小説・漫画好きの感想ブログ

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「時が滲む朝」 楊逸著 感想 

 本年37冊目の紹介本です。
 2008年の芥川受賞作品で、海外の作家が母語(この場合は中国語)以外で書いた作品としては初めての受賞ということで当時話題になった一冊です。
 ということで、感想ですが、、、いたってごく普通の小説です。すごく面白い、ということもなく、ちょっと期待はずれだったかなというのが正直なところです。読むまでは最近の尖閣諸島問題やら、北方領土問題の北方四法でロシアと北方領土を共同開発するというニュースやらで、中国関係についてはちょっと食傷気味でしたので、かなり身構えて読んでみたのですが、読んでみると最初に書いたようにあまりに普通すぎる小説で、ちょっと肩すかしを食らいました。
 ありていにいえば、ポプラの文学大賞で水嶋ヒロが賞を取ったときも同様の感想を持ちましたが、「これって確かにまぁ小説は小説だけれど、そんなに受賞作になるくらいのレベルなのか?」というレベルの小説です。
 よくあるタイプの若者の青春時代と、その後を描いた(その後があまりにも寂しく尻すぼみすぎますが)作品というだけで、取り立てて輝くところが見つけられません。賞としての価値が「小説」ではなくて、「外国人が書いた」というところにしか見つけられませんでした。
 あらすじでいえば、1989年6月4日に起きた「天安門事件」と同時代に生き、中国の民主化の希望に満ちていた名門大学の若者達の、高揚と失墜のその後の半生を描いており、当時の大学生・エリートたちがいかにアメリカのような民主国家を夢見ていたか、それがあっけなく無残に打ち砕かれたあとに残されたものは何だったのかということが主題になっています。
 しかし、そういう大きなテーマをもった小説の割には、天安門事件そのものが伝聞という形でしか小説に登場しないという最大の欠点があり、そのあとも、主人公達は散り散りになってそれなりの人生しか送れず、世界各地で「香港返還反対」「北京五輪反対」活動を草の根で繰り広げるも多くの中国同胞たちには相手にされてないという寂しい現実が細々と綴られるだけで、小説的にはいたって尻すぼみで、歴史的な解答を何ら描けていないところにかなり問題があるのではないかと思います。
 主人公として登場する「二狼」、梁浩遠と謝志強を狂言回しにして、彼らに語らせる形ででもいいから某かのメッセージなり答を提示して欲しかったです。
 あの当時、自分も含めて多くの日本人はこれで中国は本当に民主化するのではないかと少し期待しましたし、天安門事件で学生達が戦車にひかれたというニュースに義憤を起こしもしたものです。体制の違いはあれど、権力の抑圧があまりにも前代的に過ぎるのではないかと思ったものです。
 そのあの場を主題に据えるのなら、その事件当時の中国の潮流やら、その思想的結末がどうなったか中国の現政権はそれとどういう位置づけにあるのか、中国の一般市民たちはそれらの歴史の流れについてどう思って、どう感じているのか、そのあたりを小説の中で誰かに代弁して欲しかったなと想わずにはいられません。
 この小説の中に登場する中国人は、著者が中国人である以上は、ある程度はリアルに反映されているのだとは思いますが、もしそうであれば、あまりにも社会体制や民主主義というものをなんとも思っていない、よく言えば大局的に時間が解決するものと鷹揚に捉えすぎ、悪くいえば自分とは無関係な問題と切り捨てすぎていて、どちらにせよ、ちょっと政治意識がなさすぎるように感じました。  
 尤も、これは楊逸という作者のフィルターを通してのものですから、本当の彼らはもっともっと政治的なのかも知れないし、もっともっといい加減なのかも知れませんが、もしこの小説の中の空気がかなりリアルなのであれば、あの当時、アメリカ的な民主主義を夢見ていた学生たちが潰されてしまったのは残念でなりません。
 もし。
 歴史にもしは認められませんが、もしあそこで民主化が進んでいれば、今の世界はもう少しよいものになっていた可能性が高かったのではないかなと思います。「我愛中国」という言葉ももっと響きのいい言葉に聞こえたかも知れません。
 

時が滲む朝 (文春文庫)

時が滲む朝 (文春文庫)