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「小説フランス革命 5巻」佐藤賢一著 感想

 フランス革命新刊です。
 右派と左派の対立が激しくなってきたフランス議会においては、全国の軍隊を自由に動かせるようになったラファイエットの先生が目立ち始める。アメリカでも活躍し、容姿端麗、堂々たる押し出しの彼は軍事権を掌握し、右派貴族側の後押しもあって権勢を揮い始める。これに対して、タレイランとミラボーは主義主張の垣根を越えての同盟者として対抗、見事にラファイエットの力を削ぐ。
 しかし、タレイランとミラボーは国民・議会からの支持や人気があるわりには、公職について大臣にとはなれなかった。なんとなれば、彼らのギャンブル癖、女遊び、賄賂の数々とインモラルな行動が、支持されなかったのだ。
 現代日本ではそれが当たり前になってしまっているが、革命がなった国民主権の世界では、いかに実力にすぐれ、実務にすぐれ、胆力、知力が備わっていたとしても、スキャンダル一つで支持を失ってしまうのだ。彼らはお互いに「何故に政治家はモラルを求めなければならないのか」「国家国民を幸せに導いている以上、すこしぐらいのおふざけは誰に迷惑をかけているわけではないのに、それが足枷になるのか」と愚痴をこぼし合う。。。
 実際問題、この時代までの政治家というのは王であり貴族であり、パワーバランスの上で物事を決定することはあっても、倫理であったり、国民一人一人と同じ倫理観で何かを裁かれることはなかった。君主とは、貴族とは、そういう別次元の存在であるのが普通であったから、妾だってたくさん持つし、贅沢もすれば、わがままもするし、遊びも派手にやるのが普通だったのだ。それが、革命の以降ではそれが案外に効いてくることになっていくのだ。現代日本でもこの行き過ぎと、政治家の政治家としての資質と力量以外での人物評価は大いに問題になっているが、フランス革命当時ですらこれが出てくるのを見ると、なかなかに感慨深いものではある。
 そして、これを機会に、フランスの聖職者たちは公務員として地位を安定していたが、ローマ法王の強権発動を前に、シスマを起こしてでも聖職者としての特権とプライドを再獲得しようとするものと、フランスという国を優先してのローマからの独立を図るものとが、フランス議会の宗教を軽んじる左派との間に三つどもえの戦いに突入してゆく。。。