小説・漫画好きの感想ブログ

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東日本大震災被災者のために、1000万円の寄付決めました

 こんばんは。
 今朝の地震が直接的な引き金ではあるのですけれど、僕は、東北に1000万円の寄付をしようと決めました。
 3月11日の大地震以降、それぞれの人が、それぞれの立ち位置や、それぞれの暮らしの中で、福島第一原子力発電所の放射能漏れの現状や最近の東北の被災地の現状やその復興に対して自分に何が出来るのか、どういう貢献ができるのかを考えただろうし今も考え続けていると思います。僕も同じように、色々と考えていました。
 そして、何ができるかわからないながらも、とりあえず出来ることとして、最初の月から月に8万3500円の寄付をしてきました。なんで8万3500円かというと、それを一年間続けると100万円になるからです。100万円というお金は僕からするとかなり大きなお金です。けれど、寄付しなくてもなにかに対して使うお金です。食事なのか、趣味のものなのか、お酒なのか、それとも衝動買いするものにか、何かはわかりませんが、去年一年で買い物したものを思い返してみれば、日々の色々な買わなくていいものを足していけば誰だってそうだと思うんですけれど、それくらいのお金は何に使ったわけでもないけれど消費しているお金の筈です。
 そこで、そのお金の使い道を考えたときに、それだったらまとまってみるとちょっとしたお金(まぁ、あくまでちょっとしたであって、大きな金額足り得ないですし、お金もちの人でなくても一流企業の人ならボーナスでそれくらいのお金は軽く稼ぐんでしょうけれど)になるこの額は、何かわからないものに使ったというんではなく、今困っている東北の人や原発の被害にあっている人たちの役に立てたほうが遥かに意味があるから寄付することにしました。もちろん、それは、自分自身が自分のそうした行為で満足感が得られるという意味では自己満足だと言われても仕方がないし、そうしたことで自分の人生に意味を多少なりとも見いだしているのだから、所詮は自分のためだとも言えます。でも、それで多少なりとも現地の役にたつものになるのであれば、それはとても有益なことになるとも思います。
 そして、こうした動きに対応して、自分の会社からも自分の営業成績に応じる形で、一軒の契約ごとに対していくらという寄付金を現地に送るような仕組みを会社でも作ることができたので、現実にはその倍の寄付が現在できています。
 そこに、ふるさと納税という仕組みを使えば、現地の必要とされるところにピンポイントで寄付が出来るわけで、そう考えると、自分のちょっとした行動だけでも、よくよく組み合わせてみれば、年間に250万円くらいは東北に送れることが分かりました。
 で、そこまでいけば、いっそそれを4年頑張れば(たぶん東北の完全復興にはそれくらいは余裕でかかる筈ですし、原発の収束や新しい原発のあり方が確定するまでにもそれくらいかかるでしょう)、250万の4倍で1000万いけると気づくのはほんの一瞬でした。
 
 ちょっと頑張れば、ごく普通の人間でも、それくらいのことは東北に出来る。
 そう考えると、逆に自分くらいの生活水準というか、そういうことができる人なんかこの世の中には何十人、何百人、何千人もいるでしょうから、十人で1億、百人いれば10億円の寄付は数年でできますし、千人もいれば(というかもっと裕福な層なんか腐るほどいるだろうし)たぶん一千億円くらいのお金は企業とか組織でなく個人の寄付で東北にいくことになるでしょう。
 そう考えると、今はどんなに苦しくても、政治的な遅さがあろうとも、絶対に東北の復興はできるし、日本は絶対になんとでも復活・復興できるなという気分にもなってきました。そして、自分もそのためのほんの小さな貢献ではあるけれども、その流れに参加できるのだと逆にちょっと嬉しい気持ちにもなったりしたのでした。
 なので、自分の動きとして、自分の気持ちとして、僕は4年かけて東北に1000万円寄付しようと思います。
 facebookじゃないけれど、実名でやっているこのブログに書くことで、自分でも決意が固まるし(レコーディングダイエットじゃないけれど意志の弱い人間だからね、宣言することが実行に繋がるのです)、こう書いてしまえばそれに向けて頑張るしかなくなるし、、、ひょっとしたら、これを見て、俺も、私も、それくらいいけるんじゃないの? と思って東北復興に気持ちを今以上に向けてくれる人が一人でもいればいいなと思います。
 
 んなわけで、寄付宣言でした。