小説・漫画好きの感想ブログ

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「神様 2011」川上弘美著 感想   福島原発事故によせて

3.11 福島第一原子力発電所の放射能事故についてもう一度思う

「神様 2011」 川上弘美著 感想によせて

 川上弘美という作家がいる。
 代表作に「センセイの鞄」という傑作作品があるが、実はあれは川上弘美という作家の本筋ではない。川上弘美の小説家としての本筋は、不思議で、奇妙で、ちょっと普通でない、ファンタジーというのともちょっと違う不可思議な世界を舞台に、どこかずれた主人公達が繰り広げる物語群の方にある。そのずれ具合や非現実感は、ときにメルヘン、ときに猟奇、ときにちょっとした狂気をはらんでいたりと一定ではないけれど、いずれも少しずれた世界である。
 そして、それはこの本に収録されている「神様」という彼女のデビュー作品にもハッキリと色濃く現れている。話の大筋としては、主人公の女性が、マンションの三つ隣の部屋に越してきた「くま」と近くの川にピクニックに行って帰ってくる話であり、それだけの話である。ただ、ここでいう「くま」はニックネームではなく、本物の熊である。どうして熊が日常的に人間と暮らしたり、言葉をしゃべれるのかとかそういう説明はない。彼女のいる世界では、珍しいながらも、熊は普通に人間と共存して暮らしている。作品の中には出てこないが、狼だったり、猿も暮らしているかも知れない。そういう世界で、熊は女性と川へピクニックに行き、熊らしさを発揮して川で泳ぐ魚を捕り、と熊らしさをアピールする。それだけの話である。
 その話を、今回、彼女はその作品を改訂して2011年版として出版した。東日本大震災後の福島原発の事故を受けて、放射能が漏れ出して日本が放射能汚染されていく世の中を見て、もともとの作品のバージョン違いにして出版した。もともとが短い話なので、実はこの本には、もともとの「神様」とこの「神様 2011」が収録されている。なので、読者はまず最初に「神様」を読み、もともとの話を味わい、続いて、原発で放射能汚染された世界での話となった「神様 2011」を読むことになる。
 そうすることで、彼女は、この原発事故が起こってしまった社会の異常さ、怖さ、日常が壊れたにも関わらずそれが日常になってしまう事の狂気を見事に描き出している。これは、ある意味では、今回の地震と原発事故について正面から描いた作品以上の効果を上げている。ドキュメンタリー番組や、科学者が事実としての恐ろしさや危険性を指摘しても、あまりにもそれが多すぎると麻痺してしまったり、ある部分脳がそれを理解することを拒むという悪弊が出る。そして、3,11をテーマにして直接的に訴える作品が多くなればなるほど、それは逆説的にだが、物語になってしまって、現実の怖さや今まだ解決していない問題がどこか違う世界の話のようになってしまったりもする。
 それとひきかえ、今回の彼女の試みのように、もともとあった話を、原発事故以前、原発事故以降で、本筋も地の文もほとんど同じだけれど、その事故のあった世界と書き換えることで、そこにある非現実的なまでの破壊や影響のあとを見せるという手法は、かなり効果的なように思う。ちょっとした寓話やファンタジーのような話に、累積被曝量であるとか、ストロンチウムプルトニウム、被爆限度や各種の数値がなにげにそれが日常の当たり前のように放り込まれる。それを読むことで、我々は、今それらの言葉を自分たちも日常の当たり前のように使って自然と受け入れてしまっているという事実に気がつく。そんな言葉は全く知らなくてよく、使うことが一生ない世界がどれほど幸せな世界であったことか気づく。
 これはそういうお話である。
 僕も含めてだが、あれから一年余り、僕たちはいつの間にか東日本大震災以降のことを受けていしまっている。被災地のことも、原発のことも受け入れてしまっている。既にあってしまった事として受け入れてしまっている。それがどれだけ恐ろしいことであったか、まだまだ原発の事故は収束もしていないし、四号機の事を考えれば、次に大きな地震があったらば全ては終わってしまうことを考えれば、何をなげうってでも日本全体でそれを処理しなければならないのに、それについて考えることもどこかの誰かに預けたままで、何も努力していないと言われても仕方がない状態になっている。
 ドキュメンタリーや各種のコメンテーター、報道を見ても、それらは危険を訴えているようでいて、或いは危険を訴えるけれど、逆に何かそれがあるのを前提にした世界になってしまっている。それが根本的に解決しないことには、いつの間にかグロテスクな世界が現実に生まれるということ、そしてそれは今現実に起こっていることなのだ、と、それをこの本は静かに指摘してくれる。
 薄い本だから、たぶん読むのには三十分もかからないだろう。
 中学生くらいなら余裕で読めると思う。
 一作目の「神様」は少しメルヘンな風情もあり、とりとめもない日常のかわいさや切ない感じが出ている作品であるが、それだけに、二作目のほんの少しのバージョン違いでの原発事故が起こったあとに改変された「神様 2011」を読むと、たぶん背筋が寒くなると思う。是非読んでみて頂きたい。

神様 2011

神様 2011