小説・漫画好きの感想ブログ

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「オイディプス症候群」上下 笠井潔著 

 矢吹駆を主人公とした、笠井潔の重厚なミステリシリーズの文庫最新刊です。
 十年余りのブランクの後に復活したこのシリーズの新作は、いかにも「本格」のミステリ小説らしく、絶海の孤島(ギリシァのミノタウロス島というミノタウロスの伝説で有名な島)に浮かぶダイダロス館という館で起こる連続殺人事件ものです。ダイダロスといえば、ミノス王の命でミノタウロスの迷宮をつくりあげた人物であり、息子のイカロスは翼をやかれて墜落死したという神話で有名な人物です。そのダイダロスの名をもつ館は、ギリシアのスアフォキンという島から船でいかなければならない、この館しか存在しない孤島に存在し、この島に集められた人物が一人また一人と殺されていきます。そもそも何のために、こんなギリシャの片田舎にアメリカやパリから種々さまざまな十名のゲストが集められたのか、彼らに共通するものは何なのか?
 非常に限定された情報しか与えられないまま読者は、ミノタウロス島まで主人公たちと一緒に運ばれていきます。
 ちなみに、主人公の駆はむろんのこと名前のとおりに日本人なんですが、このシリーズの舞台はずっとフランスのパリであり、今回も一作目から語り部を続けているナディア・モガールという女性をはじめ、登場人物は彼意外はすべて外国人です。
 さて。
 この矢吹駆のシリーズは主人公と物語の構成が非常に独特で、決して万人向けというわけではありません。というのも、主人公の駆は、哲学や思索、世界の成り立ちなどには非常に関心を持ち、文字通り全身全霊をかけてそれに臨みますが、その反面、食事、女性、娯楽などといったものには一切興味がありません。語り手のナディアがいじましいくらいの努力で自分に目を向けさせようとしますが、全くもってそれらは彼にとっては無価値のようで、彼にとっては思索や彼のいうところの「絶対的な悪」と戦うこと意外には何ものも意味をもちません。これほどにストイックで共感されにくい主人公も珍しいでしょう。
 そして、もう一つ特徴的なのはこの作品の登場人物の多くは、それぞれが哲学を持ち、その哲学のためとあればとことん論戦することも辞さず、またその哲学や信念の実践を躊躇しない人物たちであるということも他のミステリ小説とは大きく違うところであろうかと思います。そんなわけで勢い、登場人物たちはいたるところでかなりの紙幅を使って哲学論議や論戦を繰り広げ、時にはその信念に基づいての犯罪が行われたりもします。京極夏彦京極堂シリーズとそのあたりは似ているといえなくもないですが、あちらがところどころで笑いを入れたり、登場人物の多くは普通の感覚の日本人なのに対して、こちらはそれぞれのメンタリティがあきらかに違うので、異質な感じは拭えないと思います。
 シリーズを通して読んでいると、テロや左翼の思想信条についの論議も多く、そうしたカラーが色濃く出てくるのでとくに日本人には馴染みがない感覚がずっとつきまとうと思います。
 どうしてここまでくどくどと前提を書くのかといえば、そのあたりを諒解しないでこの本を読むと、あきらかに途中でだれた感じや眠たさを持ってしまうかと思うからです。よくミステリにおいて、作者の語りたいことはミステリではなく、自分の仮説や思想をミステリという衣で語っているだけだというような非難をされる本がありますが、この本はそういうレベルではありません。明らかに、そうした何某かの説を堂々と作中で開陳しています。であるにもかかわらず、ミステリとしてもしっかりと構築しよう、雰囲気もそれが無理がないようにしようとするあまりに、かなりとっつきが悪く、結果として、それを諒解しないで読めば評価はボロボロにならざるを得ない本だと思います。
 かくいう自分自身も作中でのジェンダーについての考察や、自分と他者関係性についての議論などの一部では退屈してしまった(大変興味深い部分も多々あるんですが)口です。
 が、このシリーズそれ自体は読み応えもあるし、内容も非常に濃いと思いますので、そのあたりを買って注釈や説明を多用しての紹介としました。同じ作者でも「ヴァンパイアー戦争」とかはわかりやすいタイプの超能力者もので、ライトノベル風味満載の物語なので、知らずに読めばきっと別人の作品だと思うくらいです。

オイディプス症候群〈上〉 (光文社文庫)

オイディプス症候群〈上〉 (光文社文庫)


オイディプス症候群〈下〉 (光文社文庫)

オイディプス症候群〈下〉 (光文社文庫)