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「ドリームガール」 ロバート・B・パーカー著 感想

 ロバート・B・パーカー氏のスペンサー・シリーズの文庫最新刊です。
 今回の依頼者はエイプリル・カイル。スペンサー・シリーズの愛読者であれば、あの売春少女のエイプリルが三たび登場かと驚くと思う。このシリーズ、義理の息子のようなポールは別として、依頼人が再登場することはきわめて稀であるだけに、ちょっと驚いてしまう。
 さて、あらすじのほうは彼女が登場するということで、売春がらみの話になるのは当然として、今回のお話は、彼女がボストンで経営する売春宿に恐喝の手が伸びてきて、彼女がその排除をスペンサーに依頼するところから幕を開ける。昔は少女であり、小娘であったエイプリルは、いつの間にやら美貌の売春宿のオーナー経営者となっていたのだが、最近になって、彼女のもとに商売のあがりの25パーセントを寄越せという恐喝者が現れるようになったというのだ。彼女がやっているのは、選ばれたトップクラスのお客様だけを相手の秘密クラブのようなものだけに、信用が大事なのに、その恐喝者たちは彼女の館へと乱暴に入り込んでくるというのだ。さっそく、ホークとともに調査に乗り出すスペンサー。彼は、その暴力者たちを追い返し、彼らにその依頼をしていた誰かを探し始める。しかし、調べてみたところ、恐喝の主はどうやらエイプリルの過去の客で、しかも、彼女に昔所属していた組織から資金をひっぱり、彼女をオーナー経営者にしようとした男であることが判明する。ということは、この恐喝そのものが、これはエイプリルの偽装なのか?

ミステリなので、あらすじの紹介はこれくらいにして、今回結構気になったのはエイプリルの心の傷のほうだった。
 エイプリルは、初登場のときはそれはそれはひどい売春をさせられていて、心に深いトラウマを負っていたところをスペンサーに助け出されている。二度目の登場のときは高級な未成年娼婦という姿に変貌しており、スペンサーの薫陶のもと文化的な振る舞いや教養を身につけるよう指導される(考えてみればハードボイルドの探偵がそういうのを薫陶するのも不思議な話ではあるが)が、娼婦であるにも関わらず愛を夢見て再びその世界へ戻らざるを得なくなっていた。
 つまり、彼女のこれまでを辿れば、表面上だけをとらえれば、彼女が本作品題名の「ドリームガール」という名の娼館を作ろうとした心理は普通に理解できる。男が客としてしか関わらない、男に邪魔されない、男に支配されない、男に翻弄されない、男に搾取されない、女達が主人公の城をフランチャイズして社会的成功(といっても売春チェーンなのだが)させようという意識を持つことは、歪んではいるが極めてストレートな心理移行だと思う。が、、それを聞いたスーザンが精神のありようというのは大きくは変化しないというのが極めて象徴的なことを宣言する。これが実に興味深かった。
 (普段はスーザンのハーバード出身であること、心理学の博士課程をもっていること、精神科医であることは物語の記号に過ぎないケースが多かったが、今回はそれがこういう象徴的なことでとても重要な示唆を与えていた)
 というのも、自分の知り合いに、そこまでひどくはないが、どうしても水商売から抜けられない女性がいるのだ。彼女は、その夜の関係の仕事で時々手ひどい傷を負ったり、借金だったり、身体の傷を作ったりもするし精神的な傷を負うのだがどうしてもそれを辞められない。ときに酷く疲れたり理性が強く勝つときには自分はまっとうに頑張ろうとするんだと言うのだが、しぱらく時間が経つと、彼女はその生活に戻っていく。
 それはもうはたから見ていると、どうしてそうよくない方へよくない方へいくのかと呆れるばかりだし、何度も同じ失敗をするのだろうと忠告はするのだが、どうしても「今度こそは」「今回は違うんだ」といいながら同じ失敗を繰り返す。いくら夢のために頑張ろうとしても、人生設計を立てても、何をどういってもその生活を根本的に永久に変えることができないというのを僕は実体験として知っているので、この話にはけっこうこたえるところが多かった。
 一体、そういう風な方向に人生をまげてしまうのは(えてして本人たちは曲がってないと思うのだが)、どこにその人生の分水嶺があるのだろうと、そんなことを考えながらの読書でした。生まれたときからそれは決まっている、というのは明らかに切ないし救いがないのだけれど、さりとて神のごとき傲慢さで「そんなものはいつだって改変できるんだ」といえるほどの若さや楽天さをもてない自分にもちょっと自己嫌悪があったり、、なんだか複雑でした。

ドリームガール (ハヤカワ・ミステリ文庫 ハ)

ドリームガール (ハヤカワ・ミステリ文庫 ハ)