小説・漫画好きの感想ブログ

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「1Q84 BOOK1 後編」 村上春樹著 感想

 BOOK1、文庫で再読終わりました。
 さて、先日の上巻のレビューのときのお約束ですので、先に簡単にあらすじを説明します。まず、この物語は主人公が二人います。一人は天吾といい、30歳を間近に控えた小説家志望の予備校の数学教師で、大きな姿形のわりにはおっとりとした印象を与える青年でいたって地味な暮らしをしています。もう一人は青豆(本名です)という美貌の女性で、スポーツインストラクターを表の職業にしいてる殺し屋です。といっても、彼女が殺すターゲットは、女性に対してひどい暴力をふるい続けるような男性に限られます。
 この二人、実は小学校の頃の同級生であり、ともに家庭環境に大きな問題を抱え、どちらも若い頃に親と決別し、孤独の人生を選んでいます。二人の人生は小学校のその頃に一度交わるものの、それぞれが別々の世界で暮らしていますが、とある事件をきっかけに、それとしらずに互いの運命がリンクしてゆきます。そして、そのリンクの中央にいるのが「さきがけ」と呼ばれるとある宗教組織です。オウム真理教がモデルと思われるその組織は、もともとが左翼的な共同体・コミューンであったはずが、いつの頃からか秘密主義の排他的な宗教組織へと変質してゆき、彼らと袂を分かったとされる組織と警察との間には激しい銃撃戦まで起こったとされています。
 されています、というのが実はこの物語の肝で、二人の記憶では、そんな大事件なのにも関わらずそれらのことについての意識は非常に曖昧で、青豆にいたってはそんな事実は全くあり得なかったはずだと認識しており、天吾も妙な違和感を覚えます。しかし、彼らが今存在している世界ではそれは歴史的事実となっています。そう、彼らは、少なくともBOOK1の青豆の世界においては、それはパラレルワールドとして認識される世界だとなっています。そして天吾のいる世界もどうやら少しずつそういう変容を遂げているように思われます。そして、このBOOK1の時点では二人のいるのは全然別の世界として描かれます。それは端的に言えば、空に浮かぶ月の数で示されます。青豆の世界での月は二つ、天吾の世界では月は一つです。しかし、その二人にも等しく「さきがけ」の影は近寄ってきます。天吾は、その「さきがけ」から逃亡してきたと思われる少女「ふかえり」の口述筆記をゴーストライターとして書き直し、文学賞を取らせることで彼らの存在を世に示してしまいます。また、青豆のもとには、その「さきがけ」のリーダーの暗殺依頼がもたらされます。二つの世界で徐々に「さきがけ」とそこに見え隠れするリトルピープルと呼ばれる小人たち。彼らとかかわってしまった二人の運命がどのように交錯するのか、また別々の二つの世界がどう交わって、どう決着がつくのか。そういう興味のつかないところでBOOK1は終わり、今月末発売の文庫版BOOK2へと物語は続いてゆきます。

 あらすじだけで随分と長くなってしまいましたが、そんなようなお話の中で、村上春樹は孤独な魂というものと、その孤独さが故にか誰かに対して、或いは何かに対して誠実ですべてを賭けてしまう人間の傾向性をうまく描いています。この小説の主人公の二人は、主人公と言うだけでいい風にフィルターをかけられていますが、実際のところでいえば、どこか壊れています。天吾はなんのかんのといっても人との関わりという部分で自己充足的すぎるし、一度欲望が首をもたげてしまうと犯罪とわかっていても、それに手を染めることを否定も肯定もしません(一応、巻き込まれ型だというエクスキューズはついていますが)。青豆は、セックスライフはもちろんのことながら殺人の禁忌についても、きっかけにエクスキューズはあるものの完璧に正常ではありません。
 勿論、その壊れ方は本人たちも自覚のあるところであり、その原因がどこにあるかも明かされてはいますが、これはもう傾向性のようなもので、とても上手く描かれているなと思わずにいられません。個人的な話になりますが、家庭環境によって人格が確定的に壊れるということはありませんが、ある程度の方向性というか傾向性をもつのは否定しづらいところで、そのあたりの暗部のところを上手く描いているのが僕が強くこの物語に惹かれる一因になっています。
 もたないが故に理解できないし、欠落していることに気がつかない。知識として或いは周囲にあるものからニュアンスとしてはわかるけれど、本当のところでは分からないもの、意識しないとできないものというのがある人間性がこれほど正面に出てきている主人公も珍しいと思います。もちろん、主人公達のキャラクターメイキングだけではなく、村上春樹特有の「あちら側とこちら側」というモチーフが今回は二つの世界と、さらにこちらとあちらと立体的に交差している複雑なプロットや、恋愛要素の対象となっている女性が力強いキャラクターである点、現実の世界のいろいろな要素をほうりこんで寓話性の高いものに仕上げている点など、読みどころは他にもたくさんあるわけですが、そこも一つの大きなポイントだと僕は思います。
 空前の大ヒット小説ですが、中身もある、お勧めの小説です。

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉後編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉後編 (新潮文庫)