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「ローマ人の物語〈38〉キリストの勝利〈上〉」 塩野七生著 感想

(データベースより)
紀元337年、大帝コンスタンティヌスがついに没する。死後は帝国を五分し、三人の息子と二人の甥に分割統治させると公表していた。だがすぐさま甥たちが粛清され、息子たちも内戦に突入する。最後に一人残り、大帝のキリスト教振興の遺志を引き継いだのは、次男コンスタンティウス。そして副帝として登場したのが、後に背教者と呼ばれる、ユリアヌスであった。

 ということで、いよいよローマ人の物語も佳境に入ってきました。
 王政から共和制へ、帝政から、複数帝政へと変貌し続けてなんとか命脈をたもってきたローマ帝国も、五賢帝時代をもってしてもその衰退がとまらず、没落への道をさらに歩み始めます。
 その歩みに、タイトルにもある通り、キリスト教が大きく関わっていくというのがこの巻のお話なんですが、、初期から興隆を遂げていくローマの歴史を追っていた読者としては、やはりローマが衰退した大きな原因はこのキリスト教を認めた、認めただけでなく取り入れていってしまったことが癌だったんじゃないのか、翻っては今の世界での紛争のおおもとをこのキリスト教が作っているのではないかとさえ思えてくる説明でした。
 僕個人の観点からいえば、現在においてのキリスト教のマイナスは先のイスラム教とのぶつかりあいも含めて、絶対的な神、誤謬を犯さない人間よりも絶対的に上位の神を置いているところに責任放棄や、排他的な精神世界を作り上げていく素地というかマイナスの因子があるというのそれなのですが、、このローマ人の物語を読んでいくと、そういう精神世界的なものではなくて、キリスト教の容認と認可、国家の基本宗教への動きの中に、市民感情は抜きにしてもいろいろな特権を付与していってしまって、いまでいう政と官と財の癒着構造をキリスト教がもっていることが根本的に問題なんだと気づかされます。
 いや、こう書くとキリスト教に悪いので少し訂正しますと、そういう損得をうまく巧みに操って、現世での身分や特権、財テクだけでなく、死後までの安心を買わせるといったシステムをキリスト教とローマ帝国が作りあげていったのが中世や近世にいたるまでの人々の不幸の大本だったかなと感じます。
 そして、その手口というかシステムを多くの宗教や国家が取り入れていくことで、政治と宗教の分離ができない、むしろ政治が特権的宗教を求め、宗教でも政治と一体になる構造が出来上がりすぎていることで、数々の弊害が今の世の中にあるということがわかります。そういう意味では、この時期に、ローマ帝国でキリスト教が一つの実権を握るようになっていったことは、世界の歴史、人類の歴史にとって一つの転換点になっていたのは間違いがないですね。
もし、キリスト教がローマによって滅ぼされていたら、あるいは一宗教の座から伸びなければ、世界情勢や文化、精神世界も西洋では大きくかわっていたと思います。
 とここまで書いてきて思ったのですが、古代ローマと日本は宗教観や価値観などがよく似ているのですが、どうして日本にはキリスト教というのは根本のところで定着しないのでしょうかね。ひょっとして時の為政者がいっときの国家神道のようにキリスト教を支持して数百年その位置をキープさせていたら、日本国民のほとんどがキリスト教徒になっていたのでしょうか。そのあたり、思考実験で考えるのもなかなか面白いです。

 この「ローマ人の物語」のシリーズ、是非皆さんも一巻からお読みになられることをお勧めします。

ローマ人の物語〈38〉キリストの勝利〈上〉 (新潮文庫)

ローマ人の物語〈38〉キリストの勝利〈上〉 (新潮文庫)

 追記。コンスタンティウスのことを書くのを忘れていました。まぁ次巻でも出てくるからそのときにでも。