小説・漫画好きの感想ブログ

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「料理長が多すぎる」 レックス・スタウト著

 書かれたのが、すでに70年以上前という所で、シリーズのスタートでいくと第二次世界大戦より更に前に書かれた小説だったりします。まぁ、だから感覚でいえば、明治・大正の文豪たち、夏目漱石太宰治森鴎外などに近い位置で書かれた小説であるということをまず念頭に置いてこの作品は読まなければならない。
 というのは、海外ミステリ作品の場合、貨幣価値のあまりの落差でだいたいの年代は推測できるものの、事件や日常の雰囲気がそもそも日本と違うのでメンタリティーや世相の裏書きがないままに行くと、なんだか変な感想になってしまうことが大だったりするからである。この作品もそうで、当時の喋りや人との接し方の雰囲気が事前前提(言葉が撞着しているが)で入っていないと、ずいぶんと気の抜けたものに感じるかも知れない。なので敢えて、ちょっといつもの感想やレビューではしない前書き的な説明を入れてみた。
 
 さて、あらすじ。
 本書はネロ・ウルフというアメリカのミステリ史上においてもかなり独特で癖のある探偵の一人が主人公のミステリーである。
 どれくらい彼が独特かといえば、彼は200kgから1トンの間くらいの巨体の持ち主で、世界でも有名な蘭の栽培家で、また名の通った美食家でもあり、アメリカ一の名探偵でもある。ただ、女性が嫌いで、(紳士ではあるものの)女性の知性や証言をほとんど信じておらず、動く事が極端に嫌いで、一年を通して一歩たりとも家から外に出ることはなく、依頼人にしろ証人にしろ警察にしろ全て自宅へ呼びつけるという変わり者。なので当然のことながら、蘭の栽培には住み込みの管理人を置くし、料理人も住み込ませるし、作品の語り手であり、探偵助手であり秘書であり世話係のアーチー・グッドウィンという青年が生活の全てをとりしきるという特殊な環境下で暮らしている。
 が、この長い前置きにも関わらず、今回のネロ・ウルフは家から外に出るのである。
 しかも、遥か彼方の街まで列車に乗って旅をすることになっている。あまたあるネロ・ウルフシリーズでも殆ど例のない外にでたネロ・ウルフという奇妙な光景が見られる珍しい作品である。
 では何故今回ネロ・ウルフが太陽が西から登ったとしてもあり得ないような旅に出たのかといえば、旅先で催される世界最高のシェフ15人の集いに参加、主賓として美食におけるアメリカの貢献というスピーチをする為であった。つまるところは、美食が故の旅であったのだ。ウルフは、そのうちの幾人か知り合いであり、親しくもしているので参加したわけだが、探偵小説である以上当然の帰結ながらその旅先で殺人事件が起こってしまう。しかも殺されたのはウラジオという他の料理人たちの大半から憎まれている品性は下劣卑劣な人物で、ウルフは最初ほうっておこうと思ったのだが、親友が逮捕されたことでやむなく事件解決の為に乗り出す。
 しかし、全員のアリバイは鉄壁のようにも見え、普段は手足のごとくに使っている探偵助手たちもいない中、彼は果たしてうまく事件を解決できるのか。といったところがあらすじです。
 さて。
 いつにもなく長いレビューになってしまっていますが、この小説、初めてのネロ・ウルフシリーズとして読むと、登場人物が妙に多いし、旅にでるウルフというイレギュラーもあり、ちょっととっつきにくい。中盤からは読みやすくなると思うが、最初のあたりは誰が誰やらということにもなりかねない。
 なんでそんなことを書くのかというと、kararaさんにお勧めしたし、本屋さんで探してくると今書店で店頭で手に入るのはたぶんこれと「腰抜け同盟」くらいしかないというまずい状況に気がついたからである(「マクベス夫人症の男」「ネロ・ウルフ対FBI」が光文社新版で見つかるかも知れない)。つまり、ネロ・ウルフにせっかく興味をもってもらえた人がいたとして、本屋にはしると入門書的ではないネロ・ウルフとアーチー・グッドウィンにあたってしまうという事である。アーチーのかわいらしさも、ネロ・ウルフの奇人変人天才ぶりもがあまり発揮されていない作品にあたってしまうということである。
 ということで、これを最初に手にとってしまう人が多くなってしまうことを考えて、本当はこのシリーズは、もっともっと面白いんだということをファンとして力説するために話が長くなった。ご容赦。