小説・漫画好きの感想ブログ

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「青雲はるかに」上下巻  宮城谷昌光著 感想

 思うところがあって、最近宮城谷作品を再読しております。
 これもその中の一冊です。
 主人公は、魏の范雎。彼は学問で身を建てて王政に携わりたいと思っていましたが、彼には頼るべき門地や有力者がいず、諸国を放浪する毎日です。しかし、そんなある日、范雎は、諸国遊説の途中の偶然の出会いから、運命の女性ともいうべき、原声という女性と出会います。
 しかし、旅先で知り合った一夜だけの出会いで、彼は原声と別れることになります。
 後年、彼は魏の宰相である魏斉という人物の部下である須賈のもとになんとか仕えることになりました。しかし、彼にとってはこれが転落の始まり。彼は須賈に従って斉に赴いたおり、旧知の人物のおかげで斉の襄王に会見することができたものの。彼を疑った魏の宰相・魏斉は王とあったコトを彼が密偵である証拠だと誤解して彼にとんでもない罰を与えます。彼は范雎にいっさいの弁解を許さずに、宴の際に彼を鞭で半死半生にになるまで叩き、加えて殺したと確信したあとに厠の下に投げ込み上から小便を掛けるのです。あまりにもひどい仕打ちです。
 范雎は間一髪でその窮地からは助かるのですが、その後も魏斉らの手によって范雎は常に命を狙われ続けます。
 彼は、その恨みをはらすため、そして自らの運命の人の原声と結ばれるために、魏斉に復讐することを誓い、当時勢力を伸ばしていた軍事国家である秦へと行きます。そして、首尾よく秦の昭襄王と接触、少しずつ信用を得た上で、ついには王以外の王族をすべて追放し権力を握ります。
 そして、いよいよ魏の宰相である魏斉への復讐に乗り出し、見事、彼らを滅ぼすことに成功します。。。
 
 ということで、いわゆる復讐物語であるこの作品ですが、最初に読んだときは主人公の艱難辛苦を乗り越える胆力と自らに課す徹底した成長への意志に感動したのですが、、読み返してみると、ちょっと気になる部分が。物語上、致し方ない事とはいいながら、実は主人公の范雎も自分の欲望や復讐心のために周りの人々に不幸をもたらしているのではないかと。
 人を人とも思わない、自らの欲望のために庶民を酷使し民をいたわらない悪政を敷く魏斉に対しての攻撃ということでそういう意識が薄れがちですが、彼が進める魏攻略のために何十万人という人々が両国をあわせれば死んでいきます。また関係者も多数死んでいくことになります。その中には無辜の民もたくさんいるわけですし、彼の戦争によって奴隷の身に落とされた人々も何万人という単位で出ます。果たして、個人の復讐のためにそこまでの犠牲が許されるのか。そういうところを気にしだすと昔のように素直に楽しめなくなった部分が今回はありました。
 中国人のメンタリティーは、メンツであり、家族であり、それ以外のことや人はあとまわし。極論すればまったく気にしないということは学問の上ではよくわかっていたのですが、、、今現在の尖閣諸島問題などと考え合わせたときに、素直に范雎の行蔵を喜べない自分がありました。

青雲はるかに(上) (青雲はるかに) (集英社文庫)

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