小説・漫画好きの感想ブログ

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阪神淡路大震災の朝に

17年前の朝を想い、黙祷を捧げます。

17年前の今朝、阪神・淡路大震災が起こった。
あの朝、振動よりも前に地鳴りのような轟音で目が覚めたあと、家中の家具が倒れ、本棚が崩れ、大量の本がそれこそ雪崩のように崩れてきたあの日の朝。一瞬で多くの人の命が失われ、僕や僕のまわりの人々の家族や親戚らも多くの被害を受けた。
当時は宝塚に住んでいたので、まだ被害は少なかった地域にいたけれど、それでも外に出てみれば、まわりの家々は崩れ、崩れ落ちた家のがれきや埃が舞い上がり、ひどい有様だった。
ただ、それでもまだその時は、火災も少なく、テレビのニュースも普通に見れたのでかなり大きな地震があったようだが、まずは大丈夫だったくらいの軽い認識だった。今思えば、ひょっとしたらあまりの事に神経が麻痺していたのかもしれない。当時はまだインターネットもなく、携帯電話もなく、ポケベルもなく、ニュースは新聞とテレビ、ラジオだけだった。だから被害の状況がリアルに感じられたのは、夜になっても救急車がひっきりなしにサイレンをならし続ける音と、そのナンバープレートが遠い遠い東京やら名古屋やらのナンバーばかりなのを見て、日本中から助っ人がこなければならないのかと認識したときが最初だった。
あとは、長田地区の大火災。町をいくつも焼くような火災。空を焦がすほどの炎。黒煙が黒雲のように空を覆う映像を見て、あぁこれはもう二度と神戸の街を見る事はできないのかも知れないと足下が震える思いだった。実際、私の祖母はあの長田にいて、街区そのものが焼き払われたために遺体すら見つけることができないこととなった。
あれから十七年、街は復興し、日常は動いている。
あの日以降に生まれた子らが高校生にさえなっている。事件の体験がない子らがきちんと育っていることそれ自体はとても素晴らしい。
そして、記憶はややもすれば風化し、私自身も時にあのとき思ったこと、誓ったことを忘れがちになっていた。けれど、やはりそれではいけないのだ。あれは大きな災厄であったし、今回の東日本大震災を重ね合わせればそれではいけないのだ。

あれだけのことがあり、多くの被害者が出て、そしてその爪痕はこれからも色々な人の人生や関係に傷を残していくだろうが、それでもなおそこに何か意味をみつけなければ逆に本当にそれはただの災難でしかなくなってしまう。それでは亡くなられた方々に申し訳が立たない。
生き残った者には生き残った者がやらなければならない事がある、と私は思う。それは別に大仰なことであるとは限りないし、何かに貢献することばかりではないと思う。それぞれがそれぞれに何かを担っているのだと思う。もちろん、その中には人生を楽しむことや、懸命に生きることも含まれている。生きているなら、人生をいい意味で楽しんでいくことも大切なことだと思う。そして、その上で、あれだけの事に幸運にも生き残った者はそこで得た何かを誰かに伝え続けなければならないんだと思う。
今でいえば、とりあえずは東日本大震災の復興に自分が出来ることをつつましくすることくらいだけれど、もっともっと色々なことをなしたい、黙祷とともにそんなことを思う。