小説・漫画好きの感想ブログ

小説・漫画好きの感想ブログ

「死刑執行人サンソン 国王ルイ十六世の首を刎ねた男」 安藤正勝著

 今日最後の読本紹介です(最近忙しくてずーっと更新が滞っていましたので、まとめてちょっと更新してみました)。
 本書は、フランスの死刑執行人の一族の一人でルイ16世の死にもたちあったシャルル・アンリ・サンソンとその一族の話です。実はこのアンリという人物こそ、荒木飛呂彦の「ジョジョの奇妙な冒険 スティール・ボール・ラン」のジャイロ・ツェペリのモデルとなった人物だそうです。
 さて。そのアンリの一族ですが、当時の処刑人というのは、日本で言う所のえた非人と同じ不可触賎民で処刑人の住む家はたいていは町の外れにあり、家の外壁は赤く塗らなければならず、娘がいる場合は、知らない人がその一族と関係をもたないようにきちんと娘がいる旨の張り出しもしなければならなかったそうです。そして、学校に通えないのはもちろん、町で何かを買うのも一苦労、出会う人間出会う人間、彼らを不浄のものとみなして目を背けるのが普通だったそうです。
 そんな中で、シャルルはある年パリの処刑人になりました。パリの処刑人は処刑場の広場に家があり、給料はないかわりに周囲の人々から税金として自分たちに必要ものを徴収する権利をもっていた為、不可職賤民であるとはいえ莫大な富を築くとともに、処刑人としての業務の傍ら処刑人という仕事柄詳しくなった人体の仕組みへの洞察と知識を利用して医師としての業務も行うようになりました。その結果、彼だけは処刑人であるにも関わらず貴族のような暮らしをして、一般庶民の数十倍の資産をもつようになったのです。
 そんな彼は、処刑人としての誇りと人権を勝ち取るべく、学問も積み、後年には裁判所で自らの弁護をするとともに、国会へ彼らの権利が法の下にすべての人々と同じものであるという主張するようにもなります。或る意味で言えば、当時の処刑人たちの権利の拡大に彼は尽くしたとも言えるでしょう。
 さて、そんな彼の生涯を綴った本書の中で、自分が興味をもったのはフランス革命の法と平等の精神が死刑について大きく歴史を変えたというくだりです。
 例えば、ギロチン。これを現代人が考えると、非人道的でむごい道具だし残酷な処刑方法だと思うでしょう。しかし、実はこれがそうではなくて、二つの理由から「法のもとに平等」で非人道的なことをやめようということでギロチンになっていったのです。まず平等という方からいくと、当時の考え方でいくと、当時の死刑は庶民が首縛り(要は絞首刑)、貴族が斬首という方法であり、特にひどい罪人に対しては車裂きの刑、八つ裂きの刑というものであり、平等という観点から全ての死刑方法を一つにしようということでまず死刑の方法の統一という話が提案されたのです。そして、首縛りや斬首のどちらも、これがなかなかうまくいかず罪人が異常に苦しんだり、何度も首に刃物を振り落としたりしないといけないという事態が当時はたくさんあり、医師から真面目に国会に苦痛の少ない方法として是非このギロチンを人道的な観点から導入するようにとなったのです。
 今の感覚から推し量るとたどり着かない結論なんですが、当時はギロチンで処刑することが「平等で人道的な」刑だと信じて疑われていなかったという事です。また、これも意外な事実だったのですけれど、ギロチンの原型はすでに世にあったわけですが、確実な処刑マシーンとしてのギロチンの完成には設計段階の最後でルイ十六世その人が、予定していた半円形の刃では力が斬種に達しないので、斜めにした方がいいのではないかとデザイン変更したという事実があります。
 西洋の刀剣の場合はまっすぐに首を打とうとすると切れず(日本刀とは切れ味や原理が違うので)接触面を斜めに刃が滑るほうが効率が良く、それを実用前に見抜いたルイ十六世の科学的な造詣の深さが図らずも出ているのが興味深かったです。
 ということで、新書ですがなかなか興味深く読める本です。あ、あと上のような議論のときにロペスピエールが死刑そのものの廃止を唱えていたあたりも死刑論議に興味がある人には面白いかも知れません。 

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)