「ジキルとハイドと裁判員」4巻5巻 森田崇著 感想
本年122冊目の紹介本です。
赤のジキルとあだ名される主人公は、不可思議な生命体に憑依されたことにより、自分の寿命の一部を差し出す事によって、どんな他人の過去の姿をも見ることができます。とある人物が過去の何年何月何日の何時にどこにいて何をやっていたのか、どういうシチュエーションにいたのかをすべて見る事ができます。
そんな彼の仕事は裁判官。
それだけに、最初の頃こそその能力に戸惑ったものの、時間が経つに連れ、彼はその能力をどんどんと使うようになっていきます。被告をさばくときに、冤罪にならないように被告の過去を覗き見る、逆に無罪で逃げ切りそうな被告が本当は犯罪を犯していないか、陳述の矛盾や嘘がないかを見る為に過去を覗き見る。それが半ば常態になってしまいます。
そんな彼が新たに担当した事件で、裁判員として選ばれた紫紋という男が、彼の同僚であり恋人である女性の父親の冤罪事件に関係していたことがわかります。
なんとしても冤罪事件のほうも解決したい主人公は、裁判員制度を利用して紫紋の過去を暴こうとするのですが、頼りになる先輩が(ことらは当然のこと他人の過去など見えないので通常の手続きを重視するので)ひたすら妨害役になってしまったり、本当の裁判の方での検察との駆け引きがあったりとなかなか苦しい展開を繰り広げることになります。このあたりは、エンタメとしてなかなか面白い漫画でした。
そして、エンタメであると同時に、裁判員制度、翻っては裁判という制度についても倫理的に考えたりするきっかけになる漫画でした。人が人を裁くという構造がある以上、理論的にいえば、絶対に誤謬がなく完璧な裁判結果を出せるということはあり得ません。有罪か無罪か、実際に犯罪を犯したか否かの判断だけでなく、その罪がどれくらいの情状酌量の余地があるのかないのか、また情状酌量を受け入れるか受け入れないかの基準・評価が相対的に受け入れられるかどうか、また善意の客観的な第三者としての裁判がなりたつのかどうか、政治的な配慮が判断基準に影響を与えているかどうか、これらのことをすべて厳正に間違いなく行うことは人の身では不可能です。
それ故に、誤謬を防ぐ為にと、たいていの先進諸国では裁判の制度が細かいところまで設定され、再審制度もあります。しかし、それがいかに細かくなろうとも、また回数を重ねても原理的に矛盾は生じます。制度的にも無理がありますし、そもそもが絶対的な事実を認定することが不可能だからです。
そこに神の視点、絶対的に間違いのない事実の認定があったとしたら、どうなるのか。そして、それを裁判長ではなくて、脇の裁判官が持ったらどうなるのか。裁判員制度が導入された現在で、その能力を持ちつつも、隠さざるを得ない中でどう活用するのかしないのか、そのときのジレンマはどうなるのか。
思考実験としての要素が非常に大きな漫画でした。それだけに、五巻で完結してしまったのはとても惜しい漫画でした。
- 作者: 森田崇,北原雅紀
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2010/06/30
- メディア: コミック
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- 作者: 森田崇,北原雅紀
- 出版社/メーカー: 小学館
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追記:菅家さんが無罪になった足利事件に続いて、布川事件も冤罪だと証明されたこの時期だけに深く考えるところは大きかったです。