小説・漫画好きの感想ブログ

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「ねむり」村上春樹著 カット・メンシック画 感想 

 今年一冊目の紹介本です。
 読んだのは年末のほうで、かなりアップしていないのが溜まってきたのでじわじわとまた紹介していきたいと思います。で、今年は、下のほうでご意見をいただいたこともあり、わりとじっくりめに書き急がないで紹介していきたいなと思います。やっぱり、好きでやっていることなんで、気分が乗ったままに脱線したりしながら書いていきたいと思います。
 さて。
 村上春樹です。
 去年は「1Q84」が社会現象になり、年末にはマツケン主演で「ノルウェイの森」が映画化されたり何かと話題の村上春樹さんでしたね。ハルキストならずとも、なにかと村上春樹の話題を耳にしたことと思います。日本の文壇からは極度なまでに嫌われ続けるも、世界からは歓迎され注目される春樹さん。彼はたびたびここでも書いたことがあるかと思いますが、僕にとっては文学的なアイドルで、彼の作品の色々な要素がとても好きで、僕にとってはずっと追い続けている/追い続けていくだろう作家さんです。
 なので、ここでも新刊が出るたびに紹介していくことになると思います。
 ということで、村上春樹の最新の本がこの「ねむり」です。
 ただし、完全な新作というわけではなく、これは「眠り」という「TVピーブル」という短編集に収録されていた作品のバージョンアップになります。春樹さんはときどきこうしたバージョンアップというか改変をする作家さんなんですけれど、それをいちいち一冊の本に仕立てるということはいまだかつてありませんでした。
 それが今回何故こうして改訂版が出たのかというと、その作品がドイツでイラストをたっぷりと入れたイラストブックとでも呼ぶべき作品として発刊されたことがきっかけのようです。普通、日本の小説の場合は、あくまで小説は小説で、装丁や挿し絵は別の作品という扱いになります。ハードカバーと文庫では装丁も挿し絵もイラストも違うし、再版となると、全然違うイラストレーターさんがそういうのを手がけることもあります。しかし、ドイツで出されたそれは、イラスト込みで、もっと強くいうとイラストがかなりの比重を占める作品になっているからです。2009年にドイツで発行されたの「Schlaf」という作品がそれなんですが、デュモン社から出たその本は、カット・メンシックさんというドイツの人気イラストレーターが、大量にイラストを描いています。日本版もそれを踏襲しているのですが、その点数が圧倒的に多くて、ある意味、絵本のようにすら感じられるくらいの比重でイラストが入っています。
 春樹さんも、それを店頭で見て感じるところがあったらしく、日本でもこういうものをやってみてもいいかなと思い、そして、そうするのであれば、前に書いていた「眠り」という作品をバージョンアップしようと手をいれたんですね。それが、この「ねむり」という作品で、タイトルも表記の仕方で別作品として認識できるようにしています。
 (ただし、あくまでバージョンアップという感じであって、「蛍」が「ノルウェイの森」になったように全面的に変わるとか、長編に変化するというわけではないです)
 正直イラストについては、賛否両論別れると思います。
 カット・メンシックさんという人のタッチも、下のアマゾンの表紙だけではわかりにくいかと思いますが、日本人がふだん馴染んでいるタイプのイラストとは大きく毛色が違います。よく言えば、斬新、新機軸、悪く言えばちょっとホラーっぽい感じすらします。なので、村上春樹作品にジャストフィットしているかといえば、個人的には、あくまで個人的な意見ではですが、もう少し叙情的で繊細なタッチのほうがより彼の作品には似合うと思います。ですが、こうした、小説+イラストが大量に入った「本」というカテゴリーは、日本では絵本以外には余り見られないものですから、これを契機にこういう「本」(アートブックと呼ぶようです)がジャンルとして出てくるのであれば大いにそれは歓迎したいなと思います。
 
 作品内容は、改訂前の「眠り」同様に、ある主婦がある日突然眠れなくなってしまうというお話です。不眠症のように、なかなか眠れない。或いは、主人公がかつて若い時期に一度体験したような傍からは気づかれなくても常に半分眠ってしまっているような状態でしなくて、きっぱりと睡眠というものがなくなってしまった女性のお話です。
 彼女は、ある日、突然に眠りを感じなくなります。
 少々ホラーで不気味な「何か」の到来により、彼女は、眠りを奪われてしまいます。その「何か」は特別に何かを語るわけでもなく、その後は一切彼女の前に現れませんが、「何か」の登場以降、彼女はまったく眠りを感じられなくなります。主人や息子は夜になれば食事を終え、お風呂に入り、ベッドに行って眠りに落ちていきます。しかし、彼女は全く眠れないし、眠いとすら思いません。深夜に一人起きている彼女は、ドストエフスキーの大長編を何度も何度も繰り返し読み続け、夜の町に出たり、車に乗って音楽を聴いたりします。彼女にとって、夜は自分一人の時間であり、完全な孤独の時間です。しかし、彼女はそれを苦痛であるとも、恐ろしいことだとも思いません。いつか眠りが訪れるのだろうかとは思うものの、ある意味とても充足した時間を過ごします。最近の生活ではまったく出番のなかったチョコレートを思う存分に楽しみ、主人との性行も意識を切り離して行い、自分の世界に深く耽溺していきます。
 これを深読みして抑圧された主婦の潜在意識の現れと取るのか、それとも文字通りにファンタジックな物語と受け取るのか、それともまた、ある種のホラーとして受け取るのかは人によって別れるところではあるかと思います。ただ、この作品世界には20年前も、今もかわらない村上春樹ならではのテーマが存在します。「あちら」と「こちら」、意識の変容、普段見慣れた世界がずれる感覚などが十分に詰まっており、それらが同じ作品の中で時間の経過とともにどう変わっていったのか、文章のスタイルはどう変わっていったのかをじっくり楽しめるという点では間違いがありません。
 
一応かなり変わったタッチなので、下にその画像もはっておきますね。
http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/353426/

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ねむり

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