をいくつかあげるとすれば、次のようなところ。
・国家というもの権力というものは一度握るとしがみつきたくなる性質のものなので、国民のほうにリコール権というものを付与しなければならない。国民の多くが気にいらない政府、政権であれば常にいつでも解体できる権利がなければならない。実際にはそんなことはあり得ないが、そうでなければ国民主権ではないし、国家は進歩しないし戦争は永久になくならない(つまりは戦争というのは避けられないものである)。
・しかしながら、戦争というものにおいて民衆がいかにあるべきかといえば、搾取する側される側と別れれば弱い方、搾取される側につくべきであるが、それでは敵側の民衆にとっては勝つ事になるので、民衆としてはどちらも意味はない。となれば、戦争はなくすことに全力を傾けるのが最良の方法であり、そのためにもリコール権を国民がもっていて戦争をしようとする国や政府があればそれに協力しないのが最善である。
・そして戦争をなくすには欧州共同体ECのような、国を開いて全体的なことは国という枠組みを開いてなくしていくことが大事(つまりは日本がアジア統合体のようなものの一部になることということでしょうね)。
・またもう一つの一番理想的なものは国軍というものを放棄することで、日本は憲法第九条によってその理想形態を獲得していたのに、「自衛隊は合憲」としてしまったがために、世界の中でも遅れた国家になってしまった。国軍をもつということは、武力を保持するということになり、戦争に巻き込まれる。
・韓国の慰安婦問題については、政府が額の多寡は別にして反省の言葉はいらないから永世補償をし続けると誓うこと。続いて長崎・広島の原爆の被害者がでればそれも全員必ず補償する。東京大空襲の被害も国が完全に補償する。そういうのがボランティアで今この国がやらないといけないことだ。
ずいぶんとおおざっぱに言うとこういうニュアンスが出てくるのですが、なかなかすべてに承服するというのは難しいですし、首をかしげる部分がずいぶんと多いです。ただ言えることは、吉本さんにとっては国家というものや政府というものはあくまで二義的なものであって、どうでもいいものなんだなということでしょうか。特に最後の項目については、言うは容易いけれどじゃあ現実にそれを誰が払うのかといえば、国民が払い続けるわけで、争いごとをなくすために、戦争というものに関わったものはすべて賠償するというけれど、それを未来永劫払い続ける必要や義務がそれこそ民衆にあるのかという問題は非常に疑問だったりします。
もちろん、この講演は戦後五十年の総括的講演のようですから、この本だけでは、彼がこの後に思想的にどのような変化・転向をしたのかは分かりません。このままの思想を今現在ももっているのか、それとも、思想的に変化して、右翼よりになったり、より左翼的になったりしたのかもわすりませんし、そういう検証をしないと現在の彼に何かを言う事はできないのですが、この講演時の吉本隆明氏については、個人的には非常に相容れない部分があるし、現実をあまりにないがしろにする思考や、理屈が理想にもなっていないと感じられる点が多いと感じました。
オウム真理教の教祖というか指導者の麻原彰晃をやけに擁護していた時があったのを断片的に見聞きしたときに感じた違和感は、こういうところにも通じるのだなと改めて思った次第です。
- 作者: 吉本 隆明
- 出版社/メーカー: 文芸社
- 発売日: 2011/02/04
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (3件) を見る