小説・漫画好きの感想ブログ

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仙石官房長官の「自衛隊は暴力装置」発言について

 こんばんは。
 今日はどこのテレビもラジオでも、「暴力装置」についてボロクソに言われていましたが、、、、まぁ大前提として言葉の選び方がちょっと軽率にすぎたというのはあるでしょう。大前提として、言葉についてのトラブルが多い最近の民主党だけにもうちょっと考えて発言はしないと、とは思う。
 でも、自衛隊は暴力装置だからシビリアンコントロールが必要だというのは至極当たり前の話しすぎて、何故にそれが心情論的というか脊髄反射的な叩きに繋がるのかという部分においては、ちょっとやりすぎだなぁと思う。かつて麻生首相がバー通いをしただけで叩かれていたような、言葉の読み間違えで叩かれていたのを思い出してちょっとあんまりにもそれはそれで民度が低いなぁという気がしないでもない。
 そもそも、暴力装置という言葉自体は、もう今更という気がしないでもないが大学にいったら必ず習うたぐいの学術的な基本用語でしかない。マックス・ウェーバーだったかな。彼が、社会の中においては、暴力に対抗するために組織だった暴力をもつことが国家として必要だといい、その暴力装置というのが軍と警察であるという、ただそれだけの意味でしかない。そこには、侮蔑的な意味も何にもない(仙石さんの頭の中は知らないですよ。単純に自衛隊が嫌いなのかも知れない)。 
 自民党の石破さんも同じような事を前に言っていたのを聞いたことすらある。
 自衛隊に限らず、アメリカ軍も、警察も、中国軍も、すべて暴力装置である。
 もちろん、日本の自衛隊の場合は、救難活動に従事したり、災害時にはまっさきに駆けつけ、海外の復興にも尽力するという純粋な軍隊とは違う人助けの組織という組織もあるから、学術的な用語としてきかずに暴力、装置といわれると辛いものがあるとは思うが、そんなに自衛隊にも一般の人々にも一般教養がないとは思えない。これは、ためにする批判だという気がして仕方がない。
 こういえば、わかりいいだろうか。
 「天皇機関説」こういう事を唱えた人がいる。当時は天皇はまだ現人神と思っている人が多い時代だから、心情的にこういう学説を出した人はかなり叩かれたらしい。でも、天皇のいる意味、天皇というのはどういう位置づけにあるかという事を思考するための言い方、伝え方としてはこれはとてもベターな考え方だった。そして、この言葉は今では普通に学術的な用語として使われている。けれども、ごくごく一部の天皇が絶対だ、天皇に異常に価値を置く人にとっては、いまでもこの言葉はかなり嫌悪の対象になるらしい。
 今回のこともそういうものなんだろうと思う。ただ、最近のマスコミのレベルの低さをすると、そういう暴力装置という言葉すら知らずに、みんなを守ってくれている身体をはっている自衛隊のことを、暴力の組織みたいに、一個の機械仕掛けの装置みたいに言ったと怒りを覚えていそうでそれはそれで怖いなと思う。

 誤解をおそれずに言えば、自衛隊に限らず、軍は決して尊敬すべき存在ではない。
 本当はいなければいない方がいいに決まっているものである。これはそこに働く人たちがいなくなればなるほどいい存在ではある。当然当たり前のことであるが、世界中から戦争が消えてなくなることに反対の人はいないだろうから、それはそうのはずである。ただ、現実の世界において、今すぐに世界中で戦争がなくなることもないだろうし、相手に戦争をしようという気を起こさせない為にやむを得ず置いておくしかないし、そういう物を存在させざるを得ないからいやいや置いてある必要悪というのが軍隊である。
 けれど、ときに、それがかっこよく見えたり、何かの誇りのように錯覚されるときがある。
 これは明かな戦争の刷り込みである。本当はいなくなって欲しいけれど、今すぐは手離すことが出来ない存在でしかないものが、あたかもいいもの、大事なものに思えるのはかなり間違ったことだと思う。だから、暴力装置という言い方は置くとして、軍隊というのが必要悪でしかないという意識は持ち続けるべきだし、それをなくすために世界は努力しないといけないという認識も持たないといけないしそこに向けて努力するしか世界が生き残る方法は実はなかったりする。
 中国に対抗して同じだけの戦力をもったとしても、核ミサイルに限らず近代戦争において、日本は中国には絶対に勝てないし、同じだけの被害を与えるだけの力をもったとしても、或いは中国に二倍する戦力をもったとしてもあの広大な国土を相手に日本は中国を倒す術がない。もちろん、アメリカを倒す術もない。そういう点からしても、日本はある程度の戦力、自衛力はもたないといけないにせよ、本当の意味での武力闘争に力点を置くことは全く無意味でしかないのだ。
 まぁ、ここ最近の中国のご無理ご無体、ロシアのご無理ご無体を見るにつけ、ナショナリズムが急速に高まり、自衛隊を増強したり、軍備を増やしたり、核兵器を持とうというような衝動的な声が高まるのもわからないではない。でも、それが実質的な効果力としては意味がないということは一度冷静になって確認しなくてはならないことではないだろうか。

 まぁ、、、仙石長官についてはまったく庇おうという気にはなれないんだけれどもね。
 こないだの尖閣諸島流出ビデオの発信者を世論におもねって逮捕できない、幼保一体化についても腰砕けの状態(これについては別項をもうけたいほどの話、これこそものすごい差別土壌が噴出した大問題なんだけれどね)では、、、どうしようもない。本当にこの方、最近ちょっとおかしいですからね。

 個人的には仙石さんのこの発言より、柳田法務大臣のあれのほうが酷いと思うんですけれどね〜。