「水滸伝 十五巻 折戟の章」 北方謙三著
こんばんは、樽井です。
今日はイタリアンを食べに行って来ました。全体的には文句なく美味しかったですが、、、前菜だのサラダだのにまで苺だったりチョコレートを混ぜるのはどうにかして欲しかったです。サラダはあくまでフレッシュにぱりばりといってくれた方が嬉しかったです。パスタとかにはさすがにフルーツは入ってこなかったけれど、他のものには全て果物と甘いものが微量ながら含まれていました。そりゃまぁクリスマスということなんだろうけれど、、、どうなんだか。
昔の日本だとこんなことはなかったんでしょうねぇ、悪のりしすぎ。そういや、イタリアでは別にサンタクロースのお祝いっていうのはなかったようですね。最近はちょっと商業的なノリででてきているようですが。
さて。どんどんと読書感想がたまっていく一方なので、ちょっとずつちょっとずつ出していきます。
北方水滸伝、文庫最新刊です。
全19巻のうちの15巻です。前作から始まっていた宋の主力二十数万の軍勢対梁山泊の戦いが今回も厳しい戦況の中続きます。数にして十倍以上の敵を多方面で同時展開され、物量作戦に押しつぶされそうになる梁山泊の起死回生の賭けが成立するか否かが今回の巻の最大のポイントになります。
いくら英傑豪傑が揃う梁山泊といっても(そして立ち上がった民がいかに志が高くても)、相手は二十数万の正規軍。しかも国というものを背負い、豊富な補給を受けた軍隊が相手ですから、数カ所の拠点に籠る梁山泊もじりじりと押されていきます。十全の準備も罠も徐々に薄皮を剥ぐように剥がされていき、兵が日一日と損耗していきます。その中で隊長格、副隊長格のメンバーも命を失っていきます。どこかの巻のレビューでも書きましたが、この北方水滸伝では原作と違って、梁山泊のメンバーが次々と命を落としていきます。原作では死なないメンバーがどんどんと命を落としていきます。それぞれが信じる未来、志の為に命を落としていきます。読んでいて悲しくなるくらい、そして恐ろしいことに読んでいるほうがそれが当たり前のように感じるくらい死んでいきます
ある意味、本当の戦争でもこれが一番怖いことなのかも知れませんが、人があまりにたくさん死に続けるとそれが中心人物であってもなくても、ただただ戦いだけが生き物のように継続の意志を持ちはじめ、生け贄を求めるようにより多くの血が流れ、当事者はそれを当たり前のように受け入れてしまうのかも知れません。この巻でも片手にあまるほどの梁山泊のメンバーが死んでゆきました。
そして、そういう犠牲の中で、梁山泊は起死回生の博打のような一手を打ちます。そうでもしなければ押しつぶされる事が確定してしまうような戦況だったからですが、果たしてそれが成功するのかいなか、どんな策なのかは読んでのお楽しみです。
さて、この物語を読んで毎巻思うのは、この物語の中の登場人物がみんな「熱い」ということです。
末端から宰相まですべての役人が腐敗しており、民がひたすら犠牲になる。道理が通らず、要領のいい人間だけが得をする。お金をたくさん持っている人間は人並み以上の暮らしをやすやすと維持し、持たざるものは毎日苦しみながら生活していてもそれでも生活は全く安定しない。働けど働けど搾取される。しかも、官僚はお互いをかばいあい、そのツケが誰かにまわされる。人の命が極端に軽く扱われる。まるで、今の日本そのものです。そう考えると、我々は本当は持つべき「怒り」や「熱さ」というものをどこかに置き忘れてきてしまったんじゃないか、ただただ今食べるものに本当に困窮していないだけ着るものもないところまではなっていないというだけで飼いならされていて、本当はひどい国に住んでいるのに何もせずにただ傍観しているだけなんじゃないのか。そんなことを今回は改めて強く思う巻でした。
- 作者: 北方謙三
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/12/14
- メディア: 文庫
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