小説・漫画好きの感想ブログ

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義務と責任 沖縄普天間基地などあれこれ

 ひさびさに真面目なお話。
 最近、政局のことがよくテレビに出てくるけれど、、ひとことでいってどうにも最近の風潮はよろしくない。まずい状況だなぁと思わずにはいられない。
 といっても、民主党のことを言っているわけではない。確かに鳩山由紀夫首相のリーダーシップのなさや、言葉の重みのなさについては頭が痛いし、器ではなかったのかと思わないではない。
 しかし、僕がよろしくないと思うのは、その逆で、最近の自民党とそのシンパらしきネトウヨのことである。少し前に、鳩山邦夫議員が離党した、それから少しして与謝野馨議員が離党して平沼赳夫氏と合流して新党「たちあがれ日本」を作った、それから今度は舛添要一議員が離党して新党を立ち上げると言った。そこに、石原慎太郎東京都知事が絡んできてあーでもないこーでもないと言い出す。石破さんが内閣は機能していないと言う。
 果たして、彼らは一体何がしたいのだろうか。自民党に見切りをつけたといえば聞こえはいいが、結局のところ、民主党の敵失に乗じることができず自民党にいても旨味が見えないので自分たちの生き残りのために党を捨てたということであろう。それなのに、口を出る言葉といえば、このままではこの国が滅びる、、だ。
 もし本気でそう思っているのなら、政権奪取のために何がなんでも一枚岩で、それこそ主義主張の違いをこえて、政策をまとめて勝負をしなければならないのに、各自の生き残りしか結局はやっていない。
 これは、首長連合や、ワン大阪、大阪都構想をうちだした橋下大阪府知事とは全然中身が違う。
 自民党の離党組の保身具合には本当にがっかりするところばかりでしかない。口を開けば批判批判で、しかもその批判の主義主張が矛盾しまくっている。財政が破綻している、と言うが、その原因で借金で首がまわらないような国家財政を作り上げたのは誰か。売国奴でアメリカとの関係を破綻させている、というが、それでは何故国内の普天間基地問題について積極的に協力しようとはしないのか。ダブルスタンダードでしかない。
 そのことは、そのまま国民にもはねかえってきている。
 今、普天間の問題で徳之島の村長たちが、平野官房長官の会談を拒否したことが大いに話題になっているが、、僕からすればあれはあまりにふざけた話である。論点は二つ、日本は法治国家であり、国家というのはルールや約束事、指示系統・命令系統をしっかりと正しく護ることが各自に求められる。仮にも一国の元首や、その周辺が国家的な問題について話をするというのを拒否するというのは思い上がりも甚だしい。地方分権とそれとは大きく違う。日本が国家として決めることについては、一地方が反対だからやりたくないから話合いもしないなどというような事が通ることはない。むしろ、通るかのような雰囲気を醸し出してしまったり、それを諌めることがない、気分だけで政治が動いてしまうことを肯定する大人たちがこの国を一番ダメにしていると僕は思う。
 誰だってやりたくないことはある。原発やらなにやら、刑務所の誘致、ゴミ廃棄施設のそれと同じで気分的にはそれはわかる。しかし、それを、反対ごり押しで通してしまう事は国家として大きく間違っているということについて誰もが口を噤んでいることに僕は不思議さを感じる。
 沖縄の普天間の問題について首相は迷走しているという。確かに準備不足だし、根回しは足りないだろう。それは僕もそう思う。しかし、じゃあ、どこが喜んで受け入れるだろうか。どこも本音ではやりたくない。つまりはどこに振ったとしても反対運動が起きることははなから分かっていることだ。それを、反対が起こったらそれがあたかも民主党政権の失策であるかのように連日報道し、少しでも振られそうな案が出たらマスコミがそれを報道して潰しにかかる。それでは決まるものも絶対に決まらない。
 アメリカの機嫌を損ねている、という人たちが毎日のようにテレビに出て、彼らは口を揃えて「難しいですね」「ムリですね」と言う。じゃあ彼らはどうしたいというのか。そもそもの普天間移転地にそのままいけばいいというのだろうか。そうかも知れない。そうすれば、沖縄の人たちだけがあいかわらず負担を強いられるのだから。
 そう。ここが問題だと思う。
 移転については各地で反対反対の大合唱をする、じゃあ沖縄は? 沖縄だけがいつも押し付けられていればいいとでもいうのだろうか。これは国としての問題だというのであれば、それこそ大阪だっていいし、北海道だっていいし、四国だっていい。石川県だっていい。それこそ、北朝鮮ににらみをきかせる島根県でもいい。その覚悟がなくて、民意をえずに移動するなんてひどいというのは語るに落ちるというか、自分が安全であればそれでいいのかと本当に情けなくなる。
 それでいて、アメリカとの関係で国益が、、、という。
 国益というのなら、本当にアメリカの基地が日本に必要と思うなら、軍事上の一番のいいオプションはどこかという所から論をはじめ、その土地に他の県が説得するくらいの話があってもしかるべきだ。貧乏くじを沖縄だけにひかせている人間が国益などというのはちゃんちゃらおかしい。
 また、そういう人たちに限って、現政権に対して、韓国や中国と仲良くしている売国内閣というし、子供手当に対してバラまきだと批判ばかりするわけだが、それほどにその論に固執するのであれば仮想敵国というのもその人たちにすればそれらの国だと思われるのであるが、そうであればそれらの国と仲良くしていくことこそが最大の国防になるのは論を待たない。しかし、そうは思わない。そこにあるのは、中国や韓国に対する蔑視であったり、石原都知事がいうような三国人発言に見られるような激しい嫌悪である。ナショナリズムを高揚させるためのプロパガンダである。
 僕は、これらの国に対して何の偏見もないし、同様にアメリカに対しても偏見がない。どちらの国にも幻想は抱いていないし、夢ももっていない。どちらの国も同じように利己的だろうし、普通に当たり前に自分の国の国益を最優先で動くだろうし、国益のためには合法非合法を問わずにいろいろなことをしてくるだろうと思う。
 しかし。
 ネットを見る限りでは、そのあたりの事にはまったく触れずに、ひたすら現政権に対する批判、政策潰しにやっきになり、売国だという一言で人を思考停止に陥らせようとしている勢力のほうが遥かにネット世界では強い。そして、それに踊らされるように、議論の本質を見失って、義務を果たそうとせずに権利ばかり、それも自分が手を汚さなくていい権利、義務から逃れられる権利、要求できる権利ばかりを声高に主張する人ばかりが増えているように思う。
 権利はまずその義務を果たした人間だけが言えるものだと僕は思う。