小説・漫画好きの感想ブログ

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「晩鐘 続・泣きの銀次」 宇江佐真理著 感想 

 今年27冊目の紹介本です。
 紹介していない本がひたすらドンドン溜まっているので、本のレビューや紹介を少し立て続けにいきますね。
 これは、歴史物で傑作が多い宇江佐真理さんの作品の中でも人気がたかい「泣きの銀次」という作品の続編です。「泣きの銀次」は、死体を見ると泣けてきて泣けてきて仕方なくて号泣してしまうという一風変わった岡っ引きの捕物帖でした。今回のあらすじにも繋がるので感嘆に説明すると、そのときの銀次は最初、小間物問屋の大店の跡取りで、遊び人の放蕩者でした。それが、妹のお菊が猟奇殺人鬼に殺されたのがきっかけで彼は岡っ引きになり、事件解決に乗り出しいっぱしの十手持ちとなって活躍するというお話でした。
 それが、今作ではその十年後が舞台ということで、銀次の実家は火事によって店が焼けて零落し、彼は今で口やかましい奥さんをもらって、小さな小間物屋の棒手ふりのようなことをしており、すでに十手を返上していたりします。つまり、この話の冒頭では、彼は生活に追われ、既に十手持ちですらなくなっています。
 一方その逆に、当時は彼の下にいた政吉は今では大店の料理店を営みつつ、岡っ引きとしても幅をきかせており、人生が逆転しています。そして、それらはもう覆られないものに見えていたのですが、江戸で連続して起きた婦女連続誘拐事件の発生によって、大きく揺らいでいきます。たまたまの偶然で、銀次が、誘拐されてとある廃屋敷に捕らえられていた娘を助けだしてしまったのです。
 その娘からも懇願され、かつての親方からも要請され、彼は再び十手を握ります。
 しかし、そのことによって勇気づけられたものがいる一方、運命がねじれていくものも生まれ、悲しい事件も引き起こされます。ミステリ作品でありながらも、事件が解決することと誰かが幸せになるのが決してイコールではないという現実をも描いているこの作品は、前作より、より深く人間の悲哀を描く作品となっています。ある意味、それこそが宇江佐真理さんの作品の特徴であると言えなくもないのですが、少し苦い後味が残る作品です。
 尤も、この作品を、自分がもっと若い時に読んでいたらその感想は少し違ったものだったかも知れません。最近、歴史小説を読むと特にそうなんですが、あらがえない社会情勢やら社会の仕組みに嘆息し、道を間違えてしまった、理屈ではわかってもそういう風に曲がってしまった敗者の方にも同情の気持ちや悲哀の気持ちを強く感じてしまいます。これは、ひょっとして自分が年を取ってしまった証拠かな、なんてやくたいもないことを思ったりもして、なんだか複雑です。
 
 さて、この「晩鐘」はさらに続きがあって、ハードカバー版では「虚ろ舟」という続編が出ているようです。「虚ろ舟」というと、諸星大二郎の「妖怪ハンター」にも出てきましたが江戸時代のUFO譚の主役とでもいうべきもので、果たしてどんな作品になっているのやら気になるところです。
 個人的には、宇江佐真理さんの最高傑作は「髪結い伊佐次捕物帖余話」だと思いますが、このシリーズもちょっと追っかけてみたいと思います。

晩鐘 続・泣きの銀次 (講談社文庫)

晩鐘 続・泣きの銀次 (講談社文庫)