小説・漫画好きの感想ブログ

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映画ネタバレ感想 「崖の上のポニョ」

 ということで、♪ぽーにょぽにょぽにょ、の「崖の上のポニョ」のねたばれ映画感想です。
 (ただし、ネタバレは最後のほうで、宣言してからにしますのでそこまでは読んで大丈夫ですよ)
 いや、たぶん全国で1000万人くらいの方の耳にあの♪ぽ〜にょぽにょぽにょのメロディが焼き付いていることと思いますが、、この映画、あの音楽と歌、子どもの声だけで大ヒットが確定したようなものでございます。
 
 ストーリーは、人魚の女の子のプリュンヒルデ(ポニョ)が、父の目を盗んで海の上の世界に遊びに行くところから幕をあけます。小さな魚に小さな女の子の顔がくっついたポニョは、自分とそっくりのさらに小さなお魚さんたちのお姉ちゃんなのですが、上の世界が気になるのかクラゲの背中に乗って海の上へ行きます。しかし、そこで地引き網漁船の漁に出くわし、網にはかからなかったもののガラス瓶に閉じ込められて気を失ってしまいます。それをたまたま通りかかった、ソウスケという5才の少年が助け、「金魚だ」とプリュンヒルデを家へ連れ帰ってしまいます。
 ぽにょぽにょしているから「この子はポニョっていうんだょ」と名前をつけたソウスケはポニョを飼おうとしますが、ポニョの失踪をしった父親の魔術師は彼女を連れ戻すために海の魔物を使い、ポニョを無理矢理連れ戻してしまいます。 
 しかし、時すでに遅くポニョはソウスケを好きになってしまっており、ソウスケもポニョに「僕がまもってあげるからね」と言葉を交わしていたのです。そして、父の知らぬ間にソウスケの血をなめてしまっていたポニョは人魚であるだけでなく半魚人にもなっていたのです。どうしても気持ちを押さえられないボニョは偶然にも助けられ、一路ソウスケの住むところを目指します。。。
 ということで、直球ストレートど真ん中の小さな愛の物語がこの「崖の上のポニョ」です。
 「千と千尋の神隠し」や「ハウルの動く城」や「もののけ姫」などの反戦や圧倒的な世界観とは違って、どこか名作劇場のようなこじんまりとした世界と子どもたちの物語は、たぶんおそらくきっと賛否両論の大嵐になるんだろうとは思いますが、個人的にはこれはこれでありだし、ただただまっすぐに「会いたい。好きー」というポニョと「僕が絶対守ってあげるからね」と5歳で実際問題ポニョよりはるかに弱いけれどもこれまたまっすぐのソウスケくんを僕は嫌いではありません。むしろ好きですね。もう一回くらい見てもいいくらいだと思います。
 子どものためのアニメ、というある意味で原点回帰をはかった今回の宮崎駿作品、これはこれでありだと僕は再度プッシュします。
 確かにストーリーとしては、ソウスケくんのお母さんのけっこう無茶(?)な言動や、ビートルジュースのような魔術師のダメダメさ加減など、首をひねるところもあります。話の辻褄があわなかったり、謎がそのまま謎として語られない部分も大きすぎるとは思います。しかし、なにもかもが完全に整合性がとれた物語なんてないし、そもそも童話なんてそんなものだと思います。また、基本は誰がどうみてもわかりやすい「人魚姫」をベースにしていますから、子どもにはこれくらいでちょうどいいと思います。 
 アニメのクオリティに関しては、、全編手書き、ということが強調されていましたが、それは別にどっちでもいいかなと思いました。味わい的にはやっぱりこういうのがしっくりくるけれど、特に何かそれがすごく特徴的だったとは思いませんでした。
 さて。

 (以下裏読みとネタバレ)
 とはいうものの、けっこう投げっぱなしだし、、もうちょっと深みが欲しかったなぁという人には、気にならなければ全然気にならないけれど、気になりだすとすごく気になる宮崎氏のネタフリを気にしながら見てみるという手もありです(ただし、以下は自分が何の予備知識もなしに映画を見て気付いただけの話なんで、もっと細かいところや、設定資料なんかにはネタが説明されているかも)。
 例えば、、、まずポニョの本名がプリュンヒルデという名前だったこと。ブリュンヒルデといえば言わずと知れた北欧神話です。ワルキューレの乙女達の長女です。ワーグナーのあたりオペラです。凄まじい力を発散するワルキューレ。彼女たちを押さえて神々の黄昏の時代に地球崩壊を必死で回避しようとする父親。彼が使ったのは娘を眠らせる魔法、、、どうです、ポニョの世界とシンクロしませんか?
 また、彼女の母であり、(必然的には魔法使いのフジモトと契った神)空前絶後の大きさの女神は、海の化身であり、月の女神に見えます。彼女が言った言葉、そしてポニョが起こした洪水のあとの世界に現れた恐竜たちの名前から、デボン紀の生き物達が彼女の力によって現れてきたことが想像されます。そして、デボン紀とは、大量の魚類の繁栄と森林・昆虫の出現と生物の爆発的進化と大量絶滅が起こったときであり、世界が一気に変革した時です。海から陸へと生物が移動する。地球の歴史で一、二を争う激変の世界の消滅と新世界の誕生があった時代です。
 そして、大洪水。もう何をいわんとしているかわかるかと思いますが、このあたりの暗喩は世界の崩壊と相まって、ほぼ直喩といっていいほどに人間の世界が終わるか終わらないかを問うています。そして、それを決めるのは彼らによれば、「揺るぎない愛」次第なのです。ソウスケがポニョの正体を知っても(というか知っていますが、あれだけ目の前で変化しまくれば)、愛せるかどうかで世界が決まるという形を提示しています。新世界になるかならないかがそこにはあったのです。
 そういう意味でもう一度作品を眺めていくと、この世界には確かな愛、それもがっしりと直接的に結びついた愛(子どもにわかりやすくするためにはそれしか方法がないわけですが)を具現化したカップルがいないことに気がつきます。ソウスケの両親、リセと耕一も愛し合っていますが直接手をとりあい同時に画面に出るシーンはラストまでありません。魔導師のフジモトと妻である女神も神と人間であり一緒にはいません。また、老人養護ホームや保育園にも両親がそろって出てくるシーンはありません。つまりは、最後の最後まで、いわゆる子どもにもわかりやすい意味での愛し合う二人はいないのです。そういう意味では、最後の最後の直前に出てくる、赤ん坊を連れた若夫婦は、より象徴的です。そうした中で、二人が年とか生命体の垣根を超えて結ばれるか、ポニョが泡となって消えて実は世界が破滅するのかが最後に問われていたとなると、またこの映画の見方は変わるかと思います。
 あくまで上のような見方は、自分が初見で気付いただけの見方ですので、もっと色々なことが隠されていそうだし、水の中に沈む街のイメージは「カリオストロの城」とかを思い出させて宮崎さんの好みがまともに出ているなぁと違う楽しみもあったりします。あと、チキンラーメンがスポンサーについていたっけ?? とかね。まぁ、なんにせよ、ストレートに楽しむのもいいし、色々と仕掛けられた深読みなんかしながら見てみるのも楽しい映画だと思います。まぁ、でも、やっぱりあの♪ぽーにょぽにょぽにょ さかなのこ♪の歌で大ヒットは間違いないでしょうね。
 以上、私見に満ちた「崖の上のポニョ」あらすじと感想でした。