小説・漫画好きの感想ブログ

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ブラックボード 時代と戦った教師たち 感想


 帰宅して、身じろぎもせず(珍しく珈琲を入れたくらいで)じっと画面を見つめて動けませんでした。三夜連続のスペシャルドラマの今日は、桜井翔主演で、第二次世界大戦中と戦後に教師をつとめた男の話でした。
 彼は戦時中は、日本の戦争を賛美し、学生たちに戦地へと赴くことを勧め、自らも戦地へと向かいました。彼は戦地で右腕を失い、捕虜となり、日本へ帰ってきた後に、また教師として復職します。彼は、あるとき、彼の教え子だった生徒が家族を失い日々の暮らしにさえ困っているのを見て、同窓会を開きます。お互いに希望が持てるように、しようと。
 しかし、その同窓会の場に現れた生徒の一部に彼は詰問されます。あなたを信じて戦争に行って死んでいった者にどう責任を取るのか。目を失ったもの、命を失ったもの、親をなくしたもの、娼婦にならざるを得なかったもの、そういう彼らにどう詫びるのかと。「もし、もう一度戦争がおこったら、あなたはまた生徒に戦争に行けというのか」と。
 彼は、後悔と無力感に苛まれ悩みます。一度は教職を辞そうと、一度は自殺まで計ります。国全体がそうだったからといって、自分がしたことが許されるのか。子供達の未来を奪ったことが許されるのか。。。彼は悩みに悩んだすえ、自分なりの結論を出します。戦争は許されないと、負けたから戦争を憎むのではなく、戦争それ自体が許されないのだ、と。未来を作るために、皆は生きろ、と。

 しかし、、、このドラマ、どう受け止められるのだろう。
 戦争を非難だけする夢物語と取られるのだろうか、イソップの酸っぱいブドウのような負け惜しみの物語と取られるのだろうか。それとも自虐史観の産物だと取られるのだろうか、それとも一人の人間の生き様を通しての一人の教師の目覚めと受け止められるのだろうか。
 僕は、個人的にはとても感動した。
 身勝手だったり、無自覚だったり、自殺しようとしたりと、実はあんまり褒められたとこはない主人公だけれど、それでも彼はそのときそのときの自分に誠実であろうとしているし、なにより教え子たちに対しては真摯だからだ。そして、そのたどり着いた先の答えがあれであるなら、それはそれで、先に挙げたような政治的なものの見方はひとまずは脇に置いておいて、あれはふれで正しい教師のあり方だと思うからだ。
 もちろん、今の日本の環境をふまえて考えてみれば、一昔前のようにとりあえず平和であるためには戦争さえ非難していればいいというような時代ではなくなってきている。ある意味で、日本は既に戦争状態に近いところまで、武器や弾薬が飛び交わないだけで、戦争に近い国家としての瀬戸際にいるような状態になっている。ここでなんとかしないと国力は衰退し、ずるずるとすべての未来を失いかねないような状態にあると思う。みんなが漠然と感じつつはあるが、打つべき手を打たないと本当にまずいところにあると思う。
 けれど、そういう状況だからこそ、逆に、色々な思想のその前に、教師というのは、まずは家族以外の一番身近な大人として、教師はまずなにより生徒に真摯で愛情のあるそういう存在であって欲しいし、それが日本が再生するまず第一歩だと思う。なんとなれば、子供たちにとっては先に述べたように、教師というのは、彼らが意識をもって接する最初の家族以外の大人である。その彼らは、こどもたちからは、ある意味ですべての大人のひな形として刷り込まれる。だから、その大人のひな形である教師たちが信用も尊敬もできない、自分に愛情をもたない人間であれば、子供たちは大人に幻滅するし、大人になってもいい大人であろうと思えないだろう。そして、そこから子供達は社会全体に対して、未来に対して冷めた目しかもたなくなってしまうだろう。
 だから、僕は常々、教師というのはすごく大切な仕事であり、ある意味、一番モラルと愛情と真剣さが求められる聖職であると思っている。もちろん教師だって人の子だし、自分の暮らしもあるのだから、すべてをそこに捧げられるわけではないが、普通の仕事よりもそこにすさまじくエネルギーをふりわけなければならない職業であると思っている。だから、そこに進む人たちは尊敬するし、出来る限り応援したいなと思っている。理由がいくつかあって僕はなれなかったけれど、本当は自分がそうなりたかった仕事でもあったりする。
 そういう意味で、このドラマは、きちんとそういう教師のあるべき姿だったり一番大事なところを正面から取り上げていたので、個人的には僕は大いに感動したのだけれど、さて、世間はどう見るのだろうか。明日の第二夜はどうなるだろうか。。。まぁ、明日は予定があるので録画でしか見ないんだけれど^^