「三国志」第二巻 宮城谷昌光著
どうしていまひとつこの宮城谷三国志に乗れないのだろうと思いつつ文庫発売にあわせて読み返している宮城谷三国志の第二巻レビューです。
さて。二巻に関しても、前巻同様に展開がものすごく重いということに問題があるのは変わらずです。なんせ、王朝のダメダメぶり、腐敗、裏切り、権力闘争に、阿諛追従の邪臣佞臣しかいない漢王朝の末期的症状がひたすら繰り返されるだけで、巻末に来てもそれでもまだようやくと董卓が出て来たくらいなんですから、その展開の遅さは推して知るべしです。一応、曹操と劉備もちらりと出て来ますが、大量の人物群に埋もれていて、三国志についての事前知識がなければとうてい主人公達とは気付かれない扱いです。
そして、、、なにより納得がいかないのは、「三国志」なのに、「桃園の誓い」がないという事です。劉備と孔明の合流イベントとして「三顧の礼」がなかったら三国志が成り立たないように、この「桃園の誓い」も三国志を盛り上げる一要素だと思うのですが、これが宮城谷版では全くありません。無論、絶対に「桃園の誓い」がないといけないというわけではなくて、三国志演義ではなく三国志を書くんだというスタンスでいくのならば、割愛しても構いません(実際、三国志としては素晴らしい出来の北方三国志にも意外なことですが桃園の誓いのシーンはありません)。ですが、それならそれで別の意味で劉備・関羽・張飛が出会ったあたりであるとか、彼らが一緒になっていることについて何らかの考察や物語的なエピソードを作るべきではないかと個人的には思うのです。
いかに史実中心でいくにしても、主人公である劉備・曹操・孫権についてはそれなりの物語性というものを付与することは、宮城谷さんの嗜好は別して、物語として要求されるレベルのことであると思うのですがどうでしょうか? 或はまたそれが嫌であったとしても、「劉備といえば桃園の誓いという成句が有名であるが、筆者としてはかように思う。そもそも劉備が・・・」みたいな自分なりの注釈を入れるというスタンスでもなにがしかの事が出来たのではないかと思うのです。
歴史というのは、特に中国人にとっては歴史とは勝者によって、編纂された事実であっても真実ではないわけでどうしても曹操のほうに有利なようにしか史書には書かれていないのは仕方がないことです。しかし、それでは面白くもなければ偏りがあるとして劉備を主人公にした演義があったわけですから、物語を描く以上は史実とともに三国志的な面白さを描くことも必要なのではないかと思うのです。そして、それは宮城谷版であっても、吉川版でもなく、北方版でもなく、ましてや宮本ひろし版でなくても必須の物語的要素だと思うのです。
- 作者: 宮城谷昌光
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/10/10
- メディア: 文庫
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追記:吉川版の三国志、再版はけっこう嬉しいです。自分にとっては人形劇版とこの吉川版が原体験なもので個人的にはとても嬉しいです。映画の「レッドクリフ」は第一部だそうですが、、、第二部がどういうことになるのか愉しみです。