小説・漫画好きの感想ブログ

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映画「チョコレート」 感想 (めちゃくちゃ長いよ)

2001年公開の、ハル・ベリー主演のアメリカ映画です。
色々な意味で興味深い問題作で、是非色々な人の意見を聴いてみたい映画です。
人種問題、男女差別問題、格差問題、DV問題、銃社会問題、貧困問題、死刑問題。あらゆる問題が、短い時間の中に凝縮して提示されていて論点を絞るのも難しいのですが、ストーリーが比較的に単純なのでストーリーで迷うことはなく、見終わったあとで上記のような問題について色々と考える映画です。
ただ、見る人によっては、見るポイントも違うでしょうし、なにより最後のシーンのハル・ベリー演じるレティシナの表情をどう受け取るかで全然雰囲気が変わる映画だと思います(あとで僕なりの見方も書きますね)
大枠のあらすじはこんな話。
アメリカの片田舎の街で、黒人の男性囚人が死刑執行される。彼の死刑にあたった白人の刑務官父子は家庭内の問題を解決抱えており、この死刑のときのトラブルがもとで息子は自殺してしまう。父親の刑務官は引退するが、ふとした偶然でこの死刑にした黒人男性の妻と出会ってしまう。彼は少しずつ彼女に心奪われ、ついに二人は結ばれるのだが、彼は彼女に自分と夫とのかかわり合いについては伏せたままにしていた。が、紆余曲折の末に彼女はそれを知ってしまい、その時彼女は、、、というお話です。
ずいぶん端折って書きましたが、その中で上記のような色々な問題が提示され続けます。そのような社会メッセージ性が効いたのか、本作主演のハル・ベリーは第74回のアカデミー賞 主演女優賞に輝くのですが、、、その彼女の受賞そのものが、これが「初の非白人としてのアカデミー主演女優賞」だったことそのものが、ある意味アメリカ社会の問題提起であるようにも思います。

さて、ここからは多少のネタバレをしつつの感想ですが、、冒頭で述べたようにラストの、二人でポーチでアイスクリームを食べるシーンの解釈、これを僕は「彼女の諦め」と取ったが為にずいぶんと重くてやるせない映画のように思えました。
この映画を前向きに捉えるならば、これは二人の恋愛物語であり、人種をこえた癒しの物語であり、最後に二人でポーチに座ってチョコレートアイスを食べるシーンは、それこそお互いの希望のシーンと捉えるべきなのでしょう。チョコレートの暗喩も、「白人と黒人」の融合であり、「苦いこともあるけれど甘い関係」の暗喩と取るべきなのでしょう。
けれど、僕には、その前段での彼女が、彼の留守中に彼の正体に気付いてしまった瞬間に見せる恐怖・凶行・狂乱の様子が、それこそ信じていたけれど騙された女性の痛ましさに見えたし、その後のシーンの彼女の生気のなさ(正直、映画全編を通して一番この演技が凄いとも思いました。今までは輝くばかりに美しかった彼女が一気に何十歳も老けたようになり、魅力の輝きが突如として消えてしまうのです)からして、彼女の最後のシーンは、それこそ拒絶したくてももはやその道はなく、すでに寄りかかってしまって消せない烙印も押されてしまった哀しさを表現しているように見えてしまいました。
かなりネガティブな見方というか受け取り方かも知れませんが、、随所に見えるシーンごとの解釈からしてもそうなっちゃわざるを得ないなと僕は思いました。
例えば、、その白人刑務官のビリー・ボブ・ソートン演じるところのハンク。彼はもはや初老といってもよい年ですが、息子同様に性欲処理のために女性を買い続ける(しかも前戯もなしでやるだけ)といった性格破綻者ですし、黒人の子供を敷地から追っ払うためには拳銃をぶっ放すのを厭わないような黒人差別主義者です。何かといえば息子を小突き倒して、部下を叱責することで自我をたもっているような典型的なDV系の男です。息子が死んでも、墓に埋めるにあたっても侮蔑の言葉を吐くような人間です。
しかしながら、社会的には彼は勝ち組であり、強者です。やる気をなくして仕事を辞めたら、ちょっと思い立ったらガソリンスタンドをいきなり買い取って自分の店にしてしまう財力があり、父親が恋愛の邪魔になると思えば老人ホームにそのまま入れられるだけの経済力もあります。
そんな彼が、犯罪者の妻である若くて美しい黒人女性に出会うと別人のように振る舞います。
まるで初な高校生のようにゆっくりとおずおずと全てを差し出して、お金も家も車も全て「どうか遣ってくれないか」と差し出してゆきます。しかし、、それは果たして本当に愛情なのか? 僕には極めて懐疑的にしか見れませんでした。
というのも、上記のようなありていにいってしまえば人間として最低の男が、そんな簡単に変われるのか、生まれ変われるのかといえばそんなことはなく、、、その証拠こそが、逆説的にいえば彼女への異常なまでの献身的とも取れるくらいの執着と、情事の途中に「チョコレートが食べたい」とアイスを買いに夜中に車に乗って買い出しに行く彼の姿ではないかと思うのです。
彼は生まれ変わったわけではなく、今までの「抑圧する男」「父に逆らえない男」である自分というセルフイメージを、彼女を利用して「たよりになる男。人種差別もしない男」といういいセルフイメージに書き換えようと無意識にしていただけ、自分に酔っているだけ、もっと身も蓋もない言い方をすれば彼女の若い肉体に溺れただけのことで、それを失うのが怖いから必死になっているだけで、早晩その本性が出てくると思うのです。ある意味とても幼児的な執着です。
そして、その暗示のキーアイテムの一つが「チョコレート」ではないかなとも僕は解釈しています。彼は作品中盤で、チョコレートを店で食べます。そのときにもわざわざ「プラスチックのスプーンをくれ」という事をいいます。銀の、でも、ただのスプーンでもなく、プラスチックのスプーンです。これも幼児性を象徴していますが、最後のシーンで情事の途中で「チョコレート」が食べたいといって買いに行くシーン。これこそその現れではないかなと。
あと、彼女が彼の正体を知って恐慌のあとで放心状態になって、すごく生気を失っているのを見ても、まったくそれに気がつかず「きっとうまくやっていけるさ」と無邪気に喜んで未来図を描いている姿が(普通はあの彼女の変化に気がつきそうなのに、まったく気にならない風なのも含めて)、自分自身のことしか考えていないことを象徴しているようで、ひたすら苦しかったです。

頑張って頑張って働いても住む家すら失うくらい貧困の中にある黒人女性と、差別主義者でありつつも裕福な白人男性の対比が、ある意味でちょっとカリカチュアしすぎているきらいはあるものの、この作品のテーマを物語っているような気がします。
ちょっとネガティブに寄りすぎるかもしれませんが、僕の感想はこのようなところでした。僕にとっては初見の映画でしたが、映画好きの人からしたら有名な映画のようなので、この映画を見たよ〜という方おられましたら、その感想なんかも是非伺いたいものです。
あ。最後になりましたが、映画としてはよく出来ていると思います。筋をおっかけて終わりではなくて、あれこれと考えたり思ったりすることをたくさん与えてくれる映画でしたし、よい映画だと思います。

追記:あ、あとこれは興行的なことも含めてだと思うのですが、、ハル・ベリーさん美人なんですが、、いかにも黒人女性というアフリカ系黒人女性の美人さんではなく肌の色こそ濃いですが、白人に近い系統の美人の黒人さんです。そのあたりはちょっとあざといかなぁとも思ったり。

追記2:余談ですが、チョコレートはアメリカのスラングでは黒人女性そのものを指すこともあるし、「ショコラ」ではないですけれど媚薬的なイメージも付与されたりするそうで、、そう考えれば考えるほど意味深な色々取りようもある日本語版のタイトルですね。原題は本当は「Monster's Ball」というタイトルです。

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