小説・漫画好きの感想ブログ

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「HALF LIFE チェルノブイリは死の森かエデンの園か」 感想

メルトダウンから25年
いま、チェルリブ入りをめぐって激しい科学論争が起きている。
原子炉の周辺区域は、畸形動物が生きる死の森なのか?
それとも、絶滅機危惧酒のための新しい楽園なのか?

そんな書き出しで始まる本です。
チェルノブイリの周囲の森に立ち入ろうとするとガイガーカウンターはけたたましく鳴りだす。120倍、250倍、どんどんと通常放射能量の数百倍という数値を示す。調査班もそれ以上には入れない。
現在チェルノブイリの立ち入り制限区域の総面積は4144km平方メートルという広大なエリアに及ぶ。半径10kmのエリアでは森を焼き、表土を削り、放射性物質を封じ込めるための薬品を地表に撒き黒い焦土と変えた。その周辺区域で非難を余儀なくされた集落は250に及ぶ。
ワシミミズク、オジロワシ
2006年のWHO、IAEA、国連の合同調査団100人の報告では、立ち入り制限区域が野生動物の聖域と化しつつあるという状況を正式に報告した。制限区域の中での放射能農奴は数百分の一にまで低下し、人間と動物への健康に関して楽観的だと告げている。低レベルの放射線は影響が少なく、むしろ皮肉なことに、立ちいり制限区域はまれにみる動物多様性の保護区になった、と。BBCやアニマルプラネットはこぞってこれを報道し、ガイア理論の提唱者のジェイムズ・ラヴロックに至っては熱帯雨林に放射能廃棄物を埋めれば人間の破壊行為から守ることができるとさえ主張した。
この流れを受けて、ウクライナでは封鎖地区の一部を観光客に開放、ウクライナに二基の新たな原発を建設する計画を発表した。

しかし、これに対しアメリカの進化生物学者のティモシー・ムソーやデンマークの生物学者アンデルス・モレールらの意見は真っ向からそれとは異なる。低レベル放射性に慢性的にさらされた場合の影響について殆ど解明されておらず、長期的な観測結果はまだ出ていない、と。そしてチェルノブイリ事故当時の生物たちの異常な静けさと、彼が当時から研究していた燕を例に問題を提起する。
彼は事件直後からの追跡調査を一から行い、高度汚染地区では燕の身体と汚染農奴にははっきりとした相関関係が極めて明瞭にでていることを示した。燕に限らず、高濃度汚染地区では畸形の数が非常に多く、精子の異常も見られ個体数が激減していることがそれで科学的に証明された。では、IEAEや国連の調査は嘘なのだろうか。
彼等はそこに触れず、燕の遺伝子情報を確認してみた結果をもとに一つの仮説をたてる。チェルノブイリにいる動物たちはもともとがそこにいたものではない。別の区域から流れてきたものが増加している。そしてその中での繁殖は多くなく、次々と外部から動物が流入しているだけではないのか、と。

もちろん、この二人の研究に対してはなからがインチキだという人も多くいる。ウクライナの制限区域内で過ごす生物学者の一人は限界値ギリギリのセシウム値のエリアでもヤマネコやタヌキ、ヘラジカの個体数が大きく増えていることを示した上で、彼等のもとで助手として働いていた過去を振り返る。彼等は放射能が有害であるという事実をしめすために、それにそぐわない事実は全て無視した、と。また、意図的に結果を求める為に実験内容を操作していたと告発している。
また、自分が関わった実験等をひきあいにだし(制限区域内で飼育されていた牛と、外部から連れて来た牛との血液をふくめるあらゆるデータ取りなどを例にとり、おおかたの予想とは逆に健康を害するデータが出なかったという)、科学者として彼等を告発している。

では、ムソーらの低レベル放射能に対しての警鐘は全く無視してよいものだろうか。
これは素人には判断がつかない。ただ、一つ言えることは徹底した調査がなされていないということだ。ムソーらが自分の調査が正しいと主張するほどには、同様な実験と調査ができるようなデータを提供していない。またその逆に、彼等の調査に対する反証というほどのデータをIAEAも出せない。なぜならチェルノブイリ直後の作業従事者は全国に散ってしまって継続的な調査を受けていない、またソビエトの崩壊とともに予算がたりずこのあたり実地調査はほぼ実施されておらず残されたデータ数があまりにも少ないのだ。ではどうすればよいのか、今からでも遅くない、全てのデータを徹底的に取ることだ。
でなければ、どちらの意見が正しいとも言えない。
どちらの意見も、それぞれが見た事実、少なくとも科学者たちの間で意見が分かれる程度には研究としての科学性は担保されているからだ。これに対してはデータを取るよりは、それは非常にアナクロなことだし人員と手間がかかることだが、他に方法がない。厄介なことには、一種族あるいは複数種族だけのサンプル調査では意味のないことが徐々にわかってきてもいるからだ。
どういうことかといえば、長期間にわたる放射線被爆によって影響を受ける受けないは種族によって違うから、Aという種族には影響がでなくてもBという種族には影響がほぼ見られないというような事がこれはハッキリしているのだ。針葉樹は影響をうけるが、樺の木はそれほど受けない。燕は影響を受けるが、他の移動しない鳥はそれほど影響を受けないなどの違いがでている。大豆を用いた研究では原子炉付近の大豆であっても、放射線から身をまもるための分子レベルの変化耐性を大豆は身につけているともほわかっている。
つまり、ここが一番のポイントなのだが、他の動物に対して被爆影響が少なくても(だから極端なことをいえば他の動物にとっては楽園でも)人間にだけは大きな影響が出る可能性を排除できないということが、科学的には言えるのだ。
「人間は、燕なのか大豆なのか」確かにそれは重要な問題だと僕も思う。

そして、これらの論争が今ある福島第一原子力発電所に対する、翻っては日本の原発に対しての日本国内の論争の縮図のようにも見える。
世界の多くの科学者たちが唱えるように、低レベル放射能による空間線量などでは大規模な健康被害や致命的な生物的損害は少ないのだろう、おそらく。これは世界中での研究結果だし、世界では日常的に浴びる放射線量の差があるのである程度の推測から疑うべき根拠はないように思われる。
しかしまたその一方で、厳密にあらゆる生物層にわたっての長期的な被爆にさらされた場合のデータ収集と分析はいまだかつて行われたことがないのだ。今回の事故のさいに存在した放射性物質の量は広島・長崎の原発の比ではないし、今でも福島は漏れ続けている。東電のデータは信憑性がなく、現状でもときおり伝えられる情報ではチェルノブイリよりも事故収束後の「放射能封じ込め」という事に関しては失敗し続けている。
となると、本当に大丈夫なのか? という問いに関して100%というのは科学的に不可能だとしても、「まぁそれなら大丈夫だろう。常識で考えても問題ないだろう」と安心させるほどのデータを提供することは誰にも出来ていないのが現状だといえる。
よって、これに対する恒久的かつ多くの人間の中で嘘・ごまかしなく「これがコンセンサスだ」といえるものについては科学的なデータを、皮肉にもそういうフィールドワークの現場をもってしまった日本がもう少し体系的に、そしてまたそれこそ諸外国の研究機関の参加を促し許可しアカデミックに分析することではないかと僕は思う。またそれしか不毛な争いに終止符を打つことはできないと思う。

なんだか思いがけずに長くて思いレビューになってしまったけれど、そんなことをこの本を読んで思った次第です。

HALF LIFE チェルノブイリ:死の森か、エデンの園か(WIRED Single Stories 002)

HALF LIFE チェルノブイリ:死の森か、エデンの園か(WIRED Single Stories 002)