小説・漫画好きの感想ブログ

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「我が屍を乗り越えよ」 レックス・スタウト著

 レックス・スタウトのネロ・ウルフシリーズの一冊です。
 そして、珍しくもネロ・ウルフの謎に包まれた前半生が語られる一冊で、なんと本作ではネロ・ウルフの娘が登場します。 ストーリーは、ネロ・ウルフの屋敷にモンテネグロ出身の女性が助けを求めてくるところから始まります。
 ネロ・ウルフは完璧なアームチェア・ディティクティブで一歩も家から出るという事をしません。彼は人を派遣し、事件の詳細を調べるだけで家から一歩も出ることなく事件を解決する探偵で、そのぶん謝礼も高額で、一般人ではなかなか彼に謝礼を払えず結果として彼のもとに事件の解決を依頼する依頼人は高額を支払える人に限ります。それだから、こういう依頼人は珍しく、ふだんのウルフなら追い返すところなのですが、彼女がネロ・ウルフの家でしたある事に引きずられて、しぶしぶながらウルフは事件解決に乗り出しますが、最初はまったく予想だにしていなかった殺人事件が次々と起こるにつれ、また事件がウルフの嫌いな国際的な陰謀の影をちらつかせるにあたって彼の不機嫌はどんどん亢じていきます。ある意味、そのあたりもいつものネロ・ウルフものと大きく趣きを異にします。
 それはさておき、この作品、発表が1940年ということで、第二次世界大戦がまだ終わっていない頃の話で、作中でもナチの話が出て来たりとかなり時代を感じさせる作品でもあります。他のシリーズ作品でも確かに時代を感じる部分はありますが、これは特にそうです。そして、その一つに、発表されたのが今から68年前、うちのおじいちゃんでさえまだ子供だった頃の話というのもありますが、それ以上に、この作品の翻訳が当時のままだという事があります。言葉遣いがとにかく古いんです。また、こう書くとびっくりする人がいるかも知れませんが、この小説、翻訳がそのままだということで、小さい「っ」とか「ゃ」が使われていません。大きい「つ」か小さい「っ」かは読んだ人が判断するというまさに昔の作品なのです。
 たとえば、こんな文ができてきます。
 「しやべらなくてはならなかつた。彼はしやちほこばつていた」と。これは一例ですが、こんな感じなのでけっこう読み進めるのに違和感もあったりするのですが、でも、そういう時代を感じさせる部分も含めてすごく味のある歴史を感じさせる一冊でした。しかし、、2005年に第5版を出すときに翻訳を変えようとかはなかったのかなぁ。
 

我が屍を乗り越えよ (ハヤカワ・ミステリ 439)

我が屍を乗り越えよ (ハヤカワ・ミステリ 439)