小説・漫画好きの感想ブログ

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「黎明の星」(上)  ジェイムズ・P・ホーガン著

 
 最近、新刊が出ていなかったジェイムズP・ホーガンの新作は、地球のカタストロフィを描いた「揺籃の星」の続編にあたる物語です。前作「揺籃の星」では土星から生まれた巨大な彗星の影響によって、地球の地軸は回転し公転位置もずれ大地震や大津波にみまわれ最後には全てを失ってしまいます。もちろん、地球上にいた多くの人々もその渦に巻き込まれ、地上にいた人類は文明も都市も土地もすべてを失い絶滅したといっても過言ではない状態になる中での物語でした。いってみればハリウッドお得意の大パニック映画を舞台にしたような作品でした。 
 本作はその続編にあたり、地球がまだ健在だった頃に土星の衛星に理想郷を求めコミュニティを築いていたクロニア人たちに助けられた、前作の主人公、ランデン・キーンが再び仲間たちと地球に戻ってくる話です。全てを破壊され尽くされた地球。そこではぶ厚い塵のカーテンが太陽から地表を覆い隠し、動植物相はまったく違うものになり、残された人類は原始時代の時代のような様相にまで退化しています。それだけでなく、地球を壊した彗星は今は太陽の向こう側にいっていますが、再び地球に接近する可能性が高いままです。こうした状況の中、クロニア人たちとともに地球に再び文明を取り戻すべく戻ってくるキーンですが、その裏では前作で彼と同様に地球から逃れてきた政府高官たちや軍人達が自分たちの陰謀を巡らしています。
 実は、ここも物語のキーになるのですが、理想郷を目指して作られたクロニアでは地球でいうところの貨幣経済が全く行われておらず、彼らにとっての財産や価値は、貨幣ではなく高い技術と文化レベルと全体の調和のためにその個人が何を全体に貢献できるのかといったところに移行しており、それが理解できる人類とそうでない人類に自ずと別れてしまっているのでした。そういう彼らからすれば、政治活動や軍事活動や暴力にしか興味を示せない、また権力への渇望という無意味なものに執着する政府高官や軍人たちは提供するものもない存在でしかないのですが、逆に彼らからすればクロニアは目先のことにしかとらわれず、大義や人類全体のことを考えられない馬鹿げた技術集団にしか見えません。完全に根本のところが違っている両者なのです。もちろん、地球から脱出してきたメンバーの中にはキーンをはじめ、その新しい価値観に徐々になじむだけでなく専門技術で彼らに対して大きな貢献を出来るものもいるのですが、そうでないものとの確執は日々広がって行きます。
 ということで、これはもうホーガンファンの方ならよくご存知の、ホーガンのイデオロギーが全開の小説です。 
 中期以降のホーガンにとっては、軍人や政治家は愚かしいものにすぎませんので、この作品でも科学万能の、科学技術によるユートピア構築こそが素晴らしいパラ色の世界を築き上げるものなんだと高らかに歌い上げています。人間は真理に目覚めれば、もっともっと素晴らしい世界が築けるんだ、科学の進歩は全てのトラブルを解決していくんだという彼のパターンは、ある意味無邪気にすぎるし最近の世界風潮を見すぎると能天気に過ぎるんですが、でも、彼のそうした人間の本質は善であり、科学と理性でそれが開花すれば素晴らしいことが起きるんだという主張は、彼の筆力にかかると単純だからこそかも知れないけれど夢いっぱいに見えてちょっと信じたくなったりします。また、単純に科学万能、科学礼賛の話だけに留まらず、彼のもう一つの特徴であるセンス・オブ・ワンダーが強烈でファンはそれが故についていくのです。
 そんなわけでこの物語も上巻までを読む限りそのパターンのツボにはまっている物語です。
 ただ、ただ一つ、彼の物語は壮大なホラ話にリアリティを作るためにけっこうな事前準備がいります。具体的には、すごい科学文明、科学技術を主人公達がもっているということをイメージさせるために、そうした科学技術や科学的な話をえんえんとします。それが今回は特に長いです。なので、彼の作品を初めて読む人は、それがひっかかって途中で投げ出してしまわないかとそれだけが心配です。あくまで、前半の前半のそれらの科学談義は物語に入るまでの枕という風にわりきって、場合によっては読み飛ばしても構いません。
 下巻を読み切るまでは安心できませんが(前作が今ひとつだったので)、今のところは彼らしい作品テーマだし展開ですので、今までのホーガン作品が好きだった方なら買いです。
 

黎明の星 上 (創元SF文庫 ホ 1-25)

黎明の星 上 (創元SF文庫 ホ 1-25)