小説・漫画好きの感想ブログ

小説・漫画好きの感想ブログ

「ティファニーで朝食を」の読み比べ

 先日、村上春樹訳の「ティファニーで朝食を」を読んでかなり面白かったという話をしましたが、それでちょっと調子に乗って竜口直太郎の昔の訳のほうと読み比べてみたんですね。すると、、、まぁ翻訳した時代が違うので口語のはやり言葉やキャラクターによる言葉遣いの類型化でかなり時代の落差を感じてしまうのは仕方がないのですが、そういう事とは別に決定的に違うところがいくつかあるのがものすごく気になりました。 
 喋り方や、描写が微妙に違うというのは、翻訳なんだから当たり前のことなんだけれど、事実関係がまったく違うという箇所があるんですよね。
 (このあと本編の多少ネタバレになります)
 それは例えば、ホセが主人公のホリーを捨ててブラジルに逃げ帰ってしまうときにホリーにあててしたためた手紙の内容が、昔の竜口直太郎訳では彼には妻子がいたといういい方が出て来て、彼がホリー、或はマグと結婚しようと話していた内容が全て嘘であるかのような印象を与えますが、村上春樹訳では妻としてふさわしいと思う理想とは違うというような記述が出て来て、それはそれで多少は結婚の意志が見えてきます。このあたり、けっこう物語的には重要な台詞だし、どちらもプロの翻訳家さんなわけで単純にミスはありえないでしょう。とすると意図的なはずだけれど、どーしてそういう違いが出てくるのだろう、と不思議に思ったりして興味はつきません。
 あと、ホリーが竜口さんの訳だとニュアンスとして高級娼婦っぽい感じなのに対して、村上春樹訳だと破滅型だけれどもパトロンが大量にいるものの簡単には寝ない意志の強い少女のように感じられるなどいろいろ面白いです。こうなってきたら、オードリー・ヘップバーンの映画も見たくなってきました。ただ、映画となると、主人公の若き小説家も多少内省的でナイーブで勇気がイマイチ持てないようなタイプではなくなっているんだろうなぁ。。。
 でも、怖いもの見たさで、やっぱり映画も見てみたくなりました。

 追記:1ドル95円なんていう超円高ドル安のこの時期くらい、翻訳本が版権とかのからみで安くなるといいんだけれどなぁ。小麦粉が高くなるかわりに海外作品が安くなるとかだと多少嬉しいんだけれど。