小説・漫画好きの感想ブログ

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大阪くいだおれ太郎のその後 タニマチ的発想と国の補助

 大阪道頓堀のくいだおれ太郎
 くいだおれ閉店宣言以降、しきりとニュースで取り沙汰されています。プロジェクトチーム発足して、店ごとの購入やレンタル申し込み等の受付をしてといった動きに、いろいろな市町村を始め、買い取りたいという企業が続出、ついには阪神タイガースまでくいだおれ太郎くんを甲子園に誘致するという案が出ています。ケンタッキーのカーネルサンダースと並べるのかどうなのかはさておき、大変な話題で経済効果が数十億円というのですから、さすがは大阪のマスコットです。
 きれいさっぱり消えてしまうのでなくてほっと一息です。
 さて。
 その大阪くいだおれ太郎くんを見てて思ったのですが、文化とか伝統の保護というのは本来はこういうものなんだろうという事です。今、大阪では文化施設やさまざまなモノに橋下府知事がノーといい、助成費カット、廃止、とりやめ、予算凍結をしています。それに対して関係者が一斉にブーイングで「血も涙もない」とか「文化が死ぬ」とか「思いやりがない」とか「配慮がたりない」とか「今までの慣例に違反する」とか「不利益を被る人がいる」といって大反対です。が、大阪府そのものが倒産して夕張のようになるかも知れない、5兆円という赤字が莫大にふくれあがり続けているこの時に歯止めをかけてプライマリーバランスを取り戻してきちんとやっていこうという人はまずいませんし、嫌われるのを覚悟して矢面でやっている人の足をひっぱるためにはもうなりふり構わない人が続出しています。
 しかし、文化だとか伝統だとかも含めて、本当に行政がタッチしなければならないもの以外はこうした形である意味タニマチ的なフォローが本来しかるべきなんだと改めて今回のくいだおれ騒動で目が覚めました。本当にみんなが愛しているもの、残したいものは国や自治体がなにもしなくても助けるんだから、それでいいんだと。 
 ワッハ上方なんかは確かに大阪のお笑い文化の施設だけれど、それなら芸人やタニマチが全力で資金を全て出せばいいんです。実際、梅田ど真ん中にある繁盛亭という落語寄席は、桂三枝さんら発起人が仕掛けて私財と市民や商店の寄付だけで建設、運営もたいへん上手くいっています。なんでもかんでも国が補助をしなければならないというのは論理が違うなぁと、だからこそ大阪のフィルハーモニーの財団理事が助成金のカットをきいて「オーケストラをやめろというに等しい」なんていうのはそもそもが逆におかしいという気がします。
 私立の助成金カットにしてもそう。
 「学費の上昇に転化せざるを得ない」「子供の教育のためのコストを削るのはよくない」などと私立連合はいいますが、そもそも私立の中学や高校というもののできたときの理念は、功なり名を遂げた人物が自分の利益を還元し、世の中に優秀な人材をたくさん作り送り出したいというあくまで慈善事業的なところからはじまっており(東大進学率ナンバー1の灘中学・高校なんかも某酒販メーカーが発起人)、そういう理念を忘れていて儲けることに走るから助成金も既得権益的な発想になるのでしょう。卑しいとしか思えません。講師のギャラが高くても、公立なみの施設・敷地でよければ、逆に授業料なんかはもっと下げても大丈夫だし、逆に地域のために使う余剰が出るくらいです。
 公務員の中でいい加減で怠惰だったりする者や組織、天下りを叩くのは当然真っ先ですが、我々住んでいる人間のモラルや、そこで暮らしいてる経済人のモラルが高く問われている事態なんじゃないかなぁと大阪改革については思います。授業料滞納全国ワースト、給食費等の滞納も全国ワースト、駐車違反・犯罪発生率もワーストの常連、税金未納もワースト、それじゃあ住んでいるのに魅力が感じられなくなりもします。
 とっちらかっちゃいましたが、そんなことを思う朝です。