小説・漫画好きの感想ブログ

小説・漫画好きの感想ブログ

武田邦彦 パチンコ屋を絶賛 絶対に合わない

 こんばんは。
 武田邦彦について。
 今日彼の本をパラパラと読んでいたんですが、、、彼がパチンコ屋を擁護というか絶賛しているのと、その論法を読んでさすがに腹が立ちました。石原慎太郎都知事の言う事はおかしいというところから話を始めているんですが、その論法があまりにひどいです。
 世間では昨日の内閣不信任案否決の顛末をさして、「菅総理はペテン師だ、稀代の詐欺師だ」という意見も多く、かつまたさんざん煽るだけ煽って自分は棄権した小沢一郎氏をはじめ、鳩山由紀夫や、原口氏や岡田氏もボロクソに言われていますが(ある程度仕方ないでしょうけれど)、この方の論法の無茶苦茶さはそんな比ではありません。
 いわき市の一件、原発否定派への無理矢理な転身や責任逃れ、地球温暖化対策否定のためのエコロジー運動潰しでもいい加減うさんくさいなと思っていましたが、これほどにひどい人だとは思いませんでした。科学者の名を借りているだけに余計にたちが悪いです。
 
 何に怒っているのかというと、色々あるんですが代表的なところで次の三つ。彼のこんな主張です。要約するとこんな感じです。
 「パチンコ屋を非難するのは間違っている。みんながあれだけ一カ所に集まって遊んでいるのは素晴らしい。一番の節約。全員がバラバラにそれぞれの娯楽をしようと家にいて、ゲームをしたり、家の電気をつけているよりは、あそこに集まっている方がエコロジー的には正しい。国民的な娯楽だし、もっと積極的にほめていいレベルのもの」
 「自動販売機を止めるのは、人の自然な感情に反する。働いている人が汗をかいて冷たいものを飲みたい。その時に喫茶店に入るよりは、はるかに省エネ。喫茶店に入ると、そこに働いている人、照明、配送、洗剤、働きにきている人の通勤のエネルギー、交通網のインフラにお金とエネルギーもかかる。むしろ、自動販売機の方が素晴らしい」
 「同様にコンビニについても、各家庭の冷蔵庫をなくして、コンビニでまとめて冷蔵したほうがトータルでみれば省エネになる」 
 
 どうでしょうか?
僕は絶対的に納得できません。
 パチンコ屋が非難されているのは、そもそも論としてパチンコ屋さんが犯罪の温床になっていたり、家庭崩壊の原因になっていたり、暴力団や北朝鮮の資金源になっていたり、日本人が参入できない特殊業界になっているという大前提があるわけです。ガイア 社長の渡辺直行が覚醒剤で逮捕されるという事件があったのにいまだに営業が続いているだけでもそれは類推できる話です。
 その上で、首都圏で計画停電をしないといけないような事態においても、こうこうと照明がともり、エアコンがフル稼働し、音響設備にも大電力が必要であるということでまっとうな国民感情として犯罪的な部分については目をつぶるとしても、少しは自粛すべきなのでは、少しは国民全体としてともに痛みをわかちあおうというか一緒に復興に気持ちを向けましょうよという所があるわけです。
 それを言うにことかいて、もっと推進すべきだという論調は、迎合主義にしてもやりすぎです。また科学的にいっても、こんな詭弁は通りません。彼自身がいうように、そこに行くまでのエネルギーやコストがかかるわけですし、一番省エネルギーがいいのだというなら、家から出ずに、エアコンもつけない、昼間は照明もつけない生活が一番で、そもそもが電力を消費する娯楽の時点で比較する時点で、言葉のトリックがありすぎます。これは比較するときの言葉のマジックで、電力をどちらが使うかということの効率でひっかけただけの嘘です。わかりやすく一言でいえば、パチンコと読書とどっちが電力を消費しますか? という一言で、あっさりパチンコのほうが無駄に電力を使っていますという風になってしまう程度の嘘なわけです。別のもので例えれば、河原で全員で草野球するのとパチンコをするのとどちらが電力を使いますか? という話でもいいです。こういうレトリックの嘘でしかありません。
 こういうレトリックでごまかして、パチンコ業界の駄目なところ、勤労意欲を下げているところ、これは僕自身もレトリックと承知で言いますが、結局誰にとっても得るものがなにもないものにお金や設備や時間というリソースを無駄遣いさせるものを賞賛する推奨するのは間違っている行為だと思います。
 また自販機云々についていえば、確かに自動販売機をなくすというのはナンセンスだと思いますが、削るべきところはたくさんあると思います。それこそ自販機の前だとかスーパーの前だとかの自販機は削ってもいいでしょうし、深夜の照明は最低レベルにまで落としてもいいと思います。同じ店舗なのに、パチンコがよくて、喫茶店が無駄だというのも非論理的な話だと思います。
 最後のコンビニ擁護理論でいえば、パチンコ擁護と同じで効率というトリックだけを使えばそれはあたかも正論のように聞こえますが、その論法にのっていけば、各家庭でごはんを作ることそのものが非エコロジーという話になります。冷蔵庫をコンビニに集約したとして、持ち帰ってそれぞれの家で無駄にロスを出しながらガスコンロやIHを使って料理するよりも、大規模な食堂のようなものが街々にあって、そこで全員が食事をとるようになれば、ガスや電気の消費も少なくなるし、無駄がなくなるでしょう。料理のメニューも各家庭が自由にするのではなくて、10種類くらいにしぼって作ればもっと効率はよくなるでしょう。
 服だってそうですよね。電化製品もそうでしょう。もっと極端にいえば、それぞれが家をもって、バラバラに一戸建てに住んで、そのために道路を整備して街頭をつけて送電ロスを起こすより、巨大マンションを作って全員がそこで暮らせばもっとエコでしょうね。軍隊のように、共産主義世界のように。
 彼がいうレトリックはそういうことです。いわば詭弁です。
 それを自分の好悪の感情に載せて事実を曲解させたり、人のいわないこと・常識と違うことをいうことによって地位を保とうとすることに利用しているだけです。商売上の技術としてだけみれば、それは非難するにはあたらないことかも知れません。けれど、彼の場合は、それを環境問題などにからめて、あるいは人の感情につけこんだ話をして正しいことを正しくないとしてしまう所があり、そこに非常に悪意を感じるのです。
 
 例えば、彼は地球温暖化なんて嘘っぱちにすぎないと言います。また、事実だとしても困ることはないと言い切ります。温暖化になったら、日本中暖かくなって幸せじゃないか、北海道も東北も北陸も暖かくなって、冬の無駄な暖房費もなくなって経済も発展して万々歳じゃないか。穀物もたくさん取れるよと言います。
 しかし、そこには温暖化が進むことによって、サンゴが白化して全滅したり、南洋にしか生息していない生物が日本近郊にどんどん進出してきて、生態系が破壊されて取り返しのつかない事がおこったり、毒をもつ生物や熱帯特有の動植物がもたらす病によって健康被害がたくさん出始めているという事実を見る視点がまったくありませんし、固有の文化や生物層の破壊についてはあえて無視しています。小笠原諸島が外来種が入り込んで生態系が破壊されても彼は「それがどうしたの?」と言うでしょう。 
 そういうところが僕的にはどうしても納得できないです。
 ときに原理原則論をふりかざして、声高に何かを非難するけれど、現実と折り合いをつけた上での改善策や現実的な具体案を出さずにいるというスタンスに承服できないものがあります。
 
 かくいう自分も思想的にニュートラルではないと思いますし、どちらかというと理屈をかましていてつきあいにくい人間だなと思うことはしばしばですが、少なくとも、科学者を名乗るのであれば、それを職業にしているのであれば、彼にはもう少しだけでいいから謙虚さや事実関係をもとにした整合性のある議論をして欲しいと思います。影響力がある人であるだけに、余計に腹立たしく思います。
 もちろん、違う見方をする人はいるでしょうし、そういう思想を断固許さないなんていうほど自分はえらい人間ではないですけれど。