小説・漫画好きの感想ブログ

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結局のとこ、現場の人間も悪いのはどうして棚上げなのか?

 岐阜養老の「丸明」の飛騨牛の食肉偽装問題。
 これだけ食品偽装でたびたび各社社長・経営者が偽装でつかまったり謝罪会見を続ける中で「工場長がやった」「部下が勝手にやった」「自分は知らなかった」と言い切るあの社長は勿論どうしようもない人間だと思います。しかし、この会見を受けて、元工場長や職員・従業員が「俺たちは指示されてやっただけだ」「偽装の責任は社長だ」などと声高に叫ぶ姿にはものすごく違和感を感じます。下手をしたら工場長以上にたちが悪いというか、犯罪に対しての自覚がないというか、消費者を馬鹿にしているのはたびたび事件のたびに社長に言われて・・・と言っている彼らのほうではないかとさえ思います。
 彼らの論理からすると、言えば職を失うから、とか、言われて仕方なくやった、というものが殆どですが、でもそれが犯罪だという事はわかっているわけで、じゃあ生活がかかっていたら犯罪を日常的に行っていいのか、それで世間に対して嘘をつき続けて良心が傷まなかったのか、というのが非常に気になります。船場「吉兆」の時もそうでしたし、白い恋人のときもそうでしたが、従業員はわかっててやっていて、どうして自分たちが被害者のような顔で話が出来るのか、というのが気になります。
 日本の法律では、犯罪によって得た利益は返還・賠償しなければならない法律があります。たとえば強盗をして盗んだお金は返さなくちゃいけません。当たり前ですがそうです。でも、こうした食品偽装などについての犯罪については、賠償なりなんなりの責任を負わなければならないのは当然のことながら責任者、経営陣です。そして、それぞれのセクションの責任者は調理師などの資格を失います。しかし、実際の事件で従業員に対してそうした資金の返金や賠償、或は犯罪歴がつくかといえばつきません。
 そのあたりも問題かと逆に自分は思います。
 内部告発が最近増えている理由は、その内部告発に対しては法の保護や生活の保護みたいなものが出来たからですが、その代わりの従業員への処罰はまだまだ皆無です。当然、無責任でモラルのない責任者や経営者が責任を負わされるのは当たり前ですが、自分も加害者なのに被害者のように話したり、その犯罪で得た利益(給与も立派な利益です)をさかのぼって返却するのは当然だという風潮を作っていかなくてはならないのではないかと思われます。
 もちろん、労働者のほうが絶対に立場は弱いです。
 でも、だからといって、それだったら許されるかといえば許されない、上とは一蓮托生になるから犯罪になることに関わるくらいなら関わらない、辞めるくらいの事が当然という社会にしなくては結局はこういう偽装はなくならないように思います。
 もちろん、偽装そのものも、そうしたダメなものはダメということも、結局はモラルの低下から始まっているわけですが、道徳を説いてなおらないものであれば法律的な縛りもないとやむを得ないのではないかと思います。