小説・漫画好きの感想ブログ

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東北に引っ越しは僕のエゴですから 一部のめんどくさい人へ

 こんばんは。 
 色々考えるところあって、この話をもう一回することになりましたが、、基本的に僕が東日本大震災で手痛いダメージを受けた東北の復興に何か手助けしたいな、と会社を動かしたり、自分自身が移住して東北で何かしたいなんていってるのも、つまるところは自分のエゴなんです。
 先月あたりから、結構たくさんの方からメールをいただきした。(まぁぶっちゃけていえば不愉快な話、匿名捨てメアドできているメールの主さんたちですが)、東北に移住するなんていうのは偽善の固まりだとか、東北の人間を食い物にするだけだろうとか、できもしない事を書くのは大嘘つきの最低の人間だとか、東北の人間は関西人を信じないとか、偽善者ぶって上から目線で地震について語るなとか、民主党擁護する人間は韓国へ帰れとか、まぁいつにもましてグダグダとメールがくるわけですよ。
 鬱陶しいというかなんというか、正直面倒くさい。
 公けの場で名乗って反論やら意見がいえない人の多さにうんざりしているのであえて改めて、開き直って書いておきますが、東北行きの話なんて、しょせんは僕のエゴであって、自分はそれを特段崇高な話だとも思っていないし、大金持ちでもないんだから、お金をバラマキにいくような話をしたつもりはまるでありません。
 ただただ単純に、この東日本大震災であれだけの被害を受けている東北を見ていて、その復興に何かできることがないかなと思ったときに、たまたま自分の仕事がそちらでも役立ちそうなものだったことが一つあって、なおかつ自分が独身で家族というものがいないので比較的身体が自由に使えるということが重なって、それならやりよう次第で何かできるんじゃないかというのがその根底にあるだけなんです。
 しかし、そうはいっても、大金持ちでもなければ、会社の中での立場だったり責任もあるから、ふらっと東北に移住するというようなわけにもいかなければ、ボランティアなんていう事をするには病弱すぎるわけで、そうであれば、行く為の前提条件をクリアするのが先で、じゃあその前提条件ってのは何かといえば、今の会社で、少なくとも今の会社の運営や実務に僕がまるまる東北へ行ったとしても耐えうる体力やシステムや人材を確保育成強化してしまうことと、その東北へ行ったときに僕が活動し続けることができる東北でのビジネスモデルの構築と東北で人を雇用して動かせるシステム、そういうのを先に準備しておくこと、こういうのが作れないと行くに行けないわけです。
 そのあたりがセレブの人だったり、貯金がたんとある人と違うところで、だから決して素晴らしいことをやれるよというような話ではないんです。単純に、助けに行きたいけれど、それで人生全部を捨ててしまうようなチャレンジはできないし(もちろん東北の人だってそんなことは望んではいないし迷惑でしょう)、今関係している人たちや会社にも迷惑がかかることは出来ないわけで、そういう前提をクリアした上で行きたいなと思っているのが実際のところです。
 だから、そういう事をやりきるには、どうしたって一年や一年半かかる可能性が高いわけで、到底大上段から振りかぶっていえるような偉い話でもないし、偽善でいってるわけでもない(というか、この程度のレベルで偽善もない)話です。要は自分のエゴとして、自分が人生を晩年に振り返ったときに、人の役にたった人生だったなと振り返りたいし、大して何かの能力に秀でているわけでもないんだから、こうい時にできることをできる範囲でやれたらいいなという程度のお話です。
 決してだから、何か宗教的な信念にかられているわけでも、勿論のことながら、何かの大掛かりな詐欺でやるわけでもないし、ほんの微々たることをやりにいければいいなというような話だし、それもこれも自分のエゴといってしまえばエゴの話です。
 勿論、それがお仕事にもうまく結びついて、東北でたくさんの雇用を埋めたり、そちらに税金やお金が落ちる仕組みが作れれば(法人市民税、法人県民税もそうだし、衣食住や経費を考えればかなりお金は少しは落ちますよね)いいなというお話です。
 メールでつらつらと文句を書いてくる人にいっておきますが、この程度のことはたくさんの人が同じように考えていることだし、特別な何かというようなレベルでもなんでもありません。自分たちの世代のしたことについて後代の世代によりよいものを残しておくこと、年長者は年少者のために何かすること、一番弱者の女性やら子供やらに何かしてあげること(このあたりは敢えて男尊女卑と言われるかも知れませんが)、はごくごく当たり前の話であって、そこには別に何人だとかどこの県民だとかイデオロギーは関係のない話です。
 あの岩手だったり宮城だったり福島の状況、またうちの支部もありますが長野の状況を聞いて「ふーん」と他人事であったり、寄付ひとつ全くしないなんていう人はまずいないはずです。それと何らかわりないレベルの話です。
 ただ、たまさかそういう中で、自分がそういう職種であったり、独身であったり、街づくりに興味があったりするし、ある程度そういうところで会社の中で責任はあるけれど融通が反映させられる役職にあるという偶然が重なっているだけです。
 ほんとただそれだけのことです。
 それにこんなこと言ってても、一年くらいの間にかなり復興が進んで、自分の出番なんてまるでない状態になっている可能性も十二分にあるし、身体が壊れればそれまでの話ですし、不透明なものです。経済の冷え込み次第では動きたくても動けない可能性すらあります。
 ただ、自分としては、できるときになってとか、できたときだけ何か言うってのは違うと思うし、現場の東北方面の人からすれば支援の声だとか気持ちが少しでもたくさんの人たちから伝われば少しは気分も違うだろうし、口に出して言うことでその現実が少しでも近づくなら言っておくべきことだと思うんです。それだけです。
 これでも、まだ文句がたんとあるというのであれば、それはもう公開で言ってください。でないと、申し訳ないですが、読まずに削除にさせていただきます。