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「歴史の中の『新約聖書』」 加藤隆著 感想 

 本年30冊目の紹介本です。
 読んだのは少し前ですが、うまくまとめづらくて紹介が伸び伸びになっていた本です。この本はざっくりと言うと、新約聖書というのはその成り立ちからして矛盾に満ちた本であるから、それを統一的に理解しようとするのは不可能である。故に、個々のところを解釈の違いや制作者の意図の違いを理解して、キリスト教とユダヤ教の違いや意味を理解していかなければならないというスタンスの本です。
 わかりづらいですか? ですよね。自分で書いていても、どこまで伝わるかなぁと少し不安です。ただ、ともあれ、ユダヤ教とキリスト教がもともとは同じ唯一神、絶対神、ヤーウェー、ヤハウェイを信奉していた筈なのに、どこでどう教義が入れ替わって、今のように分裂していったのかという長年の疑問は解決されましたし、キリスト教の構造的な問題点、長所と短所を概観することができましたし、自分にとってはなかなかに良著でした。
 また、面白いなと思ったのは、キリスト教の各派についても、グノーシス派や、プロテスタント、カトリックの違いなどはまぁわりと一般論としてみなさん知っておられると思いますが、それ以外にも多種多様な派閥があり、そのそれぞれにとってキリストの位置づけというか存在理由も千差万別だというのはなかなかに知的好奇心を刺激するトピックでした。
 例えば、キリストそのものが神と同義だとする学派(仏教で言うところの分身に近い)もあれば、キリストは神の子の一人にすぎない、或いはキリストは神と人類の繋がりを示したことにおいて意義があっただけであり、本質的にはキリストは特別ではないとする派があったり、またその証明としてのキリストに意味はあるが彼そのものに神性があるわけではないとするものがあったりと色々でした。もちろん、ここに取り上げられた各派閥以外にもそこから派生するカルト的なものはもちろん色々あるわけで、そういうのを考えると更に面白いです。
 もちろん、キリストについて以上に「神について」のあれこれの考え方、とらえ方の違いもあり、そちらも面白いテーマでした。
 

歴史の中の『新約聖書』 (ちくま新書)

歴史の中の『新約聖書』 (ちくま新書)

追記:キリスト教といえば昨日こんな記事もありましたね。
まぁ、確かにそれは当たり前なんだけれど、今年のはじめにローマ法王SNSやインターネットについて「新しい荒野に神の愛をもたらすため、司祭や信者は積極的に使うべき」なんてことを言ってただけに、、むむむ。

米国のソフト会社がカトリック教徒向けに開発したiPhone(アイフォーン)用「ざんげ」支援アプリケーションについて、バチカンのフェデリコ・ロンバルディ(Federico Lombardi)広報局長は9日、「ざんげには罪を悔いる本人と聴罪司祭との個人的な対話が不可欠だ」と述べ、否定的な考えを示した。
 ロンバルディ広報局長は報道陣に対し、「あいまいな点を残さないために強調しておくが『iPhoneを介してざんげする』などということは、いかなる状況においても不可能だ」と語った。
 このアプリは、米インディアナ(Indiana)州サウスベンド(South Bend)にあるソフト会社リトル・アイアップス(Little iApps)が開発した「Confession: A Roman Catholic App(ざんげ:ローマカトリック教会アプリ)」。「iTunes Store(アイチューンズストア)」から1.99ドル(約160円)で購入できる。