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「1Q84 BOOK1 前編」 村上春樹著 感想

1Q84 BOOK1 上」 村上春樹著 感想

 いよいよ、村上春樹1Q84」が文庫になりました。まず今月はBOOK1が上下巻に別れて二冊発売。来月からも順番に毎月二冊ずつ出るようです。拍手。
 さて。本編ですが、この小説、文庫で読むのとハードカバーで読むのとではずいぶんと感じが違いました。ハードカバーを病院のベッドの上で読んだという事もあるのでしょうけれど、、、その時はとにかく重いストーリー展開と物語の不吉な展開に、かなり重い気分になりながら読んだような印象があるんですが、今回は何回目かの再読という点を考慮してもなお、どこか新しい物語が幕をあけるワクワクのようなものを強く感じました。
 冒頭、主人公の青豆が高速道路の上で渋滞に巻き込まれ、ヤナーチェクシンフォニエッタを聴いて現実の世界が静かに入れ替わっていくところや、「ふかえり」の登場シーンと会話のたどたどしいおかしさ、天吾の究極のミニマリズムな自己充足な暮らし、あきらかに「オウム真理教」や「エホバの証人」をはじめとした社会世相のカリカチュアされたifの世界。それらのすべてがとてもそこにあるものとして感じられて、世界の近さ、親密さのようなものを感じさせてくれました。たぶん、これは再読ということもあって、見慣れた芝居の舞台を見るような、好きな曲のイントロを聴くようなそんな感覚に近いのかも知れませんが、それだけではなく、なんとなくこの本の発売当時よりも世間はこの世界に近づいているような気がしないでもありません。
 また、そうした馴染んだ世界になっているからか、今回は細部まで目が行き届いてじっくりと読む事ができました。
 小説的な世界の構築っていうのは、かねがね僕は、実はものすごく細かいディティールの積み重ねだと思っているのですが、この小説はそういうところで実にこだわって書かれています。背景に流れる音楽、世界が変わったことに青豆が初めて気づくことになる警官の制服と拳銃の変化、ひそかな組織の元締めである老婦人の蝶を愛でる趣味、ふかえりと天吾が山に登って行くときの風景の変化と空気の違い、深夜になる電話の緊張感。それらの細かい細かい集積が積み重なって世界は作られていくというのが今回はとても気になりました。たぶん(今回の説明は「たぶん」が多いですね)、それはこの小説の主人公が小説家志望の青年で実際に小説を書くシーンが出てくるということもあって、作者の村上春樹氏がメタファーとして小説論を語っているような気分になるからかも知れませんが、こういう読書をすると、次からは他の小説を読む時にもそういう事が気になりそうです。
 
 ということで、村上春樹氏は僕にとって文学的アイドルすぎるので、全然物語の紹介になっておらずとりとめのないことばかり書いておりますが、それは、引き続き読む「1Q84 BOOK1 下巻」の方の紹介・感想でやりたいと思います。
 また、僕は彼の作品をべた褒めしていますが、世の中には、徹底的に村上春樹を大嫌いだという人も多くいます。例えば、世界中でこれだけ村上春樹が読まれようとも、日本の文壇世界では村上春樹については「内容がない」「「ただのポルノでしかない」「世界がうすっぺらい」「文学性がまったくない」として評論するにも値しないものとするスタンスが圧倒的に多数だったりもします。
 なので、僕の他のレビューもそうですが、これも、あくまで個人的な感想だと思ってくださいね。

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)