小説・漫画好きの感想ブログ

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「廃疾かかえて」 西村賢太著 感想 

 阪神タイガースが三連勝して気分がいい日に、ここまでダークな作品を紹介しなくてもという気がしないでもないですが、まぁ、ひさびさに芥川賞受賞作家の作品ということでご紹介。
 主人公の貫太は、半ばヒモのようにして秋恵という女性と同棲している。彼は、彼女にも、彼女の父親にもかなりの金額の借金をしているクセに全くといっていいほどに仕事をしない。普段は秋恵をパートに送り出したあとは、ひねもすのたりとゴロゴロしている。大正期の無頼派作家・藤沢清造の作品をこよなく愛し、その没後弟子として毎月能登まで供養に出かける金はどこからか工面してくるが、そんな大金を作ってくる癖に、家計のためには何もしないどうしようもない男である。そして、そのうえ、コンプレックスが強く、猜疑心が強く、暴力癖があり、酒乱の気まである。人間のクズといっていい男である。
 彼女の秋恵も、半ばそんな彼に呆れながらも、だらだらとそんなただれた生活をしている女性で、根が優しいのかルーズなのか、彼以外にも昔の女友達にもたかられている風がある。彼ら二人の生活は彼女のパートで成り立っているので基本つましいものだが、毎日の晩酌はかかせないし、時には散財したりもする。また、そんな暮らしの中のちょっとした行き違いや、貫太のどうしようもない性分のせいで、口汚い争いになることもあれば、貫太がDVという他はないくらいの暴力をさんざんに加えて彼女のあばら骨を折ったりもする。
 言うなれば、読めば読むほどに陰惨な気配が満ち満ちている設定で筋立てである。
 しかし、その陰惨な設定なのに、いや陰惨な設定のなかでも狂わない為にか、主人公の貫太はそれこそ己の欲望の趣くままに生き、やってしまった後で諸々の行為を後悔するものの後悔と謝罪さえすれば許されると思い込んでいるし、許さないのであればそれは許さないほうの度量の狭さだと判じて恥じないケダモノのような、今風にいえばDQNな性格の人物であり、自分の暮らしや境遇や人生の目的のなさに哀れを催すという事が全くない。また彼女もこういう状態にありつつ、いずれは別の男のもとへ走ることが示唆されているが、それまではなんだかんだといいつつこの主人公の女であることを受け入れてしまっている。ひときわ、それも哀れである。

 個人的な感覚でいえば、これはDVや共依存的な悲惨な家族の縮図であり、読んでいるだけで何かの粘菌に侵されるような嫌悪と腐敗感が満ちてきて、あまり愉快な読書ではなかった。しかし、こうした不快のきわみ、気持ち悪さの極みの作品だが、恐いもの見たさのような魅力を少しばかりはもっているし、どうしようもない人間だけがもつ、絶対にかかわりあいにはなりたくないが他人の不幸としては笑える雰囲気をもっているのも事実で、それを頼りに最後までなんとか読み通したという感じである。
 あと、不思議な話だが、こういうドロドロとした(変にセクシャルな意味ではなく)爛れた世界の私小説めいたものが、何故だかどうも文学作品っぽい雰囲気を漂わしてしまうということを、自分はこの本で改めて再認識した。
 明治時代の文豪ものだったり、太宰などを読んだときと同じで、少し小狡くって、悩みすぎて、その癖きちんと働かない、足下をしっかりさせない自分の人生を切り売りしたような私小説のほうがどうしてだか文学っぽい作品になる。それがとても不思議で仕方がないのだが、事実そういう雰囲気が出るのであって、その理由はこれは誰かに解説してもらいたいところである。
 

廃疾かかえて (新潮文庫)

廃疾かかえて (新潮文庫)