小説・漫画好きの感想ブログ

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『生物学個人授業』  南伸坊著 

 おはようございます。
 肌寒く、もみじ狩りに洒落込むのもためらわれるくらいの寒さで起きました。
 こうした季節になると妙に昔の最近ふとした瞬間に思いだすもの。
 たとえば、昔の序業風景とか。
 大学生のときに、生態系の講議を受けた事がある。
 中学生のときに習う、食物連鎖(捕食者とか生産者とか分解者とかがでてくるもの)のもう少し複雑なものを毎週講議してもらった。ガイア思想なんて言う言葉がまだ少し耳新しい頃の話だ。
 取り立てて、何か斬新なことを講議してもらったわけではないが、何故かその頃のことは妙に心に残っている。窓の外でぱらぱらと降り続く雨の音、新緑の匂い。そういうのが妙に心に残っている。大人になってからの事はけっこう忘れがちなのに、学生時代のそういう何気ないシーンは結構ことあるごとに思い出されて、ひどく懐かしい気分に僕をさせる。
 もともと、学校の先生の授業なんて、気にいった面白いものは聴く、そうでないものは聴かない(というよりは授業に出ない)という学生だったから、聴いていた授業は何かしら印象に残る先生がしていたのだろうけれど、妙に心に残っている。
 これを読んでいる人にも、そういう授業の一つや二つはあるものと思う。たまにはそういう時を思い出して、学生時代の教科書をひっばりだすのも悪くないのではないだろうか。
 そうしたわけで、今回は南伸坊を生徒に、各界の先生方が個人的に講議をし、その勉強の成果を彼が本としてまとめるという企画もののシリーズの一冊からご紹介。
 (同様のシリーズに、『解剖学』や『数学』などがある)
 今ではもう常識となってしまった遺伝子の仕組み(DNAや染色体の概要や、ホメオボックスの話など)や、ダーウィンの進化論の話など簡単なところから始まりつつも、途中の「発生」の話などはなかなか興味深く、没頭した。
 どんな話かと言えば、全ての細胞は、からだのどの部分になる事もできるだけの情報を持っている。しかし、勿論の事ながら、ミスすることなく、自分の位置に相応しい形で自分の形を整え決して他の形態にはならない。
 これは生物の細胞が、自分の為に必要なぶんの、その数千倍以上の無駄な使わない遺伝子をたくさんもっているからできることだというもの。そういう事実を知ったからといって何かが変わるわけではないけれど、知的な欲求を刺激する読みやすい一冊だった。

生物学個人授業 (新潮文庫)

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