小説・漫画好きの感想ブログ

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「ツチヤ教授の哲学講義 哲学で何がわかるか?」 土屋賢二著 感想 

 本年92冊目の紹介本です。

 どちらかというとギャグ的エッセイのほうが有名になってしまったツチケンの、真面目な本職、哲学教授としての大学での講義集です。哲学とは一体なんであるのか? という一点から説き起こして話を始めるのが本書なのですが、この本を読むと、一般の哲学に対するイメージは大きく崩れることになると思います。といっても、それは氏がいつものようにギャグに走ったり、詭弁で読者をケムに巻くからではなく、哲学というものに対して世間一般の人が持っているイメージ、に対して全く否定的な態度を取ることもまた一つの哲学だと著者が強く主張・説明するからです。
 哲学者たちが、それぞれの主張や思想に基づいて対立したり、さらに進化させることは常識といえば常識ですが、彼によれば、そういう次元そのものではなくて、哲学というのがこの世のどこか別の世界に、この世の中以上の真理や教え、感覚的な世界に真理があるという形而上学的なものを研究していくと側面があるけれども、そういうのはすべて誤っているのではないかと茶者は言います。勿論、そうは思わない哲学者もたくさんいて、イデア論を説くプラトンなどはその筆頭です。そして、どちらがより偉人かといえば、世間一般では圧倒的にプラトンの方にその軍配があがると思いますが、でも、哲学というものに対しての捉え方としては、著者のほうがより正常なのではと自分は思いました。
 彼は言います。哲学は、文学でもなければ、宗教でもない、だが科学でもない。とはいえ、神秘的な領域から何かの啓示を引っ張ってきたりするものでもない、と。そして、哲学は神秘的領域を扱うべきであるとする人々の哲学についての代表的哲学者の主張に対して一つずつ反論してゆきます。
 その過程を通して、読者は形而上学的な哲学者の思想の変遷と、それに対するアンチテーゼを土屋賢二の主張を通して知ることが出来ます。そういう意味で、哲学に対するイメージや感じ方が大きく変わる本でした。

 ちなみに。
 本書の中で登場する哲学者達とその代表的な思想(つまりは土屋賢二が否定する思想)は以下の通り。
 ・ベルクソンの純粋持続 「我々が時間と呼んでいるものは時間ではない」
 ・プラトンのイデア論 「それが美しいのはそこに美が宿っているからだ」
 ・デカルトフッサール現象学 「われ思う故にわれあり」
  
 それ以外に、ウィトゲンシュタインの「論考」から「言語ゲーム」に至る流れと、どうして彼が「すべての哲学の問題は解消された」と言い、語りえぬことについては沈黙しなければならないと言ったのかという事についての一つの解釈がとてもわかりやすくまとめられています。
 彼らによれば、哲学のたいていの問題は問いのたてかたが間違っているのであり、それは日本語・英語に限らず言語上の問題から解決不可能であり、つまるところ哲学でそれらの問題を解く事は理論上不可能であるという説をとっている。そして、その説の通りであるならば、哲学は生きていく上での意味や形而上学的なことについては意味がないのではと思われる点についても、哲学にはそういう能力はない、というよりはそれは哲学では扱えない。ただ、言葉上の問題から生じる、たとえば「本当の自分とは」といった意味のない問いに時間を費やすことを防ぐ効能はあるのだと書いています。このあたりはこういう短いレビューで書くと、傲慢に聞こえたり、真意が伝わらないので本書を読んでいただくしかないのですが、それはそれで立派な哲学的な主張のように感じます。二度、三度と再読するのがいいタイプの本です。
 

ツチヤ教授の哲学講義―哲学で何がわかるか? (文春文庫)

ツチヤ教授の哲学講義―哲学で何がわかるか? (文春文庫)